カナタとセツナ ルカとシュウの物語
『鏡の中の(トラン編)』
赤月帝国五大将軍が一人、テオ・マクドールの一人息子であり、自身も、帝国皇帝バルバロッサ・ルーグナーへの拝謁を済ませた帝国軍人の一員であったにも拘らず、彼──カナタ・マクドールが、祖国の解放運動に身を投じたのみならず、今は亡きオデッサ・シルバーバーグの後を継ぎ、トラン解放軍二代目軍主の座に就いてより、丁度半年が経った。
彼にそんな運命を辿らせる切っ掛けの出来事が起こった、帝国首都でありカナタの故郷でもある帝都グレッグミンスターに、冷たい嫌な雨が降り頻ったあの夜から数えれば、既に八ヶ月と少し。
着せられた謂れなき罪の所為で、追われるようにグレッグミンスターを後にしたあの頃、十七だったカナタは、その間に齢を一つ重ね十八となり、解放軍が本拠地と定めた岩だらけの城の建つトラン湖の孤島は、春の盛りを迎えていた。
オデッサ・シルバーバーグが軍主を勤めていた当時よりも、更に大きな力を持つ一団として成長しつつある現在の解放軍の様は、迎えたばかりの花咲き誇る季節同様、一見は華々しかったが、外からは窺えぬ本拠地の裏側は、孤島を取り巻くうららかな季節の風情も、傍目には隆盛と映る華々しさも裏切る、厳しさに満たされていた。
先頃、戦に敗北を喫した所為で。
────先月の始めの、未だ季節が早春だった頃、解放軍は、オデッサが軍主時代に拠点としていたレナンカンプの地下壕が帝国軍に襲撃された時より行方不明だった、副リーダーのフリックと、彼が率いてきた手勢との合流を果たしたが為、帝国五大将軍が一人、ミルイヒ・オッペンハイマーが統治する西方を開放すべく、手始めに、西方──クナン地方への関所であるガランの城塞を攻め落とし、領地に於けるミルイヒの居城、スカーレティシア城にての戦いにも挑んだのだが、毒の花粉を撒き散らす、過ぎる程に巨大な深紅の薔薇という、それを目撃した解放軍の誰もが目を疑った、ミルイヒの『秘密兵器』とでも言うべき代物の前に敗北し、ガラン城塞への撤退を余儀なくされた。
その為、スカーレティシア城を陥落させるには、ミルイヒが「アントワネット」と呼んでいた巨大過ぎる謎の薔薇を何とかしなければならない、と思い知らされたカナタ達は、クナン地方へ潜入し、潜り込んだリコンの町──現在の統治者であるミルイヒに曰く、プルミエ・ラムールと改名したらしいが──にて、人々に、如何なる病でも治す名医、神医、と言わしめている、リュウカンの噂を耳にした。
誰もが名医と讃える、医術にも薬学にも長けている人物ならば、あの謎の巨大薔薇でも……、と期待した彼等は、リコン在住の船大工のゲンや、錬金術師のカマンドールの手も煩わせて何とかリュウカンの庵を訪れたのだが、一歩及ばず、目の前で、ミルイヒに医師を連れ去れてしまい、剰え、投獄された者は二度と生きては出られぬとの悪名高い、ソニエール監獄に彼を捕われてしまって。
…………故に現在、解放軍本拠地内は、スカーレティシアにての敗北が齎す重苦しさや厳しさに満たされたままで、そんな中、本拠地に帰還したカナタ達は、正軍師のマッシュ・シルバーバーグに、城内を覆う重苦しさを増すだけの成り行きを辿った、事の仔細を伝えていた。
「────……という訳でね」
「そうですか……。リュウカン殿が……」
本拠地四階に位置する議場にて、帰城した自分達を出迎えてくれたマッシュに、カナタが事情を告げ終えた途端、彼は唸るように言った。
「ミルイヒ・オッペンハイマーめ……」
「ったく、碌でもないモノ拵えてくれた挙げ句、こっちの唯一の頼みの綱の、リュウカンまでソニエールに放り込みやがって……」
表情こそ、常に湛える穏やかなそれのままだったが、声音には、「リュウカンの件が後手に回ってしまったのは頂けない」とでも言わんばかりの色を滲ませたマッシュをチラリと眺め、カナタと共にリコンに潜入していたフリックと、傭兵のビクトールは、ブツブツ、ミルイヒヘの悪態を吐いたが、
「アントワネットねぇ……。確かに彼は、殊の外薔薇の花を愛しているし、渾名も薔薇将軍だけど、一寸悪趣味が過ぎると言うか。……どうやって栽培するんだろう、あの謎な巨大薔薇。一寸知りたいような……」
「…………坊ちゃん。変な物思いに耽るのは止めて下さい」
「…………カナタ殿。その手の探究心も程々に」
文句たらたらな傭兵達を他所に、カナタは一人、謎な巨大薔薇・アントワネットの栽培方法に思い馳せてしまったらしく、思わず洩らされた彼の独り言に、すかさず、彼の従者のグレミオと、マッシュが揃って突っ込んだ。
「一寸した好奇心だよ。聞き流してくれればいいのに……。──それよりも、マッシュ。リュウカン医師を、ソニエールから脱獄させる手段に心当たりは?」
眼前のマッシュと、真後ろに控えるグレミオから一度に嗜めを喰らい、カナタはぺろりと舌を出して一同を誤摩化すと、顔付きを変えた。
「その件でしたら、私に良い考えがあります。暫しお待ちを」
時折、或る意味質の悪い一面を垣間見せることもある、若い軍主を困ったように見遣ってから、悪戯っ子のような風情から一転、軍主然となって問うてきた彼に、良い考えが、と言い残し、マッシュは議場を後にする。
「何でしょうね、マッシュさんの言う『良い考え』というのは」
「蛇の道は蛇、って辺りのことじゃないかな、多分。マッシュだしね」
彼が去って直ぐ、グレミオは、僅かばかりカナタへ寄ってボソボソと小声で囁き、又、悪戯っ子のような気色を少々だけ覗かせたカナタは、ケロリと言って退けた。
「アンティの町──あー、確か今は、ビィル・ブランシェに変わった筈ですが」
解放軍内では、軍主の過保護な保護者として有名な従者と、軍主としての顔の裏側に、年相応な部分も隠し持つ若き主とがブツブツボソボソ語らっていた間に、マッシュは何処より戻って来て、
「そこに、偽印造りのキンバリーという女がいる筈です。彼女と、代書屋のテスラという男を仲間に引き入れましょう。キンバリーは私の知り合いです。ここに手紙を認めておきました。これを渡せば仲間になってくれる筈です」
僅かの時間で綴れた程度の手紙なのに、本当にそれで、偽印造りの女や代書屋を味方に出来るのか? と、ビクトールやフリックやグレミオは内心で疑った書状を、カナタに手渡した。
「やっぱりね」
だが、カナタだけは甚く納得した風に、ぽつり呟く。
「やっぱりね、とは、何がですか、カナタ殿?」
「ん? やっぱりマッシュは、『色々なこと』を能く知っている、という話」
その呟きを聞き留めて、不思議そうに首を傾げたマッシュを微笑みで誤摩化し、カナタは、受け取った書状を懐に仕舞った。
「それじゃあ、アンティに行ってくる。後、宜しく」
「はい。お気を付けて」
そうして彼は、ビクトールやフリックや、グレミオを引き連れ踵を返しつつ、マッシュへ向け、ヒラヒラと右手を振りながら、再び本拠地より発った。