貴方の住まう場所ですよ……と。

同盟軍の正軍師に、そう告げられた日より、己の憩いの場となった自室にて、少年はぼんやりと、天井を眺めていた。

「……どうかしたの? 具合悪いの? お腹痛い……とか?」

先程から、何やかやと喋り掛けても、生返事しか返さず、ぼっさり……としている義弟を案じて、少年の義姉が、気遣いの声を掛けたが。

「……うん……。一寸。あ、お腹が痛いとか、そう云うんじゃないから、平気だよ」

気のあるような、そうでないような、曖昧な言葉を、少年は返した。

何時も何時も、暇があるとこの部屋にやって来て、賑やかにお喋りをしていく義姉のナナミの声を、遠くに聞きながら少年は、唯々、天井を見詰めた。

しっかりしなくちゃなあ……とは思うのだけれど。

僕は、同盟軍の盟主なんて云うのやってて、皆と一緒に、戦争を戦ってるんだから、しっかりしなくちゃ……とは思うのだけれども。

少年には、『そんなこと』よりも遥かに色濃く胸の中を満たして、どうしても消えぬ、想いがあったから。

ナナミの声に、意識を傾けることが出来ずにいた。

────成りゆきのような、そうでないような、彼自身には何とも言えぬ『事情』で、同盟軍と戦っているハイランド皇国出身であるにも拘らず、少年は、同盟軍の、盟主となった。

十代半ばになるかならないか、の年齢でしかない自分が、どうして盟主なんかに……とか。

何でこんなことになっちゃたのかなあ……とか。

そう云った思いを少年は、抱いていない訳ではないが、望む望まざるに関わらず、己は今、同盟軍の盟主なのだから、頑張らないとね、と、少年は、そう考えている。

出来る限りの努力と云う奴を、少年は振り絞ったつもりでいるし、実際、それに間違いはないし、何時でも何処でも彼は、己が率いる軍へ、心を砕いているのだけれど。

同盟を結んだ国、トラン共和国へ向かう途中、国境の村、バナーの池の畔で、トラン建国の英雄と知り合ってより、少年の様子は少し、おかしくなった。

戦いに巻き込んではいけない、と、少年自身も思ってはいるのだろう三年前の英雄の元へ足繁く通い、トランの英雄を、己が心の支えとしているらしい節も、見受けられるようになった。

──少年の、心の内訳が。

その程度であるならば、良かった。

周囲の者達が言うように、ま、そんな話は、良くあることだから……と、微笑ましく見守って貰えている範疇で、誰にも見えない少年の心の内訳が、留まっているならば良かったのだが。

何時の頃からか、少年の胸の内は、同盟軍のことよりも、戦いのことよりも、大切な己の義姉や、今は敵国にいる幼馴染みのことよりも、トランの英雄のことのみで、占められるようになり。

しっかりしなくちゃ……と云う、自らへと向ける叱咤さえ裏切って、彼は、かつての英雄である青年のことばかりを、考えるようになった。

隣で喋り続ける、ナナミの声すら、耳に入らない程。

────青年と共にいると、とても楽しい、と少年は思う。

何時でも一緒に居たい、そんな想いに駆られるし、一緒に居られれば幸せだ、と想うし。

青年の顔を見ていると、声を聴いていると、ぽわん……となって、何となく、胸がどきどきする……と、少年は感じている。

…………彼の中の、その始まりが一体何だったのか、は兎も角として。

それを、世間では、恋、と云うのだが。

幸いなことに、と云うか、不幸なことに、と云うか。

己が、初恋をしたことがあるのかないのか、それすら判断付かない『幼い』少年には、自分が、トランの英雄に恋をしている、と云う自覚がない。

どうして、マクドールさんと一緒にいると、こんなにも幸せって想うのかなあ……程度の、疑問は抱いているけれど。

それが、恋だの愛だの、と相成る『現実』に、少年は気付けない。

鈍い、と云ってしまえばそれまでなのだが……まあ、初恋の何たるかも判らないような彼に、同性に対して抱いてしまった恋心など、例え己の感情だとしても、解れ、と云うのが無理な相談なのだろう。

