長い長い、とても長い旅路の果てに、思いもしなかった場所に辿り着いてしまったかのような、草臥れ果てた顔をして、額に魂喰らいの宿る右の甲を当てながら、漸くカナタが意識を取り戻した時、そこにあったものは、心配そうに覗き込んで来るフッケンの顔で。

「………あんな……つもり……本当に、なかった……。いや……ないつもり、だったんだけど…………。すまない……迷惑、掛けた……」

寝かされた床の上で身動みじろぎ、口許だけに笑みを浮かべ、カナタは又、詫びを告げた。

「謝られる必要など、何処にも。……が、カナタ殿? 貴方は一体何をするつもりで、過去の洞窟に?」

すまないと、それだけを繰り返すカナタに、フッケンはゆるりと首を振る。

「気持ち、のね……。整理を、付けたかった……。僕があの戦争でくしたモノに対する、本当の意味での決別をしたかった……。過去を臨める、あの場所で……。────でも……僕は心の何処かで、誘惑に駆られていたのかも知れない。過去に戻りたい、そんな誘惑。遠い……遠い『あの頃』に戻りたい、そんな風な…………」

「成程……」

「三百年前を垣間見た……あの時のように。叶わなくてもいい。儚い夢でもいい……。触れられなくてもいいから、振り返るだけでもいいから……っ。僕は……。だけど……フッケン……? 僕は結局、立ち止まれないんだ……。止まることも出来ない……。振り返ることさえも、僕は僕に許さない……。戻りたい誘惑と……進もうとする僕と……。……多分、進もうとする僕の方が、強かったんだろう。それに答えて、魂喰らいは……。────修行が、足りないよね……」

何故、この寺院へ赴いたのか。魂喰らいが光迸らせた時、何が起こったのか。

それを、苦しそうな息遣いで語り、自嘲の笑みらしき表情をカナタは浮かべた。

「御仏のお導きのままに……、と。そんな言葉をカナタ殿にお送りしても、何の意味も成さぬかも知れんが……。それでも、カナタ殿。お導きのままに。茨の茂みの上を素足で進まれるような道を、カナタ殿は歩まれるのじゃろうが……。それも又、カナタ殿、貴方の選ばれた道。例え、荒涼と広がる野を進まれようと、それが、貴方の」

────この。

長い長い旅路を流離さすらう孤独な旅人のように、行く当てもなく、なのに旅路は未だ途中で、唯ひたすら、遥か遠い彼方を見詰めるしかないような、草臥れ果てた顔をしている少年は。

一体何処を、何を、見ているのだろう。

……己を蔑むような、そんな儚く薄い笑みを浮かべたカナタに、フッケンは『道を説き』ながら、ぼんやり、考えていた。

テオ・マクドールという、この少年の父君だった男は、何と皮肉な名を己が息子に名付けたのだろう、そうも感じながら。

フッケンは、床の中に横たわって天井辺りを見詰めているカナタを見下ろしていた。

カナタ──彼方、という名を与えた我が子が、遥か遠い彼方だけを見詰めて、終わるのかどうかも判らない旅路を一人『拙く』歩いていく運命にあると、少年の父が知っていた筈もなかろうに。

「…………フッケン。誤解しないで欲しい。今の僕は確かに、疲れているんだろう。過去を振り返りたい、そう思う程度には草臥れている。けれど僕は、何一つ、後悔した覚えも、嘆いた覚えも、ない」

「……そうでなのであろう。カナタ殿、貴方は、そういう御方。────じゃが、カナタ殿。……何時か。何時か、カナタ殿の前にも、灯火の見える日が訪れるかも知れぬ」

「………………灯火、ね……。──そうだね。そうだと、いいけれど……」

御仏の教えを説く住職の声音に、何らかの思いが織り混ざったのを感じたカナタは、ふっと天井辺りより眼差しを逸らして、真直ぐにフッケンを見詰めながら、誤解するなとそう言った。

故に、年老いた僧侶は、判っている、と頷きながらも、灯火、という言葉を口にした。

すればカナタは、何処か『愉快そう』に笑って、そうだといい、と呟きながら床より起き上がり、

「迷惑掛けっぱなしで、本当、申し訳ないと思うけど。迷惑の掛け序でって奴で。──フッケン、僕はもう、行くことにするよ。……何時か何処かで会えたら、その時は又、仏様の道でも教えてよ」

床の傍らに畳んで置かれてあったマントを羽織って、軽い感じで棍と細やかな荷物を取り上げ、旅路の続きに向かう、と住職に背を向けた。

「……何処へ?」

「さて、ね。何処がいいかな。…………取り敢えず、僕は未だ見たことがないから、海でも目指してみるつもり」

──不粋だ。

そう判っていてもフッケンは、背を向けた少年へ、その行き先を尋ねずにはいられなかった。

何処へ行こうとしているのか、その問いに対してカナタは、肩越しに、ちらりとだけ振り返り、潮の香りでも嗅いで来る、と気楽な調子で答えた。

「道中の御無事を、お祈り致しますぞ」

「……有り難う」

言うべきことは、最早何もないと、声の調子とは裏腹に告げて来たカナタへ、フッケンは別れの言葉を告げる。

もう二度と、この少年と巡り会うことはないかも知れない、そう思っても。

住職は、カナタにとっては何の慰めにもならぬだろう祈りをも捧げた。

…………有り難う、とだけ言って。

もう、振り返ることもなく立ち去って行く少年の面影、後ろ姿、有り難うと呟いた、その刹那の声音。

それを恐らく己は、生涯忘れることはないだろう、と感じながら。

果たして本当に彼は、海辺の街に姿見せるのだろうか、と、年老いた僧侶は思った。

赤月帝国を滅ぼした解放軍々主だった『英雄』カナタ・マクドールが、トラン解放戦争終結直後、トランの西方、ロリマー地方はクロン寺に姿を見せた後。

以降、三年の年月に亘り、何処でどうしていたのか、何をしていたのか。

それは、ようとして知れない。

それを知る者は、恐らくこの世にはいない。

行方知れずだった僅か三年の間に、トラン建国の少年英雄──則ち『伝説の人』となった彼が、次に歴史の表舞台に登場したのは、トランの隣国、デュナンの地にて勃発した統一戦争の最中さなか、バナーの村で起こった『細やかな出来事』以降のことである。

その時も。

彼の、長い長い旅路は、未だ、途中だったけれど。

End

後書きに代えて

幻想水滸伝1の、エンディング直後のお話。

この後カナタがどうしたのかは、百年後の話で。

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