幻想水滸伝2

『僕達は未だ、何も知らない』

俗に言う、『飲ん兵衛』達ばかりが集っているレオナの酒場の片隅を、目立たぬように陣取って、青年はじっと、この城に集う人々を見詰めていた。

元々この青年は、余り口が達者な方ではないけれど、無口、と云う訳ではないから、誰かが何かを尋ねてやれば口を開くことはする彼が、ぼー……っと、人の流れだけを見詰めているのは、少々違和感で。

酒場を通り縋った、又は、酒を浴びにやって来た、彼とは馴染みの人々が、外見だけは少年のまま在る青年に、声を掛けてはみたが。

彼は。

「おい? 何やってんだ? お前」

と、熊のような風貌の傭兵に、肩を叩かれても。

「………………。別に……」

そう返すだけだったし。

「……何か、悩みでもあるのか?」

と、全身青一色の傭兵に、顔を覗き込まれても。

「参考にならなさそう……。──あ、何でもない、気にしないで」

意味不明の呟きを返すだけだったし。

「なーに難しい顔しちゃってんの? 湿っぽいねー」

と、彼の故郷、トラン共和国初代大統領子息にからかわれても。

「軽いノリだね…………」

ぷいっと、素っ気無い態度を取るだけだったから。

その内に、今は放っておいた方がいい、と、大半の者がそう判断したのだろう。

何時しか、彼の周りに近付く影は、消えた。

だから青年は今も尚、心置きなく、行き過ぎる人々を、唯眺めるだけの行為に没頭し。

視線だけを動かしながら、胸の中で一つ、誰にも聞こえぬ溜息を付いた。

────三年前、トラン地方で勃発した解放戦争を制した、トラン建国の英雄と名高い彼が。

一言で説明するなら、食客、と云う立場で赴く機会の増えた、このデュナン湖畔に建つ城にて、ぼんやりと、酒場を行き交う人々を眺めているのには、理由がある。

彼は今、一つの悩みを抱えているのだ。

世間で言う処の、恋煩い、と云う悩み事を。

……が、彼の『恋煩い』は、一筋縄で解決出来るようなものではないから。

彼はらしくもなく、こうして、悩み抜いている。

そもそも、この彼には、例え誰に惚れたとしても、最大の障害となり得るだろう『現実』が付き纏っている。

三年前の戦いに、彼が、まあ……或る意味では『巻き込まれる』切っ掛けとなった、この世界を支配する、二十七の真の紋章の一つ、生と死を司る紋章、それを宿していると云う現実、が。

何処まで行っても、彼には付き纏う。

彼の恋路を阻む、最大の壁だ。

この世で最も呪われた紋章、と云う、誠に有り難くない『例え』を冠されるだけのことはあって、彼が宿した真なる紋章──そのあだ名を、ソウルイーターと云うそれには、宿主の近しい者の魂を、盗んで喰らう、と云う『業』がある。

強大な力を、継承者に貸し与える代償に、ソウルイーターは、贄を求める。

実際、その業の所為で彼は、三年前の戦いで、大切だった近しい者を、幾人も亡くした。

だから。

そんな傍迷惑な紋章を宿している彼が、それでも誰かに惚れて、恋煩いに沈む、と云うのは、尋常ならざる事態で、三年前の戦いの成りゆきをその目で見て来た者達などには、カリスマの塊、と評されるような彼であろうとも、悩み抜くのは道理なのだろう。

しかも。

それだけでも、彼にとっては一大事、苦悩に塗れた恋煩いだろうに。

運命の皮肉と云う奴なのか、彼が想い寄せてしまった相手が又、『曲者』……と来ているから、余計に厄介だ。

──宿した紋章の所為で、深い業を抱えて生きていかなけれぱならない彼が、惚れてしまった相手、それは、少年、なのだ。

紛うことなく、何処からどう見ても、男、である彼が。

紛うことなく、何処からどう見ても、男、である、一人の少年に、惚れてしまったのだ。

……彼を、この城へ、食客、として招いた当人である、ここの、幼き城主。

デュナン、と云う大地の為に、統一戦争を繰り広げている同盟軍の、盟主である少年。

そんな少年に、彼は。

恋慕、と云う想いを、抱いてしまった。

────彼が、同盟軍盟主である少年に対して、恋心を向けるようになった理由は様々あるし。

彼の恋心は、三年前の己に良く似た立場にある少年に、最初は寄せた、同情から始まった想いなのかも知れないし、弟のように感じられる少年に対する、庇護欲とか保護欲とか、そう云った類いの物が、高じただけなのかも知れない。

