呼ぶ声は、遠く逝ってしまったと思っていた、ナナミのものだった。
足音は、ナナミのそれと、シュウのそれだった。
「本物の、カーラとジョウイだ!」
「え、嘘……。ナナミ…………?」
駆け寄って来て、飛ぶように抱き着き、自分と親友を押し倒した義姉へ、カーラもジョウイも、目を瞠る。
「…………もしかして、担がれた?」
「ナナミが死んだと嘘を吐いたことは、詫びましょうか、一応」
生きての再会を喜ぶ三人を横目に、ユインはムッとしたままシュウを見て、けれど軍師は、空っ恍けた。
「彼女が死に掛けたのは本当ですよ。あの時は丁度、生死の境でした。ですが、家族の危篤の所為で、カーラ殿に狼狽えられても困ると思いましたし。どうせなら、誰も思わぬ場所で、療養させた方がとも。……尤も、今になってみれば確かに、亡くなった、との嘘は、行き過ぎだと思いますが」
「……汚い大人はヤだねえ……」
「貴方に言われたくはありません。処で……──」
だから暫し、明るく幸せな雰囲気が、『約束の場所』を満たしたが、『この先』をどうするのだ、と言いたげに、カーラや、カーラに宿った始まりの紋章や、ジョウイや、ユインをシュウは見比べた。
「………………僕は、デュナンを出ます。さっき、ユインさんに言われた通り、もうデュナンの何処にも、ハイランド皇王だった僕の居場所はないから、何処か、僕を誰も知らない遠い場所へ。……同盟軍の正軍師だった貴方も、それを許してくれるなら、ですけど……」
問う視線に、真っ先に答えたのはジョウイ。
「……最後のハイランド皇王だったあの者は、ルルノイエの陥落と共に、この世から去った筈だ。……何処の馬の骨とも知れない只の少年を、晒し首にした処で益なぞないし、カーラ殿も、そんなことは望まないだろうから、このデュナンの地から消えると言うなら、好きにするといい」
「ジョウイが、キャロにも戻らないで旅に出るんなら、私も一緒に付いてくよ! もう、怪我なんか治ったし、元気だし! それに私達、小ちゃい頃から一緒だったじゃない。カーラは、何か変な紋章宿しちゃったみたいだけど、それだって何とかなるよ! ゲンカクじーちゃんだって、宿してたそれを外せたんでしょう? だから、ねっ? 三人で旅に出て、世界中廻ろうよっ」
低い声の答えに、素っ気なくシュウが返せば、ナナミははしゃぎ出し、義弟を振り返ったが。
「……………………御免、ね。ナナミ、ジョウイ。僕は、その旅に、一緒には行けないや……」
曖昧に、カーラは笑った。
「えっ? 何でっ? どうしてっ? もう戦争は終わったし、盟主でいる必要もないのに、何で何で?」
「僕、は…………」
そして、騒ぎ出した彼女を他所に、カーラはユインを見上げる。
「……この戦争が終わるまでは、君の傍にいる。それが、約束だったよね。でも、戦争はもう終わったから。僕は一先ず、トランに帰るよ?」
「なら、僕もトランに行きます」
「…………君には、戦後の後始末があるだろう?」
「だったら、それが終わってから」
「……その頃にはもう、僕は別の旅に出てるかも知れない」
「追い掛けます」
「………………カーラ。こうして、ナナミちゃんは生きてて、君が望んだ通りジョウイ君は助かったじゃない。そりゃ、始まりの紋章は結局君に宿ったけど、ナナミちゃんの言う通り、何時か封印出来る日だって来るか──」
「──あのね、ユインさん」
真っ直ぐに見上げてみても、ユインは視線も絡ませようとしないまま、何処か力なく言い募って、でもカーラは、それを途中で遮った。
「……何?」
「最後の、最後で。僕はユインさんのこと、やっぱり、『遠い、異国の、どうしようもなく強い、戦いの神様』かもって、そう思っちゃいました。ユインさんと『こう』なっても、多分何処かで僕、『遠い』人なのかも知れないって、そんな風に見てたんだと思います。そして、やっぱり最後の最後で、最後まで僕の傍にいてくれたのはユインさんなのに、もしかしたら未だ、遠いと思ってたジョウイは、本当は遠くないのかも知れないって思って、黙ってここまで来ちゃって、ジョウイが生きててくれること望んだら、それは叶って、ナナミも生きててくれたって判りましたから。僕は又、昔みたいに……ユインさんと初めて逢った、あの頃みたいにって、そう思われても仕方ないかも知れませんけど。…………僕はやっぱり、貴方と一緒にいたいんです」
