「………………ね、セツナ」
ぴとっと、何時もの仕種で寄り添った彼を、長らくの間大事そうに抱き締めた後。
カナタはセツナの顔を、優しく覗き込んだ。
「はい?」
「……キスしても、いい?」
「…………今更、何言ってんですか」
漆黒の瞳に、柔らかい色を乗せて見詰められ、クリっとセツナは薄茶色の目を見開き、次に続いた台詞に呆れた。
「今更、ではないよ。……多分、何度詫びても、足りないんだろうけど。僕にとって君は今まで、『モノ』だったからね……。君の……モノとしか看做さなかった君の意志なんて、窺い尋ねようとは思わなかったけれど……。僕が、僕の大切なモノに何をしようと僕の勝手……って。そんな横暴、振り翳して来たけど。もう、そうではないから。──キスをしても……いい……? 触れても、いいかな……。……許してくれる……? 君にキスをして、触れて……そして、抱いても」
が、カナタはセツナの呆れに、肩を竦めてみせて。
「変なトコ、馬鹿ですね、カナタさん」
戸惑いの気配を窺わせるカナタにセツナは一言、馬鹿、と言い放った。
「……あ、酷い言い種」
「だって、そうじゃないですか。カナタさんが僕のこと、どう想ってたとしたって、僕がカナタさんのこと好きだっていうのは、ずっと変わってないんですよーだ。だから別に、今カナタさんが僕にキスをしたって、今更嫌がったりなんてしませんってば。…………馬鹿ですねえ、カナタさん。……何にも、変わらないんですよ。もー五十年以上も毎日キスして来たんですから。ホント、今更ですってば」
「……そうかな」
「そうですー」
「…………じゃ、遠慮なく」
「……うわー、色気の欠片もありませんねー」
「あ、いいんだ? 思いっっっっっきり、色気込めても」
「…………う。そういう訳じゃ…………──」
『肝心』な処に知恵が廻らない、と、きっぱり言い切って笑ったセツナに、一瞬カナタは、顔を顰めたけれど、今日も、明日も、自分達は何も変わらないのだと告げたセツナの台詞に、何時もの調子を取り戻して。
「失言の責任は取るように。──それくらいの覚悟、あるよねえ、セツナ」
彼は、セツナの指先に、その指を絡め、開け放たれたカーテンの向こう側から、夜空の光射し込むベッドへ、小柄な躰を押し倒した。
「……あれ? じゃあ……」
カナタの重みを受け止めながら、抗いもせずセツナは倒れ、が、ん? と首を傾げる。
「じゃあ、何?」
「これから僕達、ホントの意味で『初夜』ですか?」
「…………色気がないのは、どっちなんだか…………」
始め掛けた蠢きを止めて、おや、という表情を作った彼を見遣れば、真面目な顔で問われ。
げんなりとカナタは、項垂れ掛けたが。
「……ま、いいか。『色気』なんて教えなかったのは僕なんだし。……これからしっかり、覚えようね」
「……………………お手柔らかに、お願いしますねー……」
「はいはい」
声を立てて笑ってカナタは、横たえたセツナを抱き留め。
「愛しているよ。これまでも、今も、これからも」
すっ……と瞼閉ざしたセツナに、唇を寄せた。
──『こうなって』みて初めて、判ることもあるのだと。
カナタと睦み合いながらセツナは、そんなことを考えていた。
古き百年と、新しき百年の狭間を過ごした、あの泡沫の時。
カナタがくれたモノは、本当に『優しさ』だったのだ、と。
それが、今になって漸く、この身の全てを以て、理解し得る、と。
セツナは、そう感じていた。
──人が思うよりも遥かに、躰は正直だ。
百年もの長きに亘り、カナタは己を、只の灯火としてしか、只のタカラモノとしてしか、見ていなかった、と言ったけれど。
泡沫のあの時彼がくれたモノは確かに、本当の『優しさ』だった。
……今になってやっと、判ったことだけれど。
────人が思うよりも遥かに、躰、という物が、正直に出来ているなら。
カナタは、泡沫の時を過ごす以前より既に、何処かで確かに己のことを、認めていてくれたことになる。
……だというなら。
そうだ……というなら。
僕はもうきっと、儚くなんて笑わなくて済む……と。
セツナは、カナタに抱かれながら想った。
この人はもう二度と、『熱』ばかりを求めはしないから。
僕の瞳からはもう、涙なんて溢れない、とも。
…………歓喜、という意味での涙は、これからも沢山、溢れるのだろうけれど。