カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『patriot』

たった一人の、主の命に従い。

北方の治安を守る為、前線に向かうことになった父、テオ・マクドールの代わりに、祖国である赤月帝国の為、力を貸してくれるか、忠を尽くしてくれるかと。

初めて、赤月帝国皇帝バルバロッサ・ルーグナーへの謁見を果たした席で、その皇帝自らに、玉座より眺め下ろされるように乞われたカナタ・マクドールは。

「皇帝陛下と赤月帝国の為に、この身とこの命を以て」

……と、そう答えた後、父と共に、玉座の間を辞した後も尚、何処となく、照れ臭そうな、緊張が抜けないような、そんな面持ちで、無意味に、その日下ろしたばかりの正装の乱れを気にしつつ、グレッグミンスター城の廊下を歩いていた。

だから、そんな息子の様子を、ちらりと肩越しに振り返って窺い、薄い笑みのような物を洩らして、彼の父・テオは。

「…………そうだ、カナタ。お前の配属先は近衛隊だというのは、聞いているな? ──そこに、明日からお前の上官になる、近衛隊々長・グレイズの執務室がある。行って、挨拶をして来い。急な話だしな。新兵が配属されるには、中途半端な季節だから」

初めて正式に参ったグレッグミンスター城や、皇帝陛下の雰囲気に、息子も何処か気圧されているのかも知れない、だがまあ、それも致し方のないことか、と、頭の片隅で考えながら。

するべきことをして来いと、カナタを促した。

「はい」

行け、と、目線で目的のドアを示してやれば、カナタは軽く頷いて、足早に、近衛隊々長の為の執務室へと向かい、開け放った扉の向こう側へと消え。

「あんな小心者が、我が息子の上官とはな……」

柔らかい視線を、カナタの背へと送りながらも、室内にいる筈のグレイズへ向けてテオは、ボソリ、愚痴めいた科白を吐いた。

自分の記憶が正しければ、ほんの数年前までは、何処に出しても恥ずかしくない、それは立派な人物が、近衛隊々長を任されていた筈なのに。

自分を含めた、赤月帝国五大将軍、と称される者達が、任されている領地や、辺境の平定に駆けずり回っている間に、何時の間にか、グレッグミンスター城内の人事は、大幅に入れ替わったようで。

継承戦争が起こった翌年、ジョウストン都市同盟との国境紛争に片を付けて、ここ、グレッグミンスターの街に、皇帝陛下が凱旋を果たす前夜、この世を去ってしまったクラウディア皇妃の面影こそあれ、何処か信用の置けぬ、宮廷魔術師ウィンディが、我が物顔で城内を闊歩し、あんな、出世をして、私腹を肥やすのが生き甲斐のような小男は、近衛隊の隊長にまで登り詰めてしまった……と。

テオは唯々、溜息を。

けれど。

それも、皇帝陛下の意向だと言うならば、逆らう道理など何処にもないし。

あの継承戦争を共に戦い抜き、黄金皇帝とさえ呼ばれたバルバロッサ様のことだから、きちんと、目を届かせるべき場所に、目を届かせておられるのだろうと、テオは、自分で自分に言い聞かせて、入って行った部屋の中から、カナタが戻って来るのを待った。

