カナタとセツナ ルカとシュウの物語

荒野あらの

その子供達は、未だ自分が本当に幼かった頃、父にせがんで枕辺で読んで貰った絵本の中の。

…………そう、皇帝陛下の為の、延いては、祖国・赤月帝国の為の任務に忙殺されていて、滅多には、「絵本を読んで欲しい」……などと、子供の我が儘を振り翳してもねだれなかった、『自分の父』としてだけ在るのを望むこと叶わなかった父の、膝の上に抱いて貰って。

眠ってしまいたくなるのを我慢しつつ覗き込んだ、父の手で以て開かれた、絵本の中の頁の。

挿絵に描かれていた、泣きじゃくる子供達の姿、そのもの、だった。

童話の中で語られていた、悪い魔法使いに酷い目に遭わされて、泣くしかなかった子供達、そんな、架空の者達の姿と。

その子供達の姿は、彼、カナタ・マクドールの目には、重なって見えた。

切っ掛けは、他人から与えられたことだったとは言え、自らの意思で、祖国を解放する為の戦いに、カナタが挑み始めてから。

一年と、数ヶ月程が過ぎた。

謂れのない罪で、彼が従者達と共に、平穏に暮らしていた故郷の街、グレッグミンスターを追われて、トラン解放戦争に関わり合いを持ち、その果て、解放軍の軍主となってから。

一年と、数ヶ月。

…………たった、それだけの月日のみが、過ぎた。

──己に掛けられた、謂れのない罪は兎も角。

理不尽な理由で行方が判らなくなってしまった親友や、巡り会うこと叶わない、最愛の父や。

赤月帝国五大将軍、テオ・マクドールの嫡男として、幸せに故郷で暮らしていた、あの頃を。

……一言で言うならば、今を遡ること、一年数ヶ月前の、『全て』を。

何としてでも取り戻したい、そう願って、その為の、己自身の戦いと、祖国の為の戦いとに、カナタは寝食すら忘れる程没頭して、これまでの刻を、駆け抜けるように過ごして来た。

けれど。

いまだ、何時しか腐敗してしまっていた、倒すべき相手の赤月帝国は、このトランの大地に在り。

今、ここに立っている己の、指針を示してくれた、初代解放軍軍主・オデッサも。

物心付く前から、実の母のように尽くしてくれた、従者・グレミオも。

再び、その許へ辿り着きたいと、切に願った、父・テオも。

取り戻す、その為に、この戦いさえ駆け抜けさせて来させた、親友・テッドも。

全て、彼の手からは消えた。

オデッサを亡くし、けれど軍主の跡目を継いで。

自分を守る為にグレミオが逝ってしまっても、立ち止まらず。

最愛の父を、自らの手で討ち滅ぼしても、唯、前だけを向いて…………と。

カナタは、そうやって、この一年数ヶ月の道を、一人歩いて来たのに。

先日、協力を仰ぐ為に、竜洞騎士団の砦を訪れた際赴くことになった、シーク、という名の水晶谷で、彼は。

親しい人達ばかりを亡くし続けて来た彼の、最後の希望であり最後の心の拠り所であった、テッドをも亡くした。

幾百の昼と夜を、急くように駆け抜けたのに。

彼の手には、何一つ……否、黄金の都と名高い故郷、グレッグミンスターを後にしたあの夜、テッドより託された、魂喰らいの紋章、ソウルイーターしか、残らなかった。

…………だから。

──軍閥の家系に生まれた彼だから、誰に何を言われずとも、一軍の長となった者が取るべき態度、というものは、幼い頃から肌で理解していたし、実際に解放軍軍主となってからは殊更、彼は、『旗頭』である者の有り様を、誰にも文句を付けさせぬ程完璧に、こなしては来たが。

テッドを亡くしてから未だ数日しか経っていないその日──竜洞騎士団の砦から、解放軍の居城へと帰還した翌日は流石に、どうしても、一人きりになりたい、との気持ちを押さえ込めず。

一寸、息抜きしてくるから、と。

笑顔を携え、『こうなる』以前より共に暮らしていた、クレオにのみ告げて、ふらり、トラン湖に浮かぶ城より抜け出した。

……取り戻したいモノを取り戻す、唯、それだけの為に。

ひたすらに、急いて来たのに。

テッドすら、この世界から消えてしまった。

立ち止まるつもりなど、毛頭ないけれど。

己の中には、『覚悟』という言葉が在って、自ら選んだ道を、自ら立つと決めた場所を、嘆くことなどするつもりもなく、故に、駆ける速さも、変えるつもりはないけれど。

少しの間だけでいいから、一人きりになれれば、そう思って。

瞬きの魔法を操る少女、ビッキーに頼み、転移して貰って。

カナタは、トラン西方の、小さな村辺りを訪れてみた。

トランの西方、ロリマー地方ならば、この辺り一帯を治めていた将軍、ミルイヒ・オッペンハイマーの支配からも、ミルイヒの跡を継いだ将軍──けれどその実体は、四〇〇年の刻を生きた吸血鬼だったネクロードの支配からも、解放されているから。

少なくとも今は、一応穏やかだろう、と。

例え、数刻程の間でしかなくとも、一人きり、という贅沢を、誰にも邪魔されずに得られる、と。

そう思って、彼は、その地を選んだ。

だが、竜洞騎士団の領地へ赴く直前に行った軍議の席で、レパントが報告していたように、帝国の支配を、ほぼ完全に抜け出したロリマー地方でも、未だに、帝国軍の手による、反乱勢力への迫害は続いているようで。

ロリマーの辺りなら何処でもいいから、と、いい加減なことをビッキーに告げて転移して貰った場所より、程ない所にあった小さな村は、昨日焼き討ちされたばかりのような、惨状を晒していた。

それ故。

痛ましい姿のその村を見付け、眉を顰めたカナタは。

焼け爛れた集落の中へと入り込んで、生き残っている者はいるかと、探し歩き。

……結果。

遠い昔に見た、絵本の挿絵の中の子供達のように、泥や煤に塗れて泣きじゃくっている、幼子達と巡り会った。