カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『旅路』

1. 鬱蒼とした、森の入り口

月のない夜だった。

けれど彼は、星明かりのみで、『その場所』に辿り着くことが出来た。

造作も無いことだった。

その場所を見付けることは、彼にとっては、『当たり前』以下だった。

………何があろうとも。幾星霜の時が過ぎようとも。

例え、歴史が巡って、その場所が姿形を変えたとしても。

その場所を、彼は違えはしないだろう。

現トラン共和国のカクの街に程近い、鬱蒼とした森の入り口、その場所を。

星明かりという仄かな灯火のもと

『その場所』に佇んだ彼、カナタ・マクドールは、携えていた、旅に必要な僅かばかりの荷物と棍とを、そっと傍らに置き、纏っていた深緑色のマントを脱ぎ捨て、心持ち俯いた。

後に、トラン解放戦争とも、門の紋章戦争とも呼ばれることとなる先の戦いが終わって程ないというのに、背を向けるようにして去った、故郷の街黄金の都この場所までの『旅』に疲れたような顔をしながら。

彼は俯いて……それでも、微かに微笑んで。

「………………父上」

『その場所』の大地を見詰め、小さく呟いた。

──そう、ここは。

先の戦争の最中さなか、それが彼等の業だとでも言うように、皮肉な運命が齎した、父と子の、『決戦』の場。

カナタが、実の父、テオ・マクドールを討ち取った場所だった。

その場所を、彼は。

数多の、大切なモノを失くし続けた戦争が終わって……真っ先に目指したのだ。

解放軍に協力してくれた、かつて父の部下だったアレンとグレンシールの二人が手ずから丁重にその遺体を葬ってくれた、黄金の都グレッグミンスターにあるマクドール家所縁の墓所──則ち、亡き父の亡骸が眠る場所でなく。

父を討った、ここを。

「僕は……後悔なんて、してません。微塵程も。僕は……僕の前に広がる、嘆くことない覚悟の道を、唯、歩んで来ただけです……。そうして、今も。その道を、歩んでいるだけです…………」

あの時。

地に伏した父へと駆け寄り、そのこうべを掻き抱いた大地を見下ろし、とても穏やかな面差しをして。

ぽつりぽつり、カナタは一人語りを始めた。

「父上? あの時……言って下さいましたよね……。誇らしい……と。我が息子……と。息子の僕が、父である貴方を越えられた瞬間に立ち合えたこと、それは、至上の喜びだ……と。…………僕はそれを、『慰め』にしても、構いませんか……」

穏やかな顔で、儚く微笑みながら、カナタは、そこにいる筈のない父へ低く語り続ける。

「貴方の息子で在りたかった。僕は最後まで、貴方の息子で在りたかったのかも知れない。…………後悔なんて、してません。僕は僕の成したことを、毛筋程も嘆いていません。それが僕の選んだ道です。だから、僕はこれからも、止まらず……止まれず……この道を歩いて行きます。僕の時が、永劫、続こうとも。…………僕は、そのつもりです。それくらいの覚悟は、僕にもあるんですよ? 父上。僕は貴方の、息子なのですから…………。────でも、父上…………?」

瞬き一つすることもなく、唯、大地を見詰め。

…………いいや、彼の中にある、彼だけに残された、亡き父の僅かな温もり──彼に残された『父』を見詰め。

訥々、語っていたカナタは、にっこりと微笑んだ後、不意に顔を歪めた。

「きっと僕は……直ぐに。直ぐに、今夜のことを『忘れてしまう』。直ぐに、思い出すことも出来ないくらい遠過ぎる出来事として、僕は今宵を、忘れてしまう。……事実、もう、覚えていないんです。忘れてしまったんです。オデッサが逝った時、グレミオが逝った時、父上、貴方が逝った時、テッドが逝った時。僕は、僕が一体どうしたのか……もう、覚えていません。……忘れてしまったんです、遠過ぎて。……遠過ぎてしまって……僕には、思い出せない……。だから、父上……貴方は、僕を叱るかも知れないけれど……今だけ、許してはくれませんか……。戻ることを、許してくれませんか……」

顔を歪めた彼は。

もう、儚い微笑みさえも、浮かべることが出来なくなって……カクっとその場に跪く。

「今だけ……今だけでいい、僕は戻りたい……。父上、貴方のことを父様と、そう呼んでいたあの頃────いいえ……父様、ですらなくて……。パパ……って……そう貴方を呼んでいた、本当に幼かったあの頃に、僕は戻りたい、今だけでいいから…………っ」

──跪き、蹲り。

握り締めた両の拳で、強く大地を叩き。

土に塗れた両手で、彼は面を被った。

「……父様……っ……。父様………『パパ』…………っ……。──僕は……僕は本当はっ……貴方に縋って泣き濡れる、唯の幼子で在りたかった……っ……。父様っ……」

────月のない夜。

仄かに灯る星明かりだけが光源のその場所で、カナタが絞った声は、余りにも悲痛な響きを孕み、辺りを被い、そして、夜風と夜陰に消えたが。

やがて……ゆらりと身を起こし、ゆるゆると上げられた彼の頬には、一筋の涙もなかった。

彼は、唯。

亡き父へと語り掛けていた時のように……穏やかに、儚く微笑んでいただけだった。

「…………さようなら、父様。もう、僕がここに来ることは、ないかも知れませんけれど……許して下さいますか……。墓所の方には…詣でるつもりです。何十年かに一度くらいしか、伺えないかも知れませんけれど。……あそこには、母上もいらっしゃるから……」

カナタの、儚い笑みは。

何時しか、『綺麗』な微笑みへと変わり、小さく父に別れを告げると彼は、マントを纏い、棍と荷物を携え、跪いていた大地に背を向けた。

「父様。……大好きな、父様。幼い頃、僕は貴方の背中だけを見ていた。貴方は僕の誇りだった。貴方の息子であることが、僕の誇りだった。……今でもそれは変わりません。僕が尊敬した人は、貴方だけだった。そうして、僕は『生涯』、貴方を尊び、敬う……。────さよなら。父さ…………父上。ながいとまを、僕は貴方に、請います」

再び歩き始める前に、大地に背を向けたまま、立ち尽くした彼は、万感の想いを込めたのだろう言葉を捧げて。

そうして漸く、足を踏み出した。

彼自身が、次に向かうと決めた場所、クロン寺を目指して。