カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『魔法使いの瞳』

コロリ、と。

何処となく、行儀が悪い風にベッドの上に寝そべって、笑い転げながら、薄い、一冊の書物を読んでいる親友の手許を、その時テッドは、本当に何気なしに、ひょいっと覗き込んだ。

……深い意味はなかった。

只、その風景の中に自分を収めることさえも、当たり前になってしまった部屋で。

当たり前になってしまった風景の中より、己以外に『もう一つ』、絶対に消えることない存在である親友、カナタ・マクドールが。

最近の彼にしては珍しい、と言える程、高い声を放ちながら笑い転げる内容がしたためられている本は、一体何なのだろうか、と。

それだけが気になったから。

テッドは。

赤月帝国、という名の国の。

帝都である黄金の都──グレッグミンスター、という名の都の。

帝国の貴族であり、五大将軍でもあるテオ・マクドールが主である、瀟洒なマクドール邸の一室、親友カナタの自室で。

カナタが開いている書物の背表紙に、ひょいっと目を走らせた。

「何読んでるんだ? カナタ。喜劇本?」

「一応、小説なんだけどね。まあ……喜劇本、って言えないこともないかな。すっごく馬鹿馬鹿しい筋書きで、物凄く愉快なんだよ」

どれどれ……と。

少々顔を傾げながら、本の背表紙を眺めつつ、カナタに話し掛ければ。

それがね……、と、愉快そうな声音が、彼より返され。

ふーん……、そんな風にテッドは応えながら。

「…………え……?」

……と。

本の題名を確かめ終えた途端、酷く驚いたような呟きを洩らした。

「テッド? どうかした?」

生き物が、毎日食事をするのと同じように。

日々、そうするのが習慣である、と言わんばかりの勢いで共に過ごしている、親友である彼を放り出して読書に耽っていた自分へ、腰掛けていた窓辺からひょこひょこ近付き様、まるで、構えよ、とでも言っているような口調で話し掛けて来たテッドが、不意に、そんな様子を見せたので。

カナタは、余りの馬鹿馬鹿しさに、つい読み耽ってしまった本を傍らに退け、身を起こし、テッドの顔を覗き込んだが。

「え、あ……ああ、何でもない。一寸、さ。お前でも、そんな本読むんだなー、って思ってさ。……『薔薇の剣士』…………だなんてさ。その辺の、貴族の娘さん達が読みそうな題名なのに、って」

曖昧に浮かべた笑みで、見せてしまった驚きを誤魔化し、テッドは直ぐさま、何時も通りの、ニカッ、とした笑いを湛えた。

「まあね。自分でも、らしくないかな、って思うけど。……クレオがこの間、買って来た本なんだ。今、読む物切らしてて。何でもいいか、って借りたんだけど。思いの外、馬鹿馬鹿しいって意味で面白くって」

本の題名を知って驚いたのは、『意外だったから』……と告げたテッドの『言い訳』を、カナタは別段、不思議には思わなかったのか。

ああ、だから驚いたんだ……と、納得を見せ、肩を竦めつつ、理由を語った。

「へぇ……。クレオさんの、か。まあ、だったら判らなくもないかな」

「僕が自分で、こんな本買う訳がないだろう? でも、随分と昔から出回ってる小説本らしいよ、これ。群島諸国が出来た頃に書かれた話らしくってね。クレオ曰く、英雄譚としては、割と一般的だ、って。なのにそのくせ、馬鹿馬鹿しい内容なんだ」

「ふぅん……。そっか。お前が笑い転げられるって言うなら、本当に馬鹿馬鹿しい内容なんだろうな。──最近お前、前みたいに馬鹿なことやらなくなったし、そんな風に笑うことも少なくなったけど、そんなお前に、外に聞こえる程の大笑い、させるんだから」

「…………え? そうかな」

「そうかな、って、何が?」

「僕は最近、そんなに大人しいかな、って。そう思ってさ」

「何だよ、自覚ないのか? ──大人しい、大人しい。悪いモンでも喰ったか? ってくらい大人しいぞ、最近のお前。……あれだろ。もう直ぐテオ様と一緒に、皇帝陛下に目通りするから、マクドール家の嫡男然としてないとー、とか、テオ様に恥掻かせちゃいけないー、とか、殊勝なこと考えてるんだろ、お前」

「…………殊勝で、悪かったな……」

自身には、少しばかり強引だったか、と思えた誤魔化しを。

何の疑いも持たず、するっとカナタが受け入れたから。

テッドはそのまま、他愛ない会話を親友と続け。

「テオ様のこと、大好きだもんなー、カナタは」

徐々に、その語り口を、心からの親友をからかう為のそれへと移し替え。

「自分の父親を尊敬して、何が悪いんだよっっ」

「悪いなんて言ってないって。お前はお前なりに、頑張ってる、頑張ってる。偉い、偉い」

「直ぐそうやって、テッドは僕のこと、子供扱いするよね。テッドだって、僕と大して変わらない歳のくせにっっ」

ムスっと拗ね出したカナタを、唯々からかうことだけに、テッドは専念し始め。

…………大切な親友に、眼差しを注ぎながらも。

視界の端で、カナタの寝台の傍らに避けられてしまった、遥か昔、南方で綴られたという本の背表紙を、遠く、眺め続けた。

──今になって。

あれから、一五〇年も経って。

あの頃の『香り』を嗅ぐなんて……と。