ユインとカーラの物語

『それより先、遥か』

覆う空には月も星もなくて、只、漆黒よりも尚深い、深淵の奥底のような闇色だけがあって、けれど、辺りを焦がす紅蓮の炎の所為で、哀しいくらい、駆け続けている森中の道の先は明るく。

走り続けなくてはならないのに。

何処までも、走って走って、走り続けて、ひたすらに、逃げなくてはいけないのに。

辿り続ける道の、出口までをも照らし切るような、とても強くて赤い炎の『灯り』が。

その炎が背中に感じさせてくる、熱が。

まるで、彼、カーラに追い付き、絡み付いてしまったかのように。

ふっ……と彼は、駆け抜けてしまわなくてはならないその道の途中で、動かし続けていた足を止めた。

立ち止まった彼に気付くことなく、彼の義姉あねや親友や、背後で燃え盛っている砦にて知り合った人達、親切にしてくれた兵士達、それらは駆け続けているから。

そこに佇み続けていればいるだけ、彼等からは離されてしまうと判っているのに。

ひょっとしたら、逸れてさえしまうかも知れないのに。

立ち止まり、脱出して来たばかりの砦を振り返ったカーラは、随分と長らくの間、そのまま、燃え落ちて行こうとしている砦を見詰めていた。

──砦を象っていた、幾本もの丸太の壁や、茅葺きの屋根や。

毎晩誰かが立っていた、物見櫓や。

拵えた当人が、「描いたのは獅子だ」と言い張った、砦の旗や。

それらをひっそりと包み隠していた森の木々が。

バチバチと爆ぜる音、生木が燃える音。

……そんな風な、耳を塞ぎたくなる音を立てながら、燃えて行くのを眺めていたら。

どうして……? と、そう思うことを止められなくなって。

仲間達や、義姉や、親友より離されてしまうことも忘れて。

カーラは、その光景を見詰めるしか出来なくなった。

────故郷の、少年兵となったのに。

その故郷を、自分達は追われる羽目になった。

だから、祖国を逃げ出した。

祖国から逃げ出した自分を助けてくれたのは、敵国の人だった。

なのに、自分はそこから逃げて。

又、祖国から追われる羽目になって。

再び助けてくれたのは、最初に助けてくれた、敵国の人で。

けれど、又。

自分達はこうして、追われるように。

………………何度。

後何度、こうして自分は、自分達は、見付けた居場所を追われるように、逃れ、そして流れて行かなくてはいけないんだろう。

どうして、自分達はこうして。

追われ、逃れるしかないんだろう、………………と。

燃え続ける砦を眺めて、砦が燃え落ちる音を聴いて。

カーラは少し、ぼんやりと。

その場に佇み続けた。

彼が、今直ぐ我に返り、振り返ったとしても、もう、燃え落ちる砦の灯りが出口までをも照らす道の何処にも、義姉も親友も、仲間達の姿も、見当たらなくなるまで。

けれどカーラは、彼等が疾っくにその森を抜け出してしまったことにも気付かず。

ぼうっと、砦を見上げ続け。

「おい! 生き残りらしいのが、裏の森にいるぞ!」

暫くの間置いて貰った砦を陥とした、己が祖国の兵士達に見咎められて、やっと。

「…………あ……」

森の出口へと、踵を返した。

──漸く、逃げなくてはならないことを思い出した彼は。

未だに、自分が逸れてしまったことに気付いていないだろう義姉達に追い付くべく、必死に走り続けた。

けれど、生まれて初めて、本当の戦を経験した直後に、息付く間もなく砦を襲われ逃げ出した、少年、という年頃の彼が、己の足のみで逃げ続けるには、限界があり。

戦場で戦うことに慣れている兵士達が、そんな彼に追い縋ることは、容易だった。

故に彼は、丁度、その小道より飛び出し、見渡す限りの草原に一歩を踏み出した処で、追っ手の兵士達に取り囲まれた。

しかし。

……きっと、勝てない。

──そう思うしかなくとも。

死にたくないならば、戦う以外に他なく。

「…………っ……」

数刻前、戦場にてのこと、とは言え、初めて人を殺した、表現し難い感覚を思い起こして、僅か嫌そうな顔をしながらカーラは、腰に下げていたトンファーを構え、兵士達に挑んだ。

………………でも。

──幼い頃から彼は、養祖父に武術を習っていたから、彼を囲んだ下級兵士達程度の相手なら、難なく倒せる相手ではあったけれども、それはあくまでも、一対一、精々が処、一対二、といった範疇の話で。

下級兵士と言えど、片手の指では足りない数で取り囲まれれば、太刀打ちの仕様がなく。

彼が、彼を取り囲んだ兵士達と戦い始めて、どれ程かの時が流れた時には、弓や、槍や、剣の先に傷付き、体のあちらこちらから血を流しながらカーラは、真夜中の草原に、片膝を付くしかなかった。

だから、彼は。

もう、駄目だ……と。

御免、ナナミ、ジョウイ、と、義姉と親友の名を呟きながら、強く両目を瞑って、程なくやって来るだろう衝撃に、身を竦めたけれど。

──────唐突に。

彼の傍近くで、そよ風のような、ふわりとした空気の対流が起こり。

え……? と、閉じてしまった瞼を開いた彼の眼前で、遠くで篝る、砦の炎を受け煌めいた、何かが翻り。

何が起こったのか、理解出来なかったカーラの目の前で、兵士達が数名、ドサリ、と。

声も放たず、地に倒れた。