幻想水滸伝2
『記念日』
その店内の四隅や、柱の陰や、円卓や、長机の上に灯る灯りは、数多かったけれど。
建物の作りが古く、窓が少ない所為か、その酒場はやけに薄暗くて、けれどそこは、店内を満たす粗野な男達の熱気で、溢れ返っていた。
宵の口を過ぎて、夜がやって来たばかりの頃合い、その大陸の辺境に位置する小さな都市の、その又片隅にある小さな酒場は、殊の外賑やかだった。
が、その店がそんな風であるのは、今宵に限ったことではなく、特別なことでもない。
通年を通して、その辺境の街の酒場は、大抵賑わっている。
──本当に、真実、田舎、と例えるのが相応しい、閑散としていて人影も少ない辺境も、世界のあちらこちらに存在しているけれど、辺境に位置しているからとて、賑わいがないとは限らない。
この街のように。
辺境に位置しているからこその、絶え間ない国境紛争に巻き込まれ、戦いに食い扶持を求める男達の往来ばかりが激しい、そんな辺境もある。
だから、その街は、土地柄や規模に似合わずの喧噪を、常に振り撒いていて。
小さな酒場も又、例外ではなく。
「…………凄く、賑やかな街ですね」
「そうだね。でも少し、賑やか過ぎる」
そんな酒場の隅の方、満たされた人いきれの陰で、目立たぬように、身を小さく丸めんばかりの風情を醸し出しつつ、二人の少年が、静かで細やかな、食事にあり付いていた。
「あっちの国と、こっちの国で、一寸した紛争中って、道々聞いた噂通りでしたね。凄く、傭兵が多い……」
「……うん」
「無理に、立ち寄らなくても良かったんじゃないですか? この街」
「まあね。でも、ここ暫く、集落の影も形も無いような、荒野続きだったから。久し振りに宿を取るのもいいかな、と思ってさ。……明日には僕達、ここを出て行くのだから、問題ないよ。多分ね」
小さな卓に着いて、取り敢えずの腹を満たせればいい、と言った程度の、質も量も細やかな夕餉を、羽織った、古ぼけたマントも脱がぬまま、胃の中に落として行く少年二人連れは、ボソボソと、小声の会話を交わした。
何処からどう見ても、少年、としか例えられぬ年頃らしい彼等は、やはり、何処からどう見ても、旅人以外の何者でもなく、そんな年齢だと言うのに、旅を長らく続けているのだろう所為か、傭兵達が溢れ返るこの街の『事情』が気に召さぬようで。
ぶちぶちと、木で出来た粗末なスプーン片手に、スープの皿を掻き回しながら、年下らしい方の少年は文句を零し。
年上らしい方の少年は、片割れの苦情を受け流した。
──この、通りすがりの旅人である、二人の少年。
年上の方の少年は、名を、マリオン・マクドール、と言い。
年下の方の少年は、名を、やはり、マリオン、と言う。
今を遡ること、約十年程前。
この大陸ではない大陸で起こったトラン解放戦争の最中、軍主として解放軍を率い、赤月帝国を滅ぼし、トラン共和国を興したトラン建国の英雄と。
トランの建国より三年後、盟主として同盟軍を率い、デュナン統一戦争を戦い、ハイランド皇国を討ち果たし、デュナン国を興したデュナン建国の英雄の、二人連れだ。
デュナン統一戦争の最中、ふとしたことを切っ掛けに知り合った二人は、あの戦いが一昔は前のこととなった今でも、その頃のように、日々を共にしている。
お互い、それぞれの国や近隣では、『英雄』と呼ばれ、一国を治めていても、おかしくないのだけれど。
一人は、ソウルイーターと呼ばれる、二十七の真の紋章の一つ、『生と死を司る紋章』を、一人は、同じく二十七の真の紋章の一つ、『始まりの紋章』を、それぞれ宿しているからか。
マリオン・マクドールはトランに背を向け、マリオンはデュナンに背を向け、それより十年。
今の彼等は、流浪の身だ。
それを宿せば不老となるのが理の、真の紋章を宿した者達だから、十年は、所詮、十年、と言い表せてしまう、一瞬の流れだったのかも知れないが。
十年の年月は、何処まで行っても十年で。
もう彼等は、自分達の本当の名さえ、うっかりすれば忘れてしまいそうになっていた。