「カーラ、でも──」
「──ずっと前、言われましたよね。人の手は一対しかないから、欲を掻いちゃいけないって。あれからこれだけ時間が経って、ユインさんが言ってたその意味、良く判りました。だから逆に僕は凄く揺らいで、ユインさんもジョウイ達も、両方掴めないんじゃないかって、そんなこと思いながらルルノイエで戦いました。でも僕は、多分、土壇場で欲を掻いたんです。誰も、失いたくないって。……多分、運が良かったんでしょうね。それは、叶いました。……でも、ユインさんが言ったみたいに、『欲』は掻けません。僕の両手に持ちたい幸せは何か、それはやっぱり、ユインさんなんです。こうして、ジョウイやナナミが目の前に帰って来てくれても、僕は貴方と一緒にいたいって、そう思いました。…………だから、ユインさん。一緒にいさせて下さい」
「…………………………君にとって、僕が。『遠い、異国の、戦いの神様』でも? それくらい、『遠く』ても?」
「……そうですよ。ロックアックスから帰って来た後は、ユインさんだって、僕の傍にいさせてって、そう言ってくれたじゃないですか。……僕は、貴方を置いてここに来ちゃいましたから。もう、そんな風には思ってくれないかも知れませんけど。……でも、やっと。本当に傍にいたいのはユインさんなんだって、本当に本当に思えましたし。……そりゃ、正直あんまり嬉しくはないですけど、僕は、始まりの紋章を宿しましたから、『ユインさんの所』にも行けます。ユインさんの所にだけ行けます。……ジョウイやナナミは、生きてるんです。きっと、会おうと思えば何時でも会えます。ユインさんが、このままトランに帰っちゃうって言うなら、僕も、トンズラします。だから、ユインさん…………」
在らぬ方へと視線を流し続ける恋人を、それでも見詰めて、カーラが言えば、ユインは酷く、顔を顰めた。
「………………そりゃ、さ。本音を言えば僕だって、君とは別れたくないけどさ」
「じゃあ、それで良いじゃないですか。一緒に、トランに行きましょう?」
「……それは困ります」
その表情が、今のユインの本音と知り、カーラはやけに嬉しそうに言ったが、シュウがそこへ水を差し。
「我等が軍のこと、デュナンのこと、これから起つ国のこと、全て放り出して、トランへトンズラだなどと、見過ごす訳にはいきません。……ユイン殿、貴方も。私の不興を押し切って、喧嘩まで売りつけ、本当の最後まで、貴方はこうされたのですから。後始末まできっちりと、お付き合い下さい。……貴方に何をしろと、求める訳ではありませんし、求めたくもありませんが、貴方が穀潰しの身分でいらして下さるだけで、カーラ殿が、少なくとも暫くは、何処にも行かぬと言うのなら」
到底、引き止めているとは思えぬ言い回しを、彼はユインへ投げた。
「………………好きにすればいいよ。……良いよ、もう。もう暫く、グレミオには泣いて貰うから」
「そうですか。……では、参りましょう、カーラ殿」
そうしてシュウは、ぶつぶつとしたユインの声が消えるのを待って、峠道を戻り始め。
「えー……。私は前みたいに、カーラとジョウイと私の三人でって言うのが良かったのに……。…………あ、そうか! 又、暫く何処かに隠れてて、カーラとユインさんがトランに逃げる時に、一緒に付いてけばいいんだ! うん、そうしよう、ジョウイ! そうと決まれば、一回キャロに戻って、荷物取って来なきゃ! ほらほら、行くよ、急がなきゃ!」
「え、ちょ、ナナミ! 引っ張らないでくれよっ!」
カーラとユインの間柄を知らないナナミは、不貞腐れたようにしていたけれど、ああ! と、素敵なことを思い付いたと顔を輝かせ、幼馴染みを引き摺りながら、シュウの後に続いて。
「『仕事』は終わったって、颯爽と消えるのも、『死神様』的には格好良いかな、とか、一寸思ったんだけどなあ…………」
「……幽霊じゃないんですから……」
彼等とは少し距離を置いて、ユインとカーラも、麓へ足先を向けた。
「…………ね、カーラ」
「……はい?」
「本当に、後悔しない?」
「そんなもの、しませんよ」
「そう?」
「ええ。……それに、僕は、ナナミやジョウイとは、流れる『時間』が違いますから。……一緒には、いられないです」
