カナタとセツナ ルカとシュウの物語
『End』
口を開かせれば、兎に角、はいはい、とうんざり答えたくなるような台詞を、何処となく、母親のそれ……とも思えるトーンで語り続ける、口煩い付き人に。
「宜しいですか? 坊っちゃん。今夜は、早くお休みになって下さいね。夜更かしなんてしちゃ駄目ですからね。明日は、坊っちゃんにとって、大切な大切な日なんですから」
夕食後、そんな風に告げられて、食休みをする間も与えられぬまま、風呂へと追い立てられ。
湯から上がってみれば今度は、はいはい、お休み下さい、と自室へ追い立てられ。
「本当に、うるさいんだから、グレミオは…………」
綺麗に整えられた己がベッドの掛け布を、ほんの少しだけ剥ぐってそこへ腰掛け。
夜着姿のまま、カナタ・マクドールはぶつぶつと、つまらなそうに独り言を洩らした。
……明日、己が、故国・赤月帝国の『頂点』であるグレッグミンスター城に、帝国の五大将軍である、父、テオ・マクドールと共に参内する予定になっていることなど、幼い頃からずっと一緒だった、付き人のグレミオに、耳を塞ぎたくなる程繰り返されずとも、充分過ぎる程判ってる、と。
「明日、か……」
窓の向こうの景色を遮る、カーテンの布地を見詰めながら、カナタはぼんやりと思う。
────彼は、今年。
齢十七になった。
だから本来ならば、もう疾っくに、皇帝陛下であるバルバロッサ・ルーグナーに、目通りを叶えていても良い年齢で。
この帝国の、上級貴族の子息達は大抵、齢十六の声を聞く頃には王宮に上がるから、それを考えれば、カナタが明日、父と共に初めて、皇帝への目通りを、と云うのは、遅過ぎる『事の仕立て』なのだけれど。
この家にはこの家の、少々複雑な事情、と云う物があるから。
「ああ、もう……。こんなことばっかり考えていたら、眠れなくなるのに……」
明日、迎えることとなった、『晴れの日』に付いて考えてみたり。
この一年、同じ貴族の出の、『そこそこの友人』達──正しくは、知り合い、と云うのかも知れない──が、自分を追い抜いて行くように、父や母と、宮中へ上がる姿を見掛けたり、そんな話を耳にする度に覚えた、悔しいとも言えるし、羨ましいとも言える、如何とも例え難い感情を、思い出したりして。
このままでは、眠れなくなる……とカナタは、腰掛けていたベッドから立ち上がって、カーテンで覆われた窓辺に立った。
伸ばした手で、僅か、布地の合わせ目を揺らせば、その向こう側に、『黄金の都』と名高い、故郷・グレックミンスターの美しい町並みが、未だ灯る家々の灯
「でももう……明日には。僕も……ね」
カナタは、故郷の風景を見下ろしながら。
胸の中に過っていた、靄の掛かったような想いを、誇らし気なそれへ塗り替えた。
「………………どうしよう。本当に、眠れなくなった……」
──霞掛かった『負』の想いを、誇らし気なそれへと移し替えたはいいが。
その所為で、益々彼は、眠気を何処かへ置き去りにしていまい。
困ったな……と。
美しい町並みを眺めながら、しかめっ面を作る。
浮き足立ってしまった己を諌める為に、暖かい飲み物を求めて階下へ降りても、眠気は蘇って来ないだろうし、第一、そんなことをしたら、又、グレミオに嗜められてしまいそうだし。
今宵は親友のテッドも、自分の家へと帰ってしまった後だから、彼と喋って、気を紛らわすことも出来ないし。
かと云って、こんな状態で本なぞ読んでみても、何の益にもならぬしと。
カナタは、唯。
町並みを見下ろしながら、困り果てた。
……だが、その時。
何処となく控えめな、ノックの音が沸き起こり。
「……はい」
そのノックの仕方で、施した人物を、直ぐに思い当たった彼は、どきりと一度、鼓動を高めながら、ゆっくり、扉を振り返った。
「未だ、起きているか? カナタ」
──応えを受けて、扉を開け放ち、そう言いながら入室して来たのは。
彼が思い描いたように、彼の父、テオ・マクドールだった。
「父上。何か?」
故に彼は、にこっと微笑みながら窓辺を離れ、一歩、父の傍へと寄った。
「お前でもな。流石に、眠れないのではないかと、そう思って」
「ええ、まあ……。その……申し訳有りません、父上」
大好きな……大好きな、父へ。
明日、共に城へと向かう、父へ。
少しばかり近付いてみれば、眠れないのだろう? と言い当てられ。
カナタは困ったように、父より視線を外した。
「そんな風に、言わずともいい。…………実を言うとな。私も、初めて宮中に上がることとなった前夜は、眠れなかった。だから、カナタ。眠れないと言うなら」
己の今の状態を父に当てられ、腑甲斐無い……と眼差し逸らした息子に、テオは笑いながら告げると、ちょいちょい……と、貴族らしからぬ仕種で、カナタを手招いた。
「…………? 何ですか?」
「付いて来い。……ああ、グレミオに知られるとうるさいから。静かにな」
手招かれ、父へと近付いてみれば。
扉近くに据えられた、書き物机の椅子の背に掛けたままあった部屋着を、ふわりと手ずから着せ掛けられ。
父の意図が判らず、カナタは首を傾げたけれど。
グレミオにばれぬように付いて来い、と言われ。
黙って頷き、彼は、踵を返した父の後を、足音を忍ばせ、追った。