──出逢った頃、お互いの名前が同じだと気付いて以来、「じゃあ、名前を半分ずつ分け合おうか」と語り、マリオン・マクドールは、『マオ』と。
マリオンは、『リン』と。
互い、そう呼び合おうと決めて、だから今でもマオは、年下のマリオンのことを『リン』と呼ぶし、己自身マオと名乗るし、リンは、年上のマリオンのことを『マオさん』と呼んで、己自身リンと名乗る。
だからもう、十年の年月が過ぎた今。
マオは『マオ』で、リンは『リン』で、彼等は自分達の本当の名が、二人揃ってマリオン、であることすら、ともすれば失念し掛ける。
…………それ程。
不老の身の上にも、『一瞬』の年月は、『長く』。
共に過ごした日々は、マオにとってもリンにとっても、様々な意味で『濃密』だった。
右手に宿る真の紋章を人目に晒さぬようにと、きっちり嵌め続けるのを習慣付けた為、革の手袋をしたままでも、不自由を感じることなく食事から何から出来るようになってしまった、それと同じく。
本当の名を、放棄したかのようにしているのも。
共に日々を過ごすのも、この十年で彼等は、『当たり前』とした。
……彼等にはもう、『帰る場所』がない。
我が家も家族も、消え去った。
故に、そうなるのは、自然なことだったかのも知れない。
マオにとってのトラン、リンにとってのデュナン、それはそれぞれ、『我が家』ではあるけれども。
『我が家』であるからこそ、もう戻れない。
寄り添える場所も、寄り掛かれる場所も、互いが互い、たった一つ、だ。
…………そう、マオにとってはリンが、リンにとってはマオが。
寄り添い、凭れられる、唯一の相手。
どうしてこうなったのか、何故運命がこうだったのか、彼等には判らないし、今更そんなこと、もうどうでも良いと、二人共に思っている。
あの頃の何が『この流れ』を作って、何がこの運命を掴み取らせたのかは、十年という時の向こうに消えてしまった後だ。
あるモノは、『今』しかない。
唯一の存在が、互いにとって、互い、ということしか。
…………そうだ。
あの戦いの頃から、約十年。
マオにとって、リンは唯一無二だったし、リンにとって、マオは唯一無二だったから。
彼等の、唯一無二の相手にさえ見せない心の中ではもう、互いに注ぐ想いは、友情や、『相棒』や『片割れ』といった存在に注ぐに相応しいモノや、『肉親』に与えるべき想いの垣根を、疾っくに越えてしまっている。
……でも。
彼等は未だに、手と手すら、結び合ってはいない。
マオはリンに、リンはマオに、想われているのだろうなと、薄々察してはいても。
この十年の日々を、『その先』のそれへと塗り替える勇気を、中々二人は持てなかった。
『そういう意味』で、相手に想われているかも知れないと察しても、薄々、でしかないし、確証は何処にもない。
例え、『思い込んだ』通りだったとしても。
『その先』も、これまでの日々のように、変わらず寄り添えるかどうか。
それは、賭けでしかない。
『友情』や『仲間意識』と、『愛情』は歴然と相違している。
『その先』の愛情に手を伸ばして、『その先』そのものが消え去ったら、唯一の、帰り場所さえ、自分達は……、と。
マオもリンも、そう思うことを止められなかった。
故に彼等は、過ぎ去った歳月の中で、『変わらぬ日々』に甘んじてきていた。
………………けれど、その日。
傭兵達で溢れ返る、何処か殺伐とした雰囲気の、国境に面した辺境の街に辿り着いたその日は。
丁度、あの戦いの最中、バナーという鄙びた村の池の畔で、彼等二人が巡り逢った、記念日だったから。
二人連れ立ち、こうして旅に出て、もう十年が経つのだし。
折角の、記念日なのだから。
これを切っ掛けに、少しばかり前向きになっても、と、少なくともマオの方は思っていて。
だから彼は、少しばかり強引に、戦乱の匂いがする街に立ち寄るのは嫌だと言ったリオを説得し、適当にいなして、一晩、安宿ででもいいから、せめて語り合いたいと、そう思って。