──だから。
こんなことになるなら、これから先、帝国軍人としての道を辿っていく親友を心配する余り、供なんて、申し出るんじゃなかった。
少し前、一五〇年前の『香り』を思い起こさせる本をカナタが読んでいたことも。
魔術師の塔で、おや……? と思ったあの時のことも。
全ては、今日この日の為の、予兆だったんだ。
だとするならば。
カナタの後なんて付いて行かないで、グレッグミンスターで大人しく、やきもきしながら、カナタの帰りを待つ道を選べば良かった…………と。
何処か、泣きそうに歪んでいる親友の顔を見上げながら、テッドは。
数週間前、カナタが自室で、『薔薇の剣士』という題名の『英雄譚』を読み耽っていた時のことと。
親友の後に付いて、魔術師の塔、と呼ばれる星見の塔へ赴いた時のことを思い返し。
一五〇年前の香りをも、思い返し。
草臥れたように、瞑目した。
────今を遡ること、一五〇年前。
テッドは、南方を彷徨っていた。
生と死を司る紋章──ソウルイーターと呼ばれる紋章、それを宿し続け、それと共に、永劫に等しい時を生きなければならない己の運命が辛くて。
それを、宿していたくなどなくて。
捕われてはいけない場所に捕われて、只、無益に時を押し流していた。
でも。
捕われてはいけない場所に捕われていた自分の元に、己と同じく、真の紋章を宿した者がやって来て、その者を見ている内に、その者の語ることを聴いている内に、もう一度……と、僅か『立ち直る』ことがテッドにも出来て。
彼は、捕われてはいけない場所より、『外界』へと戻り。
『外界』へとテッドが戻る切っ掛けを作った『その者』──紋章を宿していた『彼』の戦いに、手を貸すことになった。
……一五〇年前のあの頃。
紋章が……ソウルイーターが、未だ『怖かった』から。
テッドは今のように、上手く笑うことが出来なかったけれど。
心からの親友だ、と言えるカナタと接している今のように、他人を受け入れることが出来なかったけれど。
だから、外界へと戻った後も極力、全ての人、全てのモノ、それらを退けるようにし、内に篭ることしか、出来なかったけれど。
……あの頃。
南方の……今では群島諸国と呼ばれているあの南方の島々を、それはそれは大きな船で渡り歩いていたあの頃。
あの船の中にいた、沢山の人。
思い出すと胸が痛くなる、多大にお節介だった、弓使いの彼。
そして、紋章を宿していた『彼』。
そんな人々のことを思い出すと、テッドは、山程の想いを取り戻し、山程の『香り』を取り戻す。
あれから一五〇年が過ぎた、今でも。
今だからこそ……、という奴なのかも知れないけれど。
………………だが。
あの頃はもう、一五〇年も前に過ぎてしまった出来事で、遠い遠い、思い出という世界に消えてしまった、山程の想いであり、山程の『香り』であり。
どう足掻いた処で、あの頃はもう、全て。
なのに。
…………数週間前、親友が読んでいた本。
彼、テッドが、魂喰らいと渾名される紋章を宿してから、一五〇年程を過ごした頃、嫌々ながらも首を突っ込まざるを得なくなった、南方にての『戦い』の最中に起こった出来事を、とても歪んだ形で後世に伝えている、あの本。
それと、『あれ』より過ぎること一五〇年振りに、触れ合ったのは。
その直ぐ後、魔術師の塔で起こった出来事は。
今日この日の為の、予兆だったのだ、と。
目を閉じて、視界の中から親友の姿を追い出し。
テッドは、遠くなり過ぎてしまって、もう届かなくなってしまった筈のあの頃へ、それでも、『手を伸ばした』。
────伸ばしても届かない、手を伸ばして。
あの頃を歪に伝える本が、今になって、手に取れる場所に転がったのは。
魔術師の塔へ、自分をも赴かせてしまったのは。
全てが、と。
────何処かで聞いたことのある……そう、聞き覚えのある声だ、と。
テッドはそう思ったのだ。
魔術師の塔を訪れ、塔の主である、星見の魔法使いの顔を、カナタの背中越しに覗き込んで。
レックナートという名の彼女が、今年の使者は可愛らしい……と、思わず、の勢いで呟いたらしい声を耳にした時。
……何処かで聞いた。
遠い昔に、何処かで聞いた声だ……と。
テッドは、そう思った。
但、どうしてもテッドには、その声を何処で聞き覚えたのか思い出すことが出来ず。
気の所為かも知れない。
この間、カナタが読んでいた本の所為で、もう何十年も思い出すことなんてなかった、群島の島々での戦いのことなんか思い出してしまったから、あの頃聞いた誰かの声と、魔法使いの声とを、似ている、と思い込んでしまったのかも知れない、と、テッドはそう考えることにした。
三〇〇年も生きていれば、望もうと、望まざると、遠い昔の記憶なんて曖昧になる。
人は所詮、『自分にとって』懐かしいと思えるものだけを手繰り寄せ、懐かしいとすら思いたくないものなんて、遠くに押しやる生き物なのだから。
懐かしいものの為に、今在る新しいものさえ、懐かしさと結び付けるものなのだから。
その証拠に、自分は。
三〇〇年前、故郷の村で自分を救ってくれた『人』の姿すら、欠片も覚えていない。
救いの手……『なのかも知れない』手を、差し伸べられたことだけは、覚えているけれど。
だからきっと、何も彼もが気の所為だ……と。
テッドは考えた。
故に、星見の結果を受け取る為に、カナタがレックナートと二人、奥の間へと入って行った時には、もう。
……どうってことない。
うん、大丈夫。
これまでだって、自分は上手く、やって来れたじゃないか。
……カナタ、とは。
こんな風になってしまった生涯の中で初めて得た、心からの親友であるカナタとは、彼を手に入れても尚、自分は何事もなく……そう、上手く。
やって来れたじゃないか。
だから、大丈夫。
何も、心配することなんてないさ。
全ては、気の所為なんだから。
例え、一五〇年前のあの頃が、今になって急に、近くへやって来たとしても。
……………と、テッドは、そんな風に、『気楽』に。
自分で自分に、言い聞かせていたのだけれど。