だから彼は、今日も、心ここにあらず、のまま。

今は傍にいない青年のことのみを想って。

天井を、仰ぎ。

「あの……さ。最近、おかしくない?」

ぼう……っとしたままの少年に、不意に、ナナミがそんなことを言った。

「………そう?」

その義姉の声は拾えた少年は、きょとん、としたまま、首を傾げた。

「うん、おかしいよ。絶対、変。何時も、ボー……っとして。あたしの話も、ちゃんと聴いてくれないし。シュウさんとかに何か言われても、ぼんやりしてるし」

「そ……っかな…………」

「そうだよっっ。変ったら変っっ。何かね、恋煩いでもしてるみたいだよ?」

変だ、おかしい、と喚き立てても。

辿々しい答えしか返さない義弟に、ナナミは文句をぶつけて。

「恋……煩い…………?」

「誰かのこと、好きになっちゃって、悩みまくってることっっ」

「……あー……。それは、言われなくっても判る」

「だーかーらーーーっ! その、恋煩いしてる人みたいだ、って言ってんの、お姉ちゃんはっっ! 恋する乙女みたいって。何なのよ、もーーーーっ!」

誠に『適格』な当てずっぽうを告げて、ナナミは、八つ当たりを開始した。

「何なの……って言われても」

「じゃあ、あたしの話、ちゃんと聴きなさいよっっ。恋する乙女っっ!」

「…………一から十まで、理屈になってないよ、ナナミ。それに僕、間違っても乙女じゃないし」

「お姉ちゃんの話を、ちゃんと聴かないからでしょっっ。あたしの所為じゃないわよっっ」

「ワケ判らないよ……。────あの、さ。悪いんだけど。一寸、一人にして?」

「え? 一人って……。え? 一寸、何よっ! どう云うつもりなのよーーーっ!」

──八つ当たりをされた挙げ句、全く筋の通っていない理屈を展開されて、少年はあからさまに渋い顔を作ったが。

やがて、ふっ……と表情を変え。

未だに、ぎゃいのぎゃいの言い続けている義姉を、部屋から追い出した。

お姉ちゃんに逆らう気っ!? ……と云うようなことを喚き続けるナナミを、『根性』で閉め出し、扉を閉ざし。

「…………恋煩いぃぃぃぃぃぃ!?」

ダッとダッシュし室内を駆け抜け、ベッドの上に飛び乗って。

少年は、素っ頓狂な声を上げる。

「恋煩いって、恋煩いって、アレだよねっ、アレっ! …………ナナミの言うことが当たってるんだとしたら………。え、僕、マクドールさんに恋煩いしてるってこと? マクドールさん、男なのにっっ? 僕も、男なのにっ? 普通、恋愛って、男の人と女の人でするんだよねっっ?? それって、どーゆーことーーーーっ!?」

悲鳴に近い声を放って少年は。

続けざま、ベッド脇の壁に向かって叫びをぶつけ、序でに、壁に向かって枕もぶつけ、跳ね返って来た枕を抱いて、コロコロと、ベッドの上をのたうち回り始めた。

「嘘だああああ。嘘だああ、僕がマクドールさんにー、だなんて、嘘だあああ! そんなこと、あるワケ…………。あ、でも………。うーーー、でも…………。マクドールさんと一緒にいると、幸せ感じるのはホントだし……。誰だったか、恋愛って、そーゆーモンだ、って言ってた覚えあるし……。──ぎゃあああああ! でもおおおっっっ! マクドールさん、男だしぃぃぃぃぃっ! …………それに…………」

ベッドの上を、泳がんばかりの勢いで、散々、のたうち回った後。

ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん喚いて喚いて、その最後に少年は、声を顰めた。

「それに…………。例え僕が、マクドールさんのこと好きだったとしたって……。マクドールさんきっと、紋章のこと気にしてるから、僕なんて、相手にして貰えないもん…………」

────或る意味それは、幼さ故の、利点なのかも知れない。

喚いて喚いて、転がり廻って、果てに、己にも気付かぬ内にあっさり、少年は、自分がトランの英雄に恋しているのかも知れない、と云う事実を受け入れ。

受け入れた途端、件の英雄に纏わり付く『業』を思い出して、声音に、嘆きを忍ばせた。

「うーーーーーっ……。ヤだなあ…………。ヤだな、僕、本当にマクドールさんのこと、好きだったらヤだなー…………。失恋って云うの、確定ってことでしょ? これって…………。そもそもーーーっ、僕達男同士だしぃぃぃぃぃっ! あーもーーーーっ! ……でも……これだけ喚くってことは、僕、ホントにマクドールさんのこと、好きなのかも…………。──好きなら好きって言った方がいいのかなー……。その方が、すっきりするのかなー……。でーもーなーーー。失恋確定だもんねーー…………」

そうして、少年は。

呟きに、悲しみを織り交ぜた後。

ベフッッッ……と、強く枕を抱き。

再び、ベッドの上をのたうち回り始めた。