「…………嘆くべきこと、なのかも知れません。皇帝陛下は、確かに、変わってしまわれた。私達と剣を並べて戦った、あの継承戦争の頃のような。黄金皇帝と呼ばれた、真実英雄であらせられたバルバロッサ様は、もう、何処にもいらっしゃらないかも知れません……。……私達の祖国は、こうなった。大地は荒れて、花も麦も、焼いて焼かれて、誰も彼もが武器を握る。流れるのは、トラン湖の清らかな流れではなく、赤くて熱い、血ばかりです。……けれど、貴方。これが、皇帝陛下の御意志である筈がないんです。私達が望んだことでもありません。私や、クワンダ・ロスマンに、忌々しい紋章を授けて寄越したあの女……、ウィンディの讒言から、陛下のお耳を塞ぐことが出来れば、何かは元に戻るかも知れません。戦は、終わるかも知れません」
深い溜息を零して、後。
ぽつり、ミルイヒは、そんなことを語り出した。
「………………ミルイヒ……」
「……今の陛下のお姿が、我々の陛下の本当のお姿だと、貴方、そう思うのですか? 継承戦争から今日まで、一体、どれ程の歳月が流れました? あの頃より過ぎた時間など、未だ、辛うじて、両手の指で数えられる程度の歳月でしかないのですよ? その歳月の間、私達が敬愛を注ぎ続け、忠誠を誓い続けた陛下は、愚帝でしたか? そんな筈ないでしょうっ? 私達の祖国は、最初から膿んでいましたか? あの頃からずっと、膿んだ林檎の如くでしたか? そうではないでしょうっっ!? ……私達の、この、祖国は。民衆に疎まれるような、情けない国でしたか……? ……何が何処で、こんな風に誤ってしまったのか、そんなこと、もう私にも判りません。けれど。……けれど、皇帝陛下は確かに英雄であらせられて、この国も、民の全ても、草木の一本に至るまでっ! 確かに愛しておられました。そして、陛下は今でも、そうであると私は信じています。私達の祖国は、美して、素晴らしくて、愛するに足る国であるということも。私は、信じていますよ。……………………テオ」
「…………………………何だ……」
「全てに目を瞑り、全てに耳を塞ぎ、唯、忠のみを捧げること、それだけが、忠の尽くし方ではありませんよ。私がそれに気付いたのも、つい先日のことですけどね。でもそれでも、盲目的にかしずくことだけが、忠義でないのは本当です。……そうでしょう……?」
時に、呟くように。時に、叫ぶように。
ミルイヒは、縋る如く、テオに言葉を投げ付け続けた。
「……ミルイヒ」
「…………何ですか、貴方」
「我々の、大いなる祖国は、変わってしまった……のかも知れない。皇帝陛下も、又、変わってしまわれた……のかも知れない。陛下はもう、我々が心に描くあの方とは、遠く掛け離れたやも知れん。祖国はもう、誇るべき母なる源とは、到底、例えられぬのやも知れん」
「……そうですね」
「だがな、ミルイヒ。私は、軍人だ。お前曰くの、頑固なまでの石頭をした、融通の利かぬ愚鈍な男で。軍人、だ。……思い出せ、ミルイヒ。この国の礎を守るべき軍人となる為に。私達は、陛下の御前で、何を誓った? この口から何を吐いて、何を捧げた? ……我が祖国の忠実なる息子として、我が祖国を脅か──」
「『我が祖国の忠実なる息子として。我が祖国を脅かす、外なる敵と。我が祖国を脅かす、内なる敵と。この身とこの命を以て、戦うことを誓います。我等が国と、我等が民とを脅かす、全ての敵と戦うことを。皇帝陛下の御名と、祖国の名に懸けて。我が祖国の剣となり、そして、盾となることを。今日、ここに』。……ええ。私も確かに、誓いましたよ。バルバロッサ様の御前で」
「………………それを、今でもお前が、一言一句違うことなく、覚えていると言うなら。この問答は、最早無用だ。『我が祖国を脅かす、外なる敵と。我が祖国を脅かす、内なる敵と』。戦い抜くと、私は確かに誓った。陛下の御前で。……祖国には背けない。祖国そのものである皇帝陛下の御意志に、背くことなど有り得ない。この有り様が、愚かな忠の示し方だとしてもだ。…………私にも、決して曲げられない意地はある。皇帝陛下、唯お一人の為だけに、私は戦う。マクドールの家督を継ぎ、祖国の軍人となって、陛下の御前で誓った時から、私の道は決まっているのだ、ミルイヒ。陛下の為に戦うこと、それが私にとっての、祖国の為の戦いでもある。……軍人が、忠義を曲げたら最後、最早軍人ではない」
