言われるまま、父に付き従ってみれば、向かうこととなった先は、階下へと続く階段の向こう側にある、父の自室で。
家主の部屋らしく、立派で広い作りをしているその部屋の、中央に設えられた応接の椅子に腰掛けるように促され。
「何か、お話でも?」
命ぜられるまま、そこに腰を下ろしながらカナタは、何か話があるのかも、と、背筋を伸ばした。
「……いいや。別に、取り立てて、お前と話をしようと思った訳ではなくてな」
が、テオは。
何をそんなに固くなる、とでも言いたげに破顔し。
「気が付けば、お前ももう、十七だからな。…………これを勧めるのは、早いと言えば、早いが。もうそろそろ、眠れない時、『こう云う物』に頼ること覚えさせるのも、悪くはなかろうから」
部屋の片隅から、テオは。
こっそりと隠してあったような風情の酒瓶を取り出し、やはり、何処からともなく引き摺り出して来たグラスを二つ、カナタの眼前のテーブルに揃え。
琥珀色の液体で満たしたグラスの一つを、ほら、と息子へ差し出した。
「…………お酒、ですか?」
「ああ。悪い物ではないぞ? ──世の中でこいつ程、値段と味の釣り合いが取れている代物もない。安酒が、悪いとは言わんが……まあな。旨い物の方がいいだろう? お前だって」
勧められるままに、そのグラスを取り上げても良いのかどうか、揺れる琥珀色を眺めながら、カナタが戸惑えば。
テオはさっさと、自分の為のそれを取り上げながら、悪くはない酒だ、とカナタを煽った。
「じゃあ……。少し、だけ……」
「別に、飲めると言うなら、これ一本、空けて行こうと構わんぞ? 明日に差し支えなければ、の話だが。…………ああ、そうそう。グレミオには言うなよ。説教を喰らうからな。知られたら絶対、部屋に酒精を隠してとか、寝酒なんて、飲み過ぎるのが相場だからいけませんとか、あいつに捲し立てられるに決まっている。……口煩いからなあ、グレミオは。……あー、そう云う訳だから。すまんな。水も氷もなくて」
「……いえ、そんなことは、別に……。──グレミオも、飲ませれば強いのでしょう? この間、父上と二人、何処かで宴会をして帰って来たじゃないですか。なのに、父上が家で飲むことに、目くじら立てるのですか、グレミオは」
「まあな。飲み過ぎる、私も悪いのだろうけれど。…………そう言えば、お前も知っているだろう? 私の部下の、アレンとグレンシール。あの二人にも、嗜められたことがあったな、飲み過ぎだ、と」
「そんなに、お強いんですか? 父上」
「それなりには、だ。底抜けに、と云う訳じゃない。……結局一度も、『旧友』には勝てなかったしな。伝説の剣士と名高かった、『旧友』にだけは。──私が、そこそこ酒を嗜むのは、家系だ。だからお前も、強い筈だぞ? ……私の、息子なのだから」
────少しばかり、強く酒を勧めてやれば。
漸う、カナタがグラスを取り上げ、口を付け始めたから。
機嫌を良くしたようにテオは、饒舌になり。
カナタよりも、遥かに早いペースで、グラスの琥珀を空け。
空いたグラスに、又、酒精を注ぎ足し。
「………………カナタ」
彼は、息子を呼んだ。
「……はい」
「明日、だな」
「…………ええ」
「一年。……余分に、掛かってしまったな」
「そんなこと。僕は別に、気にしてません。……構いません。父上と共に皇帝陛下にお目通りするのが、一年ばかり遅れた処で、どうと云うことなど。……父上と同じように、帝国の軍人になれるなら、今はそれだけで、僕は満足ですから」
呼ばれた、彼は。
酒のグラスを、両手で弄んで。
俯き加減のまま、答えた。
「…………それは、本心か?」
だが、テオは、カナタの答えに問い掛けを返し。
「……え?」
「お前は、本当に。私の跡を継いで、帝国軍人になりたいのか?」
「……? ええ、そうですよ、父上」
問われたカナタは、訝し気に首を傾げた。
「…………そうか? なら、いいが。…………小さい頃から、お前は。大きくなったら何になりたい、と云うようなことをな、言わぬ子供だったから。明日を迎えた今宵になって……こんなことを尋ねるのもどうかと思ったが……お前はそれで満足なのかと、少し、気になった」
すれば、父は。
『問いの理由』をそう告げ。
「僕は………………。────いえ、何でも…………」
何かを言い掛け、カナタは、言葉を飲み込んだ。
「何だ? カナタ。お前は今、何を思う? ……私の前で、遠慮することもなかろうが」
「……でも…………──」
「──最近のお前は、何時もそうだな。この世でたった一人きりの、父と子なのに。何処となくお前は、私の前では畏まる。……もう少し子供だった頃は、散々悪戯をしてみせて、私を怒らせもしたと云うのに。……カナタ。最近の私は、お前の前では、恐いだけの父親だったか?」
彼が、刹那言葉を飲み込んでしまった、その事実へ。
テオは、溜息を零した。
「いえ……。そうじゃありません」
だから。
父の溜息を受け、カナタは弾かれたように、伏せ加減だった面を持ち上げ。
同じ、漆黒の瞳で父を見詰め。
「…………あの……父上?」
「何だ?」
「……本当はもっと。ずっと、その…………『立派』になってから、言いたかったんですけれど……。父上……僕は…………──」
カナタは。
意を決したように、口を開いたけれど。
「何をなさってるんですか? お二人共」
彼の声に被さるように、ノックの音がして、音共に扉は開き、呆れたような声音が、室内に響いて。
「テオ様も、坊っちゃんも。一寸目を離すと、これなんですから」
するり……と云った感じで、盆を携えたグレミオが、姿現した。
「お水も氷も使わないで、お酒なんて飲まれたら、明日に差し支えてしまいますよ。…………程々で切り上げて下さいね、お二人共」
テオとカナタが、こうすること判っていたとでも云う風に、満たされた水指しと、溢れんばかりに氷の入ったアイスペール、そして、細やかなつまみの乗った皿、それを盆ごと、テーブルの上に些か乱暴な素振りでグレミオは置き。
「又後で、覗きに来ますからねっ」
腰に手を当て彼は、ギロッと二人のことを睨み、やれやれ……と肩を揺らして、辞して行った。
「…………………父上?」
「……何だ?」
「ばれちゃいましたね」
「…………そうだな。これで又、酒の隠し場所を、変えなければならなくなった」
──唐突に現れたグレミオが、戻って行った後。
父と子は、暫し無言で見詰め合って。
くすくすと、笑い。
又、それぞれ、それぞれのグラスを、傾け始めた。