12. Shangri−La

よいしょ、と軽い声を掛けながら、この数年、袖も通さなかった赤い胴着を纏ったセツナは、旅に必要な物の詰まった荷物を持って、もう一度、日付けを指折り数えた。

「えーっと? ルカさんがここを出てって、今日で丁度三年目って。僕、数え間違えてないですよね?」

「ああ。間違ってないよ。平気。僕達は三年しか待ってあげないよ、と告げてあるのだから、お昼頃には、ふらっと戻って来るんじゃないかな」

セツナの服によく似た色の服を着込み、棍と重たい荷物を持って、大丈夫、とカナタは微笑んだ。

「ばれたら怒りますよねえ、シュウさん達」

「そりゃあね。あの無表情な顔に、角生やして怒るだろうねえ。……ああ、見てみたい」

「……相変わらず、悪趣味なこと言いますよね、カナタさんって。僕は、怖いから見たくないです」

「大して、怖いなんて思ってないくせに。国王陛下だろう? 君は」

──未だ夜が明け切らない、薄暗い時刻。

デュナン国と名前を変えたこの国の、全てを司る湖畔の城から、少年達は旅立とうとしていた。

「でもですねえ、本気で怒ると、未だにおっかないんですよ、シュウさん」

「それは、僕も知ってるけど。────気にしなくともいい。昔、君が望んだように、この国はもう、黙っていても幸せを手に入れられるし。ルカが帰ってくれば、君が特に気にしたシュウも、幸せになるんだろうし。腐っても元皇王陛下、君の出奔で生まれる執務の穴は、ルカが埋めてくれる。ここに来るの、さんっざん迷ったんだろうけど、結局はやって来たハイランドの元将軍達だって、いい加減、慣れただろうし」

「そうですかねえ……」

「そうだよ。それにね、セツナ。君がここを離れても大丈夫になるまでしてた、グレッグミンスターとこことの往復も、いい加減飽きたんだ。──僕は、三年も君を彼等に貸したんだから、もう返して貰ったって、罰は当たらない」

「ま、それもそうですね。二度と帰って来ない訳じゃないですしね。時々は顔出すつもりですし。──じゃ、行きましょうか、カナタさん」

旅立ちの一歩を踏む直前、少しばかりグズグズと会話を交わして、そうっと彼等は窓を開けた。

「フェザー。宜しくねー」

そこは城の最上階に位置する場所だけれど、あの戦争が終わって三年の月日が経った今も尚、少年の姿のままある彼等は、何時も屋上に陣取っているグリフォンを呼び寄せ、背に乗せて貰い、簡単に中庭へと到達する。

「有り難うね。僕、一寸留守にするけど。又、必ず帰って来るから。待っててね。──あ、そうだ。それからね。今日、ルカさんが帰って来たら、このお手紙、渡してね」

懐いていた少年達が旅立ってしまう気配を察して、フェザーはキュインと寂しげに鳴いたけれど、セツナに頭を撫でられ大人しく頷き、渡された手紙を嘴に銜えた。

「じゃあね、フェザー」

「又ねーーー」

──唯。

人語を解するグリフォンのみに見送られ、二人は軽く手を振ると、見張りの兵の目を避け、軽々、城壁を越えた。

「さて、と。どっち行きます?」

「そうだねえ……。北はハイランド、その先はハルモニア、か……。南はトランだし。西の、グラスランドにでも行ってみようか」

乗り越えた城壁の先に広がる草原に、トンと降り立って、ソロソロと昇り始めた朝日に背を向け、二人は歩き出す。

────あの戦いが終わって、三年の月日が流れた。

けれど、魂喰らいを宿した少年も、始まりを宿した少年も、毛筋程もその姿を変えず、歩き続けるには『足りない』不老が齎す永劫の時間を、『楽しむ』ように揺蕩っていた。

……老いること許されない生。

それが如何に歪であるか、少年達は能く知っている。

過ぎる程判っている。

それでも彼等は、天を魁ける星の許に生まれてしまったが為、その歩みを止めることが出来ない。

止まることなど出来ない。

それは、彼等の償いでもあるから。

止まれない。

『幸せ』になる為の、『共に在る』為の永劫の時間、それは、英雄などでなく、救世主などでもなく、只の人殺しだった時代への償いでもあるから。

幸せにしたいと願った全ての人々を本当に幸せにする為に、記憶に留め続ける時間でもあるから。

彼等は永劫に生きて償いを続け、永劫に、大切だった全てを幸せにし続ける。

だから二人は、目指そう、と決めた。

『Shangri−La』、その大地を目指そうと。

決してこの世に有り得ない地上の楽園、そこを目指して歩こうと決めた。

手の中にあった、何よりも大切だった『筈』の全てを零してまでも、進むしかない生の行く先に。

螢の舞う甘い水辺に立ち続ける彼等の、見続ける夢の先に。

有り得ない理想郷があるのだと、信じることにして、二人は。

償いを続ける為に。大切だった全てを幸せにする為に。

共に在る為に。幸せになる為に。

「セツナ?」

「はい?」

「共に、ゆこうね」

「はい。約束ですよ?」

「何があろうとも。僕は君の傍にいるよ」

「はい。僕も、カナタさんの傍にいますね? だから、傍にいて下さいね」

眠りの果ての。

辿り着いた、甘い甘い場所で見続ける夢の果ての。

有り得ない『Shangri−La』、それが消える日まで。

……いいや、それすら露と消えても。

螢の水の如き、甘い……甘い甘い場所に立ち続けて。

共に、ゆこうね。

幸せになりましょうね。

End