だがもう今更、切っ掛けが何だったのか、とか、どうしてこうなったのか、と云う理由を、探ってみる気など、彼には更々ない。

己の抱えた業も、互いの性別も、顧みてはいられなくなりそうな程、如何ともし難い場所にまで、己が立ってしまったことを彼は、認めざるを得なくなっているので。

『追求』することも、振り切ることも、彼は諦めた。

好き、と云う想いと。

嫌い、と云う想いだけは、誰にも、その想いを抱えた当人でさえも、どうしようもない、人間の抱える感情の中で、最も始末に負えないそれだから。

好きなら好き、惚れてしまったなら惚れてしまった、それでもういい、と彼は、そう考えることに決めた。

僅かの時……でしかないのかも知れないけれど、『あれ』から三年の年月が、少なくとも流れてはいるのだ、大切な人々を喰われるしかなかったあの頃とは、又違う結果が生み出せるかも知れない。

縦しんば、運命と云う名の腹立たしい存在が、三年前と同じ結果を導きだそうとしても、徹底的に抗ってやるくらいの根性は、持ち合わせられるようになったから、と。

彼はそう腹を括って。

…………括ったが最後、手のひらを返すような早さで彼の思考は、ならばどうやって、この想いをあの少年へと打ち明けたらいいんだろう……? と相成り。

故に彼は今、酒場の片隅で、人々を眺めている。

当人もその部分、劣等感を感じていることだが。

十代半ば、と云う年齢で、ソウルイーターを宿してしまったが為、彼には、表立った恋愛の経験は皆無だ。

例えば誰かに、初恋を経験したことがあるか? と問われたとして、己の過去を振り返れば、ああ、あれがそうだったのかな……程度の想いを馳せるくらいは、彼にも出来るが。

自覚が伴う程あからさまに、誰かのことを好きになった経験は、彼にはない。

況してや、誰かに好きだと告げたことも、誰かに好きだと告げられたこともない。

だから、今現在の、秘めたる想い人に、己が胸の内をどうやって伝えたらいいのか、彼には皆目、見当が付かないのだ。

惚れた相手が女性であったならば、流石に、そのような初歩的な部分で、彼も悩んだりはしないのだろうけれど、如何せん、相手が、普通ではなさ過ぎて。

世に数多ある、恋愛物語のように、好きだ、と唯告げて良いのか否か、経験不足の彼には判らなかった。

故に、恥を忍んで。

『人生の諸先輩方』に、彼は教えを請うてみようかと、その日、盟主の少年に連れられるまま赴いた、デュナン湖畔の城の酒場に、根を張った………のだが。

「おい? 何やってんだ? お前」

と、声を掛けて来てくれた、様々なことを教えて『は』くれる、熊のような風貌の傭兵、ビクトールに、色恋沙汰を相談してみても、きっと、男は潔く、当たって砕けろだ、とか何とか、直球勝負に出られるのが目に見えたし。

「……何か、悩みでもあるのか?」

と、顔を覗き込んで来た、全身青一色の傭兵、フリックに、彼の恋愛経験に基づく教示を仰いでも、どう考えても、フリックと、フリックの『元彼女』のパワーバランスは、『元彼女』の方に傾いていただろうから、参考にはならないと思えたし。

「なーに難しい顔しちゃってんの? 湿っぽいねー」

と、からかって来た、トラン共和国初代大統領子息、シーナは、恋愛経験……と云うよりは、ナンパ経験だけが豊富そうで、ナンパの必勝法が聴きたい訳じゃないしね……と、その軽いノリに、嫌気がさして。

結局、心当たりの人々に、相談することも出来ず、悶々と、人の流れのみを視線で追っていた彼は、やがて。

────彼は。

「…………まあ、なるようになるんだろうな、多分……」

一言、そう呟いて、ふんぎりを付けたように、すくっと、酒場の片隅より立ち上がった。

「何処か行くのか?」

何処となく、厳しい顔をして彼が立ち上がったから、何処へと歩いて行く姿を見掛けた、『相談者候補』だった者達が、声を掛けた。

「……あ、うん……。あの子の所」

一応、問われたことに、回答を示し。

向けられた視線を、ちらりと弾き返し。

思い煩いに、一人決着を付けたらしい彼は、レオナの酒場を、出て行った。