──それから、小一時間程が過ぎて。

秘蔵の酒が、半分程消えた頃。

交わされていた、他愛無い、親子の日常会話が、不意に途切れたのに気付き。

「カナタ? …………カナタ?」

テオは、対面に座る息子へ呼び掛けた。

「……ん……。は……い……?」

父の声に、カナタは一応、応えはしたものの。

俯いたまま洩れるそれは、余りにも辿々しい応えで。

「酒が廻って来たか? そろそろ、休むといい。もう少しで、日付けが変わる」

コトリ、とグラスをテーブルに置き、立ち上がったテオは、顔を覗き込むべく、カナタの傍らに片膝を付いた。

「…………そう、します…………」

父の言葉に、答えるだけの気力はあるようだが、何時も通り、しゃんとした姿を見せることは、叶わぬようで。

グラスを手放しながらもカナタは、何処か、ヨロヨロとしたような緩慢な動きで立ち上がろうとして…………失敗した。

「大丈夫か?」

「……ええ、まあ…………。────そ、の……。父上、や……グレミオには内緒、で……テッドと……飲んだことがなかった訳じゃ……ないんです……けど……。このお酒、は……初めて、で…………」

──段々と、酔いが酷くなり始めたのだろうか。

腰を浮かせ掛け、がバランスを崩し、つんのめりそうになった処をテオに支えて貰い、言い訳のつもりだったのか、言わずともいいことを、カナタは自白する。

「……だろうな。お前とて、その歳になって一度も、『悪さ』の一つしたことがないとは、私も思わんよ」

「………………御免、なさい……。『父様』……」

「謝らずともいいから。休みなさい。……一人で部屋に、戻れるか?」

己に縋ったまま、カナタが歩めずにいることと。

今よりも未だ、もう少し幼かった頃、自分に対して使っていた呼び方を口にしたことを受けて。

テオは、懐かしそうに忍び笑い、息子を支え続け。

「仕方ない。飲ませ過ぎたのは、私だからな」

静かに囁くと。

父上、でも、父様、でもなく。

本当に幼かったカナタが、パパ……と自分のことを呼んでいた、『あの頃』のように、ひょいっとテオは、幼子さながらに、カナタを抱き上げた。

「……父様…………。僕、もう、十七に…………」

「そうだな。今は、唯の酔っ払いだが」

未だ辿々しく歩く子供が、父親に抱き上げられる様そっくりに抱えられたことを知って、カナタは抗議めいた一言を呟いたが。

テオは聞く耳を持たず、少しばかりしんどそうに、カナタを担いだまま部屋を出。

「……………父様……?」

「何だ?」

「……ずっと……言えなかった……だけなんです…………。恥ずかしくて……。父様……僕は、貴方の、ような………………────

諦めを付けたのか、カナタは大人しく、テオに担がれるまま廊下をやり過ごし、自室へと運ばれ。

トンと座らされたベッドの上で、焦点の合わなくなり始めた瞳で、徐に父を見上げ。

──貴方の、ような。

そう、言い掛け。

その先を告げず、もぞもぞ、それが本能とでも云うように、ベッドの中へ潜り込んだ。

「お休み」

──故にテオは、瞬く間に眠ってしまった息子を、暫し眺め。

貴方の、ような。

……その先に続く筈だった言葉は多分……と。

それだけに思い馳せながら、もう、カナタには届くことない一言を告げ、部屋の灯りを落とし、己が部屋へと戻って行った。

…………聞き損ねた、台詞。

伝え損ねられた、台詞。

それは、恐らく。

たった一人の息子、カナタが。

『大きくなったら』……と、望んでいただろうこと。

たった一人の息子、カナタへ。

『もしも、望んでくれるなら』……と、自分が願っていたこと。

それ、なのだろう。

何時か、叶う、ものなら、と。

互い、言葉にはせず、想い続けて来たことなのだろう……と。

そう考えながら。

テオは静かに、自室の扉を閉ざし。

『明日』を迎える為に、就寝の支度を整え始めた。

────赤月帝国暦二二六年。

黄金の都、と名高い、麗しき、グレッグミンスターの一角を占める、瀟洒な館にて。

父と子が、初めて共に、酒酌み交わした夜を越えた翌日。

赤月帝国・五大将軍の一人、テオ・マクドールの嫡男、カナタ・マクドールは、父と共に王宮に上がり。

それより過ぎること、約二年の後、帝国最後の皇帝として、この世を去ることとなったバルバロッサ・ルーグナーへと目通りを果たし。

赤月帝国の、軍人の一人となった。

テオ・マクドールにとっても、カナタ・マクドールにとっても、晴れ晴れしく、誇らしいと言えた、その日が。

彼等に残された『最後の幸福』であったとも知らず。

もう二度と、『幸福』の中にいた全ての人々が、揃って笑顔を見せ合える刻来ぬことも知らず。

『あの夜』が。

父と子、二人だけで、酒を酌み交わすこと叶った、最初で最後の夜となることも、無論。

何も彼も、知り得ることないまま。

暖かい、思い出だけを胸に。

彼等は、晴れやかな日を、唯、晴れやかさの中でのみ過ごした。

『幸福』に終わりを告げる、Endの幕が。

その時には、もう、降りてしまっていたのに。

『最後の幸福』の日より。

幾つもの、昼が過ぎて。

幾つもの、夜が過ぎて。

幾つ目かの昼が、やって来た時。

彼等が辿る運命を、『世界』は知っていたのに。

終わりを告げる、Endの幕は、もう。

彼等親子を分つように、降りてしまっていたのに。

『最後の幸福』は、余りにも幸福過ぎて。

『最初で最後の夜』は、余りにも暖か過ぎて。

──貴方の、ような。

……その、続きにある筈だった。

父が、聞き損ねた、台詞。

息子が、伝え損ねた、台詞。

それが、音とされる日は、決してやっては来ないのに。

彼等は、唯、何一つとして知らず。

『その日』を過ごした。

…………終わりを告げる、Endの幕は、もう。

『世界』の全てを覆っている、と。

『世界』は確かに、知っていたのに。

End

後書きに代えて

私の書く坊っちゃん──カナタは、解放戦争が始まる前と終わった後では、性格のとある一点のみに、一点のみだからこその激変があり、且つ、おとーちゃんの前では、えっっっっらいこと従順な子なので、どうしようかな……とは思ったんですが。

ちと、己の中の誘惑に負けました。

まあ……戦争前でも後でも、基本的な性格に変化はないんですけどもね。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。