カナタとセツナ ルカとシュウの物語
『motherland』
トラン湖を背に陣を布き、彼の目には、無駄な抵抗、としか映らぬ足掻きの戦いを続けるトラン解放軍の陣は、赤月帝国は五大将軍が一人、テオ・マクドールに率いられた帝国軍の陣よりも、巨大湖を背に追う分、僅かながらの低地にあるが為。
鉄甲騎馬に跨がりながら、冷静に戦局を見詰めて止まぬ彼──テオその人には、敵兵達の何も彼もが、手に取る程に、良く窺えた。
僅か、と例えて相違ない、至極なだらかな丘の下で蠢く敵兵の全て、敵将達の全て、その時の彼には、眺めることが叶っていた。
──長の歴史を誇る赤月帝国の、五将軍に名を連ね、常勝将軍と讃えられ、バルバロッサ皇帝陛下より、将軍職を拝領してよりこの方、負け戦を経験したことなどないテオでも、解放軍は、それなりの戦い方をしていると、頷けなくはなかったが。
それでも、今の解放軍に、テオの誇りの一つである、鉄甲騎馬隊に抗う術など有り得ず、だから彼は、敵の奮闘に頷きながらも、それに、無駄な抵抗、という以外の思いは寄せられなかった。
幾ら、三国一の軍師に策を授かろうと、幾ら、確かに崇められる旗頭に率いられようと、所詮、レジスタンス上がりの、戦い方のイロハも知らぬ物共の寄せ集めに、武勇を馳せた己達帝国軍が、遅れを取る筈などないと、テオは、そう考えていた。
──この戦いに彼が思うことの『一つ』は、何処までも、『無駄』、の一言だった。
長きに亘り、このトランの大地を治め続けて来た赤月帝国。
それに相応しいだけの歴史と、栄華の上に君臨する、我等が祖国。
その帝国が、解放運動の末に勃発した解放戦争などに討ち滅ぼされる訳にはいかない、それが、テオの想いの『一つ』だった。
…………例え、身の内に巨大な虚を抱え込んだまま、見て呉れだけは立派に、けれど歪に育ち過ぎてしまった大樹の根の端々が腐るように、この国も又………………、なのだとしても。
解放戦争に身を投じた者達の一人一人、その全てに、相応の想いがあり、相応の言い分があるのだとしても。
テオはそれを、認める訳にはいかなかった。
認めて良い立場に、彼はいなかった。
だから彼は、瞳の中に、遠く遠く、己が愛息の小さな影を認めても、冷徹なまでに、その戦いを見詰め続けていた。
「……テオ様」
──微動だにせぬまま、戦局を見下ろしていたテオの傍らに、その時、腹心の部下である、アレンがやって来た。
「…………何だ」
「西に、伏兵の姿が」
アレンに並び姿見せた、やはり腹心であるグレンシールは、少しばかり複雑そうな表情を拵え、短い報告を告げた。
「伏兵?」
「……はい。先日、解放軍との戦いに破れ、野に下られた、ミルイヒ・オッペンハイマー様……──いえ、解放軍の将が一人、ミルイヒの部隊が、直ぐそこに、迫って来ております」
「ミルイヒが、な……」
グレンシールの後を引き受け、アレンが報告を続ければ、テオは微かに片眉を持ち上げ、暫しの間、何やらを思い煩う風にしていたが、やがて。
「久方振りに、あの伊達男の出で立ちを、からかうとするか」
余り楽しくなさそうに、口許だけに笑みを浮かべ、騎馬の手綱を緩めた。
付いて来い、とは言わなかった。
部隊を動かすこともしなかった。
けれど、それでも後に従った、アレンとグレンシールだけを引き連れ、テオは騎馬を駆り、何処からどう見てもそうとは思えぬのに、当人的には伏兵の真似事をしているつもりらしい、ミルイヒが率いる部隊へと近付いた。
「相変らず、派手だな。そんな格好で戦場に出たら、格好の的になる、と考えたことはないのか? ミルイヒ」
「……久方振りですね、貴方。お元気そうで、何よりですよ、テオ・マクドール」
──どうせ、戦うつもりなどないのだろう。
無駄話の一つでもしに、顔を出したに違いない、……と。
そう踏んだテオの考え通り、アレンとグレンシールだけを従えた彼が、のこのことやって来ても、ミルイヒも、ミルイヒが率いる兵士達も、武器を構える素振りすら見せず、テオは馬上から降りることなく、呆れ顔して旧友に話し掛け、ミルイヒも又、馬上にて、それに応えた。
「お言葉ですが。私のこの姿は、私の信念の一つでもあるのですから、戦場の的だなどと、無粋な例えは止めて頂きたいですね。貴方こそ、その、華やかさの欠片もない格好を、改めてみると良いと思いますよ。栄光ある赤月帝国の、大将軍なのですから。少々華美でも、罰は当たりませんよ」
「遠慮する。私はこれで結構だ。……で? 戦の最中に、何の用だ? ミルイヒ。私に、出で立ちに関する講釈でも垂れに来たのか?」
「まさか。幾ら私が着道楽でも、貴方相手に、懇々とそれを説く程、暇ではありません。優雅が齎すゆとりは、人生に不可欠な要素の一つですが、貴方はそういうことに、とんと興味を示しませんからね。……ですから。こんなに『忙しい』最中、わざわざ、貴方の顔を拝みに来たのは、別の理由です」
テオは、アレンとグレンシールを、ミルイヒは、手勢の部下達を、それぞれ遠く下がらせ、互い、貶し合っているかのような、が、戦場で交わすにはこれっぽっちも相応しくない、世間話とは言えるだろう言葉を、僅かの間、投げ合って。
「では、何だ」
「……テオ。モナミ。貴方、その頑固な石頭を、少しで構いませんから、柔らかくしてみるおつもりにはなりませんか?」
一瞬後に、二人は揃って、砕けた雰囲気に相応しかった面を、厳しいそれへと塗り替え、真正面から睨み合った。
「どういう意味だ」
「私に多くを語られずとも、言いたいことくらい、お判りでしょう? 貴方には。……貴方のね、その、馬鹿馬鹿しいくらいに真っ直ぐな忠義を、少しばかり、曲げてみませんか、と私は言ってるんですよ」
「…………断る」
「……判っているでしょう? 貴方。祖国を同じくする者同士、こんな戦いを繰り広げなくてはならない程、この国は、何処かで何かを間違えてしまった。多分、もう直ぐ、その過ちを取り返すことは、真実不可能になります。……いいえ、既に、そんなことは不可能かも知れない。でもね。今なら未だ、私達が絶対の忠誠を誓った皇帝陛下の進まれる道を、元のそれへと戻して差し上げることが叶うかも知れない。……ですから、テオ、貴方も。解放軍の言い分に耳を貸すくらいのこと、してみる気にはなりませんか?」
「ミルイヒ。二度も同じことを言わせるな。…………断る」
「…………本当に、頑固ですねえ……」
瞬きもせず、睨み合ったまま。
ミルイヒは、説得の為の言葉を紡ぎ、テオは、拒絶の応
……故に、花将軍と呼ばれた、戦場でさえも、あでやかな出で立ちで佇む馬上の男は、深く、溜息を付いた。