「…………処で、さ」
──惨いまでに美しく、澱みなく動き続けるこの世界の中で、刻を止めたまま生きる己。
そんな己に、少年は、刻を動かせと言う。
動く刻の中で、笑って欲しいと言う。
その序ででも構わぬから、自分との出逢いを喜べと言う。
……惨いまでに美しく、澱みなく動き続けるこの世界の中で、己がそうすれば、少年は、惨いまでに美しく、澱みなく動き続けるこの世界の中で、笑い、喜びを見るのだろうか。
………………そう思いながら。
テッドは風景から目を外し、カナタへ向き直った。
「何?」
呼ばれた彼も又、テッドへと向き直った。
「お前、ここからどうやって、グレッグミンスターに帰るつもりだ?」
情景でなく、己を見詰めてきた彼へ、軽い口調でテッドが言えば。
「……それ、考えてなかったんだよねえ……。どうしようか。どう急いでみたって家に帰り着くのは明日の朝だと思うし。でも、夜道を行くのは流石に躊躇うし。…………怒られるだろうなあ、父様にも、グレミオにも……」
実の処、後先を考えずにここまで来てしまったのだと、カナタはペロリ、舌を出した。
「俺は、一緒には叱られてやんないからな」
「えっ? テッド、それは狡い!」
「狡くない。ここまで強引に俺を引っ張って来たのは、お前。テオ様とグレミオさんに、ケツでも引っ叩かれろ」
「子供じゃあるまいし。そんなことはされないと思うけど……。あー、でも…………。って、あ。それよりも、テッド。これから、どうしようか。グレッグミンスターまで戻るのは諦めて、レナンカンプでも行く?」
「…………どうするったって、お前……。………………どうする……?」
明日の夜明けになっても黄金の都へ戻れるか否か判らないことなど判っていながらここへやって来て、恍けたことを言うカナタへ、俺はこれっぽっちも悪くないと、テッドはニヤリと笑い、絶対、確実に、叱られる、と項垂れる彼をからかってから。
さて、本当に、どうやってこの一夜をやり過ごそうかと。
『振り』でなく、途方に暮れ始めたカナタと共に、テッドも又、途方に暮れた。
結局。
何はともあれ街道へ戻ろうと、丘を降り、レナンカンプへ続く道を彼等が辿り出したら、幸運なことに、二人は偶然、黄金の都を目指していた旅芸人一座と行き会って、一座の馬車に便乗させて貰うことが叶った。
夜半近く、そろそろ見慣れたグレッグミンスターの正門が見えて来ても、と相成った頃、夜更けになっても帰って来ないカナタと、家にいないテッドを半泣きになりながら捜していたグレミオと、テオの部下のアレンとグレンシールの三人に二人は『見付かり』、マクドール家の全員に、それは大きな雷を落とされはしたものの、無事、『些細な遠出』に挑んだ晩夏の一日は終わって。
その日を境に、テッドは少しずつ、本当の意味でカナタとの距離を縮めて、何時しか二人は、唯一無二の親友同士になった。
だから、それより数年が経った今でも、あの晩夏の一日を、テッドは良く憶えている。
酷い雨が降りしきった黄金の都での『夜』、魂喰らいを親友に託して、魔女ウィンディの手に堕ちてから、この世界の何処かにはいるだろうカナタを思う度、必ずテッドは、晩夏の一日を思い出した。
何処なのかも解らない、ぼんやりと光が射しているような、そうではないような、薄いとも言える、濃いとも言える、冷たい闇の中で。
……世界は美しい。
そして世界は素晴らしい。
惨いまでに、この世界は美しく、そして素晴らしい。
澱むことなく動き続ける刻に支配された、惨くて酷くて、『清らか』な世界。
今は未だいる『この世』から、そう遠くない行く末、己は消え去るのだろうけれど。
例え己が『この世』に溶けても、惨いまでに美しく、素晴らしいこの世界の片隅に、世界に溶けた己は確かに息衝き続けるから、惨いまでに美しく、素晴らしいこの世界の中で、カナタが笑い続けて生きてくれたら、喜びと共に生きてくれたら、幸せに生きてくれたら。
……それが、晩夏の一日を思い出しながら今は闇に在る、テッドの願いだった。
後何回、晩夏の一日を思い出せるか、後何回、カナタの為に願えるか、妖かしの紋章を与えられてしまった己には、もうそれすら見えない。
……それだけが、悔しくはあったけれど。
だから彼は又、『この世』の何処かにはいるだろう親友を想って、願いつつ。
「あー……、いっけねえ…………」
闇の中、ぽつりと独り言も洩らした。
「…………悪い、ヨミ。お前との約束、果たせねえや…………。……御免な。何時か何処かで再会出来たら。それが、何年後でも、何十年後でも、何百年後でも。今度こそ、友達になろうなって、約束したのに……。………………悪い……。……御免。ほんっとー、御免……」
そして、彼は。
一五〇年前、真夏の海で、ヨミという名の少年と交わした儚い約束を叶えられぬことを詫びて。
『その闇』から逃れ、瞼の裏側の闇へと戻るべく、瞳を閉ざした。
けれど。
閉ざした瞼の裏側には、真夏の海が甦り、晩夏の一日が甦った。
瞼の裏側に甦った、真夏の海、晩夏の一日、それは。
酷く、美しかった。
惨いまでに美しく、素晴らしい世界、だった。
End
後書きに代えて
『Wonderful world』。素晴らしき世界。
ルイ・アームストロングの歌う、「What a Wonderful World」は好きです(違)。
──これは、カナタとテッドが親友になった切っ掛けの話。
齢15歳頃のカナタは可愛く見え……ないこともない。かも。この時点で既に、性格複雑骨折だけど。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。