幻想水滸伝2

『密会』

何時ものように、昼間の内から、拝み倒すようにして頼み込んで、やはり何時ものように、約束した時間、『口止め料』代わりの手製の菓子を持参し、

「内緒ね?」

と微笑んでみせ。

漸く、今夜も大丈夫、との確信を覚えて彼は。

「今度はケーキがいいなあ」

……とか何とか、眠たげな目で告げて来た、時空を制する少女に見送られてやっと、『転移』を頼んだ目的地の片隅で、ホ……と、安堵の溜息を付いた。

こそこそと辺りを見回せば、真夜中であることが幸いしているのだろう、通りを行き交う人の影は僅かで、擦れ違う僅かの影達も皆、酒を嗜んだ後のような赤ら顔をしているから、きっと誰も、こちらに気など止めぬ……と一人頷き。

──ニクス、と云う名を持つ、少年である彼は、ラダトと云うその町の、宿屋の門を潜った。

ニクスにとってこの町は、決して知らぬ場所ではないし、彼の正体を知る者も多いだろう土地柄だけれども、時間も時間だし、深く、頭からマントを被っているし、と。

大丈夫──自分にそう言い聞かせ、ニクスは宿屋の帳場に立ってる主へと近づき、声を押し殺して話し掛けた。

「あの…………待ち合わせをしてるんですけど……」

「……ん? ああ、あのお客さんの連れかな。だったら……──

…………待ち人がここにいる、と彼がそう告げれば。

宿屋の主は呆気なく頷いて、そんなお客の心当たりは、今夜は一件しかない、と、この店でニクスと待ち合わせをしているだろう客の部屋を教えてくれた。

「有り難う」

だから彼は、礼の言葉もそこそこに、俯いたまま素早く振り返って、二階の客室へと続く階段を昇った。

足早に、けれど足音だけは忍ばせ、階段を、廊下を行き過ぎ、教えられた部屋の扉を彼が軽く叩けば、待つ程のこともなく、するりと扉は音もなく開いて、ニクスはそこへ忍び入った。

「……えっと……こんばんは……」

我ながら、間抜けな挨拶……とは思いながらも。

扉を開けてくれた眼前の相手を見上げ、彼はそう告げる。

「こんばんは」

すれば相手も、笑いながら、ではあったけれど、同じ言葉を返して来て。

「気の利かない挨拶なんて、真似なくてもいいのに……」

ムスっと、拗ねたように口を尖らせて言い募りながら、ニクスはマントを脱いだ。

「だって君が、こんばんは、なんて言うから。僕も返さないとかな、って思ってね」

「相変わらず、変な処意地が悪いんだから」

「そんなことはないよ」

全身を覆っていた茶色のマントを抜ぎ、下に着込んでいた、赤色を基調とした衣装をニクスが露にすれば、彼の待ち人は相変わらず笑いながら、誠に当たり前の動作で、そのマントを取り上げ。

「何時も通りの格好なんて、してこなければいいのに」

眼差しだけに、少々不服の色を乗せて、ニクスの瞳を覗き込んだ。

「だって……。もしも誰かに見つかって、好きでしてる格好まで変えて何処行くんだって言われたら困るし。やっぱり誰かに見られちゃった時、タナと会ってるのにどうして変な格好して、って要らないこと突っ込まれても困るし……」

──ニクスが、タナ、と呼んだ、ニクス自身と同い年か、ひょっとしたらほんの少しだけ年上かも知れない『少年』の瞳に、抗議に近い色が浮いたのを見て取って、慌ててニクスは、そんなことを告げた。

「……まあ、それはそうなんだけど」

すればタナは、軽く肩を竦め。

取り上げたニクスのマントを、客室の