翌朝。
カーテンを開け放ったまま寝入ってしまった窓辺より、高くなった陽が射し込んで来るまで、カナタは目覚めなかった。
それは、例え何時に就寝したとしても、一定の間隔で目覚める習慣のある彼にしてみれば大層珍しいことで、日の光の眩しさから逃れつつ無意識に辺りを弄った彼は、何かが足りない……と、寝ているような、目覚めたような、ぼんやりとした思考の中で思い。
「…………セツナ……?」
不意に彼は、夢現の中、何が足りないと感じたのかに気付いて、ベッドより起き上がった。
傍らを眺めてみれば、夕べ……と言うよりは夜が明ける頃、確かに抱き締めながら眠った筈の、セツナの姿はなく。
セツナがいた場所に、そっと触れてみれば、そこはもう冷たく。
「セツナ?」
跳ね起きるようにしながらカナタはベッドより出て、客室を見渡した。
「──呼びましたー? カナタさん。起きたんですか?」
と、声高気味だった彼の呼ぶ声が届いたのだろう、浴室の扉が開いて、ひょいっとセツナが顔を覗かせた。
「おはようございまーす。良く寝てましたねー。僕より先にカナタさんが起きないなんて、滅多にないのに。──ほら夕べ、鏡割ったまんまにしちゃったじゃないですか、だから、片付けようと思って…………って、カナタさんっ?」
扉の向こう側から、首だけを覗かせた彼は、室内の直中に、カナタが立ち竦んでいるのを見付け、にこっと笑いながら話し出し、が、その途中で、ダッと駆け寄って来たカナタに抱き締められて、声を裏返させた。
「……ど、どーしちゃったんです……?」
「君が勝手に消えるから」
「…………勝手に、って、一寸お風呂場…………。────あー……。そーゆー質でしたか、カナタさん……。そんな処あるなんて、意外でしたけど。って言うか、夕べの今朝ですもんね。あ、ってことは、僕がマズかったってことですよね」
大切なものを、取り戻すような、慌てて仕舞い込むような、そんな仕種で抱き締めて来た人に驚いて、セツナは目を丸くしたけれど、カナタの態度と台詞に、くるくると思考を巡らせ、御免なさい、とカナタを抱き返した。
「君が謝るようなことじゃないんだけどね……。まあ、一寸……」
抱き返して来てくれた温もりに、カナタはほっと安堵を窺わせた。
「……もう、大丈夫ですか……?」
「────多分」
「『幽霊さん』……達は?」
「相変わらずだよ。相変わらず、『そこ』にいる。……相変わらず、僕を咎めてる。……ま、いいよ。取り敢えずは気にしないようにするから」
──セツナに抱き返されて落ち着きを取り戻したのか、ゆるりと腕の力を抜き始めたカナタに、ほわ……っとセツナは笑って、何を思ったのか急に、そう言えば、『お化けさん』達はどうしました、と。
そんなことを尋ねた。
故にカナタは、ああ……と苦笑を拵え、未だ『その辺』にはいるけれど、そして、咎め続けて来てはいるけれど、気にしても仕方ないことだから、とあっさり『切り捨て』。
「僕が選んだことを、誰にどう思われようとも、僕には何も言えないし、言うつもりもない。……僕自身が選んだことだからね。それでも人間、反省くらいは出来る」
もう『そっち』も、多分大丈夫だと告げて、彼はセツナの頭を撫でた。
「ホントに?」
「ホントに。嘘なんて吐いてどうするの」
「…………カナタさん、そう言って、さらっと嘘吐きますからねー。──ああ、処で、これからどうしましょっか。何となく、トランの方まで来ちゃいましたけど……。……ほら、その…………あのー…………」
「──? 何……?」
「えーと……。あー…………。その、ですね。一応僕達……の関係は、何にも変わってはないんですけど、んと……──」
「──……ああ。見た目は変わらないけど、形は変わったよね。君は僕の、本当の恋人になってくれた訳だし。僕は君を、本当の恋人に出来た訳だし」
ぽふぽふと、セツナを撫でてみれば。
えへ、とセツナは微笑んで、これから先、何処へ行こうか、と言い出し始め、そしてそのまま、何かを躊躇い始めたから、くすくすとカナタは、彼の言い淀んだことを代弁した。
すればセツナは、瞬く間に呆れの色を頬に乗せ。
「……面と向かって言われると、結構……恥ずかしいんですが……」
