カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『The end of the road』

冷たい空気が頬に当たるのを感じて、外に出たのだ、と気付き、ああ……と、肩越しに振り返れば、夕映えの中、茜色に染まった空よりも尚茜色に見える、紅蓮の炎に包まれたグレッグミンスター城が、彼、カナタ・マクドールの目には飛び込んで来た。

たった今飛び出して来たその城の中で取り巻かれていた炎と、城内を駆け抜けて来た所為で流れた汗と、少しばかり頬に張り付いた煤を、半ば無意識の内に左の手袋の裾でグイと拭って、彼は城を見上げ続ける。

「カナタ殿」

すれば、城門前にて、彼の帰還を待ち侘びていたレパントが、妻アイリーンと共に、彼の傍らへと近付いて来て、声を掛けた。

「……ビクトールと、フリックの二人は?」

カナタと共に、燃え盛る城より飛び出して来た数名の仲間達をちらりと見遣って、レパントは、『行き』にはいた筈の、が今はそこにいない、二人の仲間の名を口にした。

故にカナタは、少し困ったように、軽く首を振ったけれど。

「殺したって、死なないタマだよ、あの二人は。…………大丈夫」

二人の仲間の安否を尋ねて来たレパントへ、ではなく、己へ言い聞かせるように、答えた。

────彼等がそうしているにも、グレッグミンスター城は益々燃え盛って、これ以上はないと言う程、紅蓮に包まれ切ってしまったけれど、何百年にも亘り、その日、その瞬間まで、赤月帝国と言う名の巨大な国を支え続けて来た堅牢な石造りの城は、崩れ落ちることなく、唯、炎の中に佇み続け。

人々は、誰もが皆、沈黙を保ちながら、かつての栄華が滅び去って行く様を、その瞳に焼き付け続けた。

太陽暦四五七年。

赤月帝国歴二二八年。

その年より遡ること二年前に、赤月帝国五大将軍の一人、テオ・マクドールの嫡男でありながら、トラン解放軍の軍主となった、カナタ・マクドールと、彼が率いた者達の手によって、その大陸の南にて、強大な力を誇っていた赤月帝国は滅びた。

かつては確かに英雄だった皇帝がその道に背いたが為、巨大なその『体躯』を膿み腐らせて行った帝国が、それを厭うた人々に打ち倒されたのは、必然、だったのかも知れない。

……本当の処、それが必然だったのか、そうではなかったのか、それとも運命だったのか、運命でもない宿命だったのか、は、誰にも判らぬことだけれど。

もしも、は決して有り得ぬ歴史は、確かにそう流れ、帝国は破れ、人々が勝利を手にしたその瞬間、解放軍を率いた少年英雄は、それ以上の『英雄』となった。

──英雄、と崇められ、勝利をその手にすることによって、更なる英雄となった彼、カナタが、『英雄』などと称されることを、望んでいたのか否かは、誰にも判らない。

が、確かに彼は、この後この地に打ち立てられるだろう新国の、建国の英雄となって、永く、伝説の中にて生き存えてゆくのが、紛うことなき事実だ。

約二年前、その身に帯びた、魂喰らいと呼ばれる紋章の所為で不老となったが為、崩れ去ることなく、永劫に近い時間を彼が生きて行くだろう現実に似て。

これから先、言い伝えられる伝承の中でも、彼は又。

燃え盛る、グレッグミンスター城を眺めていた大勢の仲間達──例えば先程カナタに声を掛けた、レパントだったり、彼の妻のアイリーンだったり、といった者達は、長らく、城門前にて佇んでいたけれど。

未だに安否の判らぬ、同じ解放軍の仲間、ビクトールとフリックのことを、案じはしながらも、やがて、じわじわと沁みて来た、勝利の実感に、体を、声を震わせながら、歓喜の勝鬨を挙げた。

故にカナタは、グレッグミンスター城を戴く帝国の首都であり、己が故郷でもあるこの街──黄金の都と謳われたこの街、グレッグミンスターの、石畳さえ振わせるような人々の声に応えるべく、城に背を向けにこりと笑い、棍を掴んだままの右手を、強く高く、夕映え覆う、空へと突き上げた。

それが、勝利を収めた軍主として、建国の英雄として、彼が戦いの最後にしなければならぬことだった。

長きに亘ったこの戦争が、このような形で終わったこと、今の黄金の都の有り様、それらが、カナタの心に何を落とすとしても、それは人々の与り知らぬことであり、人々には関わり合いの無いことであり、カナタもそれを、人々に見せることはまかりならず。

故に彼の仲間達は、戦の終わりと勝利を祝う歓喜を、彼と、仲間達と、黄金の都に、与えた。

解放軍を旗揚げし、志半ばでこの世を去った、初代解放軍軍主、オデッサ・シルバーバーグが始め、カナタがその後を引き継ぎ幕を閉じた、此度の戦が終わったのは、夕暮れ時のことだったから。

軍主であるカナタや、軍の中核を成すレパント達や、やはり、それまで彼等と共に解放軍を指揮して来た帝国の元将軍達が打ち合わせた結果、解放軍は、損害を、一切、と言って良い程与えずに済んだグレッグミンスターの街や、その郊外にて一夜を過ごし、明くる朝、トラン湖に浮かぶ孤島の、解放軍本拠地へと凱旋することになった。

だから、その夜。

近隣諸国にまで、麗しき黄金の都、と讃えられたグレッグミンスターの都は、半分だけ、喜びに包まれて。

半分だけ、哀しみに包まれた。

街を包んだ半分の喜びは勿論、オデッサが解放軍を旗揚げした頃より数えれば、四年にも亘った戦いが終わったこと、それが勝利で幕を閉じたこと、に理由があり。

半分だけ街を覆った哀しみは、この戦で命を落とした仲間達の存在と、勝鬨の声を聞きながら、老医師リュウカンのみに見守られ、この世を去った解放軍正軍師、マッシュ・シルバーバーグの死、それに、未だに姿を見せないビクトールとフリック、が齎したものだ。

故に、街も人々も、喜びの中に哀しみが潜むような、哀しみの中に喜びが潜むような、悲喜交々の一夜を過ごすことと相成った。

……が。

例えそれが、喜びを噛み締める為であれ、哀しみに暮れる為であれ、解放軍として人々が乗り込んだ黄金の都の夜を過ごす為には必要だろうと、細やかながらも酒が振る舞われたので。

カナタの仲間達は、振る舞われたそれを飲み下しつつ、細やかとは言えぬ騒ぎの中、夜が更けるのを待った。