……でも。
静かに、ミルイヒの名を呼ぶことから始めたテオは。
何処までも変わらぬ穏やかなトーンで、変わらぬ意思を告げた。
「…………その、陛下の有り様が、こうなってしまっても、ですか。私達の祖国が、こうなってしまっても、尚、ですか。帝国軍と解放軍、その何れが勝利を収めようとも、貴方のその一途な想いが、そう遠くない未来、虚しく露と消えると、判っていてもですか?」
「人は、何時か変わる。国も又、だ。私の、取るに足らない想いなど、尚のこと。……私の中にあるのは、唯。我等が祖国を護る剣となり、盾となって戦う、軍人であることだけだ。祖国の名に懸けて。一命を賭して。……私は祖国を愛している。この国を。愛するこの国の軍人である私に出来ることは、忠義の名の下に戦うことでしかない。花を焼き、麦を焼き、トラン湖の流れの代わりに幾多の血を流して、民を滅ぼせと、我が祖国の具現である皇帝陛下がそう命じられるなら、私はそうしよう。それに従おう。正しからぬと思っても。歴史に抗う行いであっても。そしてその果て、私の想いもこの身も命も、虚しく露と消えても。…………ミルイヒ。私には、もう、それしか出来ぬのだ、ミルイヒ」
「テオ、貴方…………」
「……私には、もう。この道しかない。私の前に、誰が立ち塞がろうと。誰を、討ち取ることになろうと」
「…………モナミ。我が友な貴方を、説得しようだなんて考えたことが、思い違いだったみたいですね……。……貴方は。……貴方は、本当に、どうしようもなく頑固で、嫌気が差します。…………テオ、お元気で。解放軍での私は、新参者でしかありませんのでね。心の底では、私を恨んでいる者も少なくはないでしょうから、余り長居は出来ません。そろそろ、退散させて頂きますよ」
最後の一言まで抑揚の変わらなかった、テオの想いを聞き届け、ミルイヒは、胸の中でのみ、再度の溜息を吐くと、手綱を握り直した。
「……ミルイヒ」
別れを告げるや否や、騎馬の鼻先を解放軍本陣へと向けた彼の背中へ、テオは低く、声を掛ける。
「何です?」
「…………『あれ』は、元気か? 上手く……やっているか? ──他人は、親馬鹿と言うだろうが、『あれ』は、戦人としては良き器であると思うから、早々、お前達に迷惑は掛けんだろうが、未だ未だ子供で、世間知らずだからな。少し、甘やかして育ててしまった部分もないとは言えんし。何より『あれ』は、変な所が真面目で、変な所が不真面目で……。教え足りない部分も……──」
「──充分、立派ですよ、貴方の御子息は。立派な、良き軍主ですよ、あの歳でね。……貴方には申し訳ないですが、正直、『マクドール家のお坊ちゃん』が、あそこまでの器だとは、私も想像していませんでした」
名を呼ぶ声に続いた科白は、息子を案じる父の言葉で、その言葉を遮り、ミルイヒは、振り返りもせず、淡々と言った。
「私の、自慢の息子だからな、『あれ』は。…………なあ、ミルイヒ。どうしてお前、私が言い出すまで、『あれ』の……カナタの名を、出さなかった?」
「そんなこと、決まってるでしょう。カナタ殿を捕まえて、自慢の息子と言い切るような親馬鹿の貴方の前で、カナタ殿のことを引き合いに出しても、無駄だからですよ。……貴方は、父として、カナタ殿を思ってらっしゃる。カナタ殿は、息子として、貴方を思ってらっしゃる。……そんな程度のこと、他の誰に判らずとも、傍で、貴方達親子を長年見て来た私達には判るんです。だから、ね。──………………嫌でしょう……? 親子の情愛で絆そうとするような手は、貴方、お嫌いでしょう? 親馬鹿で、軍人馬鹿の貴方に、カナタ殿の名前を出したら、斬って捨てられてもおかしくありませんからね。私は、そんなことは御免です。カナタ殿も、お嫌でしょうし。……貴方達親子は、本当に良く似ている。頑固な所もね」
「……余計な世話だ。私の息子だぞ。私に似ていて、何が悪い」
「…………おお、嫌だ。この世に、親馬鹿程手の付けられない馬鹿はありませんね」
──決して、テオを振り返らず、何処までも、淡々と。
強く、手綱を握り締めたまま、ミルイヒは。
愚直な旧友を、口先だけで貶し続けた。