「恥ずかしい、と言われても。僕は事実を告げただけだよ?」
「……………………カナタさん」
「……何?」
「正直に言ってもいいですか。……僕、カナタさんのそういう部分って、今までが今までですからね、わざとなのかも、って思ってたんですけど。カナタさん、元々から、そういう人だったんですね……。僕少し、認識改めます……」
疲れたようにセツナは、かくりと肩を落とした。
「セツナ? もしかして僕、貶されてる?」
「そうじゃありません……」
「あ、そう? ──で? どうでもいい話はこっちに置いておいて。晴れて、僕と恋人同士になった君は、何処か行きたい所でもあるの?」
別にー、いいんですけどー、と口の中でぶつぶつ言いながら項垂れたセツナに、カナタは機嫌を良くした風になって、無駄話はここでお終い、と話を戻した。
「…………あ、そだ。あのですね」
からかうようなトーンから、常のそれへと口調を戻したカナタの態度を受けて、あっ、とセツナも又、カナタを見上げ直した。
「今までも、して来なかった訳じゃないですけど。でも、改めて。百年前、デュナンのお城を出た時みたいに、僕はちゃんと、行くべき所へ行きたいんです。カナタさんと一緒に。…………だから、カナタさん。百年振りに改めて、そこへ向かい始める為に、連れてって欲しい所があるんです」
「それは別に、構わないけれど……。何処へ?」
「──百年と、一寸前。一人でグレッグミンスターを出たカナタさんが、どうしても、『行けなかった』場所」
「………………いいよ。君が、そう望むなら。……その代わり。それが終わったら、僕も君に付き合って欲しい」
僕を伴って、向かって欲しい、とセツナが乞う場所を問えば、百年と少し前、己には向かうことの叶わなかった場所、と言われ。
カナタは瞬き程の間、何かに想い巡らせたが、こくり、と頷き。
その代わりに、と、『引き合い』を出した。
「え? 何処ですか?」
「……キャロ」
「…………はい」
セツナが行きたい、と言った場所に、カナタが頷いてみせたように。
キャロへと行きたい、そう言ったカナタの『願い』に、一瞬だけ戸惑いを見せた後、セツナも又、応えを返した。
「じゃあ、出掛ける支度をしようか。……ああ、そうだ、ここの御主人に謝らないと。鏡割っちゃったから」
「……あ、そですね。弁償物ですかねー。高いかなー……。お掃除代、とかも取られちゃいますかねー……。……稼いで下さいねー、カナタさん。交易でも、『魔物退治引き受けます』でも、何でもいいですから」
「…………世知辛い会話だねえ……」
「誰の所為ですか」
「……疑う余地もなく、僕の所為。でも、セツナー? 手伝ってくれたっていいじゃない、路銀稼ぐのくらい」
「そりゃ、手伝いますけどね。手伝いますけど……。──あ、そうだ。久し振りに、手合わせしてくれたら、手伝いますよ、喜んで」
「………………君、未だ懲りてないの?」
「懲りる訳ないでしょう。僕、百年間、いっっっっっっっっ……かいもっ、カナタさんに勝てた試しないんですからっ! くぅぅやしーーーーったら無いです、それ」
────『冥かった』夜を越えて。
再び、旅立とうと決め。
出立するのだと確かめ合うや否や、荷物を纏める手を動かしながら、二人は、他愛無い……と言うよりは、世知辛いことこの上ない話を始めた。
「そりゃね、幾らだって付き合ってあげるけど。僕に勝とうって言うのは……──」
「──やってみなくちゃ判りませんっ!」
「まあ、昔みたいに? 突っ込む度、腕一本でひっくり返されなくなっただけマシだけど?」
「あ、傷付きます、その発言」
「…………現実は認めようね、セツナ」
「……う…………。そ、ですね……」
そうして、支度を整え終えた彼等は。
手早く纏めた荷物を担いで、草臥れ、古ぼけた、各々のマントを羽織り。
再びの『旅路』を始める為、その部屋の扉を両手で開け放った。
End
後書きに代えて
……ラヴいですか? この二人。
──一応、収まる所には収まった二人ですが、それまでに百年を有するなんて。
気が長いにも程がある(笑)。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。