「でも、さ。外せるかも知れないじゃないか、その紋章だって」
「真の紋章外せる方法が見つかって、ユインさんも一緒に紋章外してくれるなら、その時、考えてもいいです」
「……成程」
「………………僕はさっき、ああ言いましたけど。……ユインさんは、もう、僕とは…………?」
「……言ったでしょうが。本音を言えば、僕だって君とは別れたくないって。────ねえ、カーラ」
「…………はい」
「君は、僕にとっても『救い主様』だった。変えられない筈の紋章の理、それさえも、塗り替えることは出来るって、身を以て示してくれた君は。…………うん、何か益々、ソウルイーターに喧嘩売る気、満々になっちゃったよ。三年前の戦争と『こいつ』の所為で、『遠い、異国の、戦いの神様』なんかに、僕はなっちゃったみたいだけど、人の想いが理さえも変えるなら、僕だって、『戦いの神様』の座から降りられるかな。きっと、本当の意味で、幸せにもなれるんだろうね。──という訳で、カーラ」
「何ですか?」
「改めて、末永く、宜しく。その内きっと、僕の中で、君は『救い主様』以上に『カーラ』になって、君の中で、僕は『戦いの神様』でなく、『僕』になるよ。……んー、もう。愛してる」
「…………本当に、何処までが本気で何処までが冗談なんだか、判らないですよね、ユインさんって。でも僕も、ユインさんのこと好きですよ。愛してますよ。これからもっと、『恋人同士』になりましょうね」
「わー、積極的。……じゃあ取り敢えず、今晩、一緒に寝る?」
「………………………………もうそろそろ、それもいいかもですねー……」
「おや。ホントに積極的だね。……じゃあ、あの、鬼軍師殿の目掠めて、愛でも深めよっか」
「そーゆー、赤裸々な言い方、止めて下さい」
────ゆるゆると、麓へと続く、峠道を下りながら、彼等は。
確かに結び合って、この先、二度と離れることないだろう手を取り合って。
天山峠より消えた。
──これより暫くの後、デュナンの地には、地方一帯全てを治める、新国が起ち。
けれど、そこにはもう、『救い主様』の姿も、『死神様』の姿もなく。
露のように消えた彼等を、人々は噂し、二人が、何処へと向かう姿を見掛けたと言い出す者も、少なくはなかったが。
それより先、遥か。
ユインの姿も、カーラの姿も、この世から消えたかのように。
ソウルイーターも、始まりの紋章も、この世から消えたかのように。
けれど。
それより先、遥か。
『救い主様』でもなく、『遠い、異国の、戦いの神様』でもない彼等の手と手は、結び合わされたままで。
それより先、遥か。
彼等は、この世界の何処で。
End
後書きに代えて
2006年の夏コミで発行しました、『それより先、遥か』という小説の再録です。
先日の、『もしも私が〜』と同じく、今となっては、もう古い作品なので、手を入れたくもありましたが、手を入れると、一から十まで書き直しになっちゃうので(笑)、誤字脱字と、「これは、一寸日本語じゃないかも」と感じてしまった数カ所を直した程度での再録ですが、御容赦下さい。
ま、その辺は、男前に潔く(笑)。
──本の方に添えさせて頂いた後書きには、『……多分恐らく、過去に私が書いたことがある&現行書いている坊っちゃんの中で、ユインが群を抜いて、アホだと思います(真顔)。アホです、アホアホです(笑)。』と書かせて頂いたようですが、私、この後、もっと阿呆と言うか、人として駄目な坊ちゃん(笑)を書いたので、一番の阿呆の座から、ユインは下ろされてしまいましたが、アホには変わりないです。ええ。
──この話は、以前東京で開かれた、テッドオンリーイベントに遊び行かせて頂いた帰り道、その日一緒させて頂いたお友達と、坊っちゃんは、英雄イベントが起こらないと仲間に出来ないのに、ルカ様との決戦イベント終わらないと英雄イベント起こらないから、そこだけが一寸淋しい、って話になって、じゃあ、序盤から坊っちゃんが登場しちゃう話はどうだろう、……なんて盛り上がって、それを切っ掛けにして書いたものです。
有り難うー! 綾流さんにうたきさんにマリクさん、有り難うー!
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。