「……父上」

──廊下の隅に身を寄せて、自分に向かって頭を下げつつ行き交って行く、城内の者達を暫しの間眺めていたら、思いの外早く、カナタは戻って来て。

少々複雑そうな顔色で、声掛けて来たから。

「………何? もう、終わったのか……?」

事前の挨拶を交わすだけとは言え、幾ら何でも早過ぎはしないかと、テオは訝し気な顔をした。

「ええ、終わりました、一応……。──ああ、挨拶の方は、無事に済ませましたから」

すればカナタは、自分の態度が、父にそんな表情をさせてしまったのかもと、恙無く全ては終わったという風に、笑んでみせた。

「どうせ、お前の言うことも碌に聞かず、追い払ったんだろう? あの男が」

「いえ、そういう訳では。……お忙しいんでしょう、グレイズ殿も」

「忙しい、な。何に勤しんでいるのか知らんが。…………まあ、いい。だと言うなら、カナタ。付いて来い」

ついうっかり吐き出した己の本音へ、息子が、出来事を覆い隠すように、事を荒立てぬ為の笑みを浮かべたから。

テオは、グレイズの部屋を一睨みしてから、ふむ、と考え込み。

翻した身を以て、後に続け、と。

カナタを伴い、帰宅すべく城の正門方向へと向けていた足先を、城内の奥へと向け直して、歩き出した。

「…………? 父上、ここは?」

──付いて来い、との父の言葉に従って、未だ間取りに明るくない城内を奥へと進み、辿り着いた部屋を見回し、ここは一体、何の為の部屋だろうと、カナタは首を傾げた。

連れて行かれたそこは、多くの人が行き交う為、常に賑やかなグレッグミンスター城内とは思えぬ程静かで、人影一つなく、けれど、皇帝の居城の一室であること疑いようがない程、厳かな雰囲気に満ちていて。

玉座の間程ではないが、それなりに広い部屋の最奥には、祭壇のような設えもあり。

父は自分を礼拝堂に連れて来たのかとすら、一瞬カナタは思ったが。

礼拝堂に良く似たそこに、神の像はなく、故に、礼拝堂では有り得なく。

「ここか? ここは……そうだな、一言で言えば、『式典』のようなものを行う為の部屋だ」

唯、首を傾げるだけのカナタに、テオはその部屋の正体を教えた。

「式典? でも、軍や王家の式典を行う部屋にしては、狭いような……」

「いいんだ、この広さで。ここは主に、この国の兵となった者が、皇帝陛下に忠誠を誓う為にある部屋だから。まあ、士官級以上の者達だけだがな、この部屋でそんなことを行うのは」

「……ああ、その為の……」

「そうだ。────例えこの部屋を使わずとも、明日、近衛隊に入隊するお前も、その程度のことはするだろうと、私は思っていたからな。その為の打ち合わせを、グレイズは言い出すと思ったのに、あの早さで部屋を追い出されたのでは、そんな話は出なかったんだろうな」

「…………ええ」

「全く……。あの男は何を考えているのやら。まあ、私や、私の息子であるお前への、やっかみなんだろうが。やっかみだろうが何だろうが、あいつはその段取りを、整えるつもりはないんだろう。……かと言って、明日にはこの街を離れる私が、それをしている訳にも行かぬし。私事で、陛下のお手を煩わせる訳にも行かぬ」

この部屋を、如何なることに使うのか。

それをカナタに教えてから、テオは又、ぶつぶつと、グレイズに対する文句を零した。

「父上。僕はそのようなこと、気にしませんよ?」

それ故カナタは、父の零す文句へ、そんな些末なこと、と言い掛けたが。

「些末ではない。形骸でしかないそれと思えても、赤月帝国に仕える軍人となる者には、必要なことだ。言葉にして、この国と、陛下に対する忠誠を誓うこと、それは決して、些末なことではない。避けて通って良いことでもない。私達は常に、忠実でなくてはならない。この国と、陛下に対して。態度の上でも、言葉の上でも」

テオは、カナタの態度を嗜める風に告げ。

「…………カナタ。お前は、物覚えが殊の外良い方だったな。──覚えているか? 何時だったか私が、お前に語って聞かせた話。この国の兵となる者が、陛下を前して言うべき言葉、の話を」

「ええ、覚えています」

「なら。私がその代役を、と言うのは、恐れ多い話だが。やらないよりはマシだろうから。バルバロッサ様の代わりに、私がその言葉を、お前から聞こう。明日にならなければ、お前はこの国の軍人にはならぬから。私がお前の相手をしても、許されるだろう、多分な」

──礼拝堂の祭壇に良く似た。

本来ならば、バルバロッサが立つべき上座を背にして。

テオは、息子を振り返った。