「偽印造りのキンバリーさんという方と、代書屋のテスラさんという方を味方に引き入れるだけで、本当に、リュウカン医師をソニエール監獄から救い出せるんでしょうか」
「無理」
「え? 無理って、坊ちゃん……?」
「偽印造り師と、代書屋を連れて来るだけでは無理。でも、彼等の協力が得られれば、リュウカン医師をあの監獄から救い出す部隊を派遣することは出来る。……マッシュが言っているのは、そういうことだ。彼が、只の偽印造りと只の代書屋に助成を求める筈がないだろう? 恐らくだけど、キンバリーとテスラは、その筋の世界では────と呼ばれる者達の筈で、要するに、マッシュは彼等に、ソニエール監獄内へ立ち入る為の偽造書類か、偽の身分証を拵えさせるつもりなんだよ」
「あ、成程。そういうことなんですね。……って、それは兎も角。……坊ちゃん、何時の間に、そんな下品な世界の言葉を覚えられたんですか。何方かに、要らない話でも吹き込まれたんですか? 何方です? ビクトールさんですか? それともフリックさんですか? さもなきゃ、クリンさんとかバルカスさんとか……。……全くもう、ビクトールさんもフリックさんも、坊ちゃんに変なこと教えないで下さい」
「え? いや、俺は別に何も……。と言うか、何で俺達相手に……」
「……あのなー、グレミオ。お前、いい加減、カナタに対するその盲目っぷり、何とかしろ。お前の坊ちゃんは、到底、良家の子息が知ってる筈ない碌でもねぇことも、呆れ返るくらい能く知ってるぞ?」
「何を言い出すんですか、ビクトールさん! そんな筈ありません! 坊ちゃんに限って、そんなっ!」
────……と、そんな風に賑やかに好き勝手言い合いながら、カナタ達一行は、本拠地の地下階より、転移魔法を操る少女、ビッキーの手を借り一先ずテイエンという町に向かい、そこから、テイエンの西にあるアンティの町を目指した。
町を訪れて直ぐに住まいが判明したキンバリーの許を訪れ、文字が読めないと言う彼女に、依頼書の態を取ってはいるが、実体は脅迫文の如くだったマッシュの手紙を、猛烈渋い顔しながらグレミオが読み上げたり、仲間になる代わりに付き合え、とキンバリーが言い出した、彼女曰くの『結構いい男』なフリックを一晩生け贄に差し出したり、偽名を使って隠れ住んでいたテスラを、ビクトールが脅して無理矢理言うことを聞かせたりとして、目的を達成した一行は、町の門外に出、カナタが翳した瞬きの手鏡に導かれ、本拠地への帰還を果たしたが。
「……あれ?」
「何だ?」
ビッキーや、帰還魔法の生み手である老魔法使いヘリオンが占めている、本拠地地下階の一画に据えられている、帰還魔法の出口に当たる大鏡の中より抜け出たカナタとビクトールは、どうしてか後に続かないフリックとグレミオを振り返り、んーーー……? と揃って首傾げた。
「ええっと……」
どうして二人は、とカナタとビクトールが振り返った先には、当然、彼等が通り抜けたばかりの大鏡があり、その鏡面の向こうに、呆然と突っ立つフリックとグレミオがいて、「はて?」と益々首の傾きを深くしながら、カナタは、ツン……、と興味深そうに、大鏡の鏡面を指先で突いた。
「おい、まさか……」
「多分、そのまさか。閉じ込められちゃったんじゃないかな。──ヘリオン」
突っ突かれても、単なる鏡と同じ手応えしか示さない『魔法の鏡』に、ビクトールは顔色を変え、カナタは、ヘリオンを呼ぶ。
「はい」
「原因、判る?」
「……いいえ。私も、このような体験は初めてです。ですが、お二人がそこに見えているのですから──」
「──あ、そうか。判った。有り難う、ヘリオン」
帰還魔法の生み手である彼女も、出来事に暫し目を瞠ったが、深刻な事態とまでは言えない、とカナタを見遣って、見遣られた彼は、彼女の言葉半ばで、某かを会得した風に頷いた。
「カナタ? 判ったって、何がだ?」
「大鏡の向こう側の、不可思議な空間に取り残されたとは言え、フリックもグレミオも、確かに『そこ』にいるんだから、もう一度、ビッキーに何処かに飛ばして貰って、瞬きの手鏡で戻ればいいんだよ。そうすれば、多分だけど、二人をこちら側に連れ戻せる」
たったそれだけのやり取りで、一体何が納得出来た? とビクトールは不思議そうになったが、「恐らくは、そういうこと」と、カナタはさらりと言いつつ笑んで、
「……お。成程な。んじゃ、行くか。手間だが」
納得、と熊の如き体躯の傭兵は、素直に頷いた。
「ああ。……あ、そうだ。ビクトール、だったら、もう一回アンティに行こう」
「アンティ? 何でだ? たった今、帰って来たばっかじゃねぇか」
「リュウカン医師が投獄されてしまったのは、あのソニエールだから、少しでも事の運びを急いだ方がいいかと思って、一度は後回しにしようと決めたんだけど。どの道、何処かに行って帰ってをやらなければならないなら、折角だから、あの町を巡った時に知り合った、紋章師の彼女を口説きに行こうかと」
「紋章師? ああ、ジーンって、あいつか? だが、口説くって、お前……」
「だって。紋章師も本拠地内にいた方が、何かと便利だろう?」
「…………言えてるな。だから、『口説く』か。流石、人誑しな軍主様だ」
「お褒めの言葉、どうも。人誑しに徹しなければ、解放軍の軍主なんてやってられないからね。──ビッキー、アンティまで頼むよ」
そんな二人は、その程度のことで何とかなる問題だ、と気楽な感じで冗談すら言い交わし、再度、アンティの町へ飛んだ。
『……あ、そうだ。…………だった……アンティ……』
『…………でだ? ………………来たばっかじゃ……』
『……………口説きに────』
『……ああ、ジーンって……──』
カナタとビクトールが、実に軽い口調で言い合っていた最中、『帰還魔法の中』に取り残されたフリックとグレミオは、己達の行く手を阻む透明な壁──大鏡の鏡面の内側にしゃがみ込んで、残響を伴いつつ途切れ途切れに洩れ聞こえる二人のやり取りに耳貸しながら、真上を仰いで我が身を嘆いていた。
「坊ちゃん……。私やフリックさんよりも、ジーンさんが先なんですか……」
「……カナタもビクトールも、案外薄情だな……」
それぞれ、カナタ達に続いて大鏡を通り抜けようとした際、どうしてか失敗し、ゴビン、と透明な見えない壁に打ち付けてしまった額を押さえつつ、二人は、自身の不幸を嘆くと共に、カナタとビクトールの言い草に打ち拉がれる。
「フリックさん。失礼なことを言わないで下さい。坊ちゃんは、薄情なんかじゃありませんっ」
「いや、だって。実際、あいつらが言ってたことは、薄情以外の何物でもないだろう?」
が、グレミオは、落ち込みから一転、フリックの呟きに食って掛かり、俺は嘘は言ってない、とフリックは、始まったグレミオの『坊ちゃん贔屓』に顔を顰めた。
「そ、それは……。────いいえ! さっきのあれは、きっと、そういうことじゃないんですっ。坊ちゃんには坊ちゃんの深いお考えがあって、だからっ! 私達のことよりも、ジーンさんを優先しなくちゃならない理由があるんですっっ!」
「………………。……たった今、お前だって、俺達よりもジーンの方が先なのか、って泣きそうな顔してただろう……」
「ですから! さっきは、坊ちゃんには深いお考えが、というのに思い至らなかっただけで!」
「……あー、もういい。判ったから…………」
毎度のことながら、聞いているとクラクラしてくる程に『坊ちゃん贔屓』なグレミオの言い分に、やはり毎度のことながら、軽い頭痛を覚えたフリックは現実を指摘したが、却って相手の語気を強める結果を招いてしまい、彼は、「何でこんな羽目に……」と、益々我が身の不幸を嘆いて、グレミオのキンキン声から逃れるべく、ギュッと頭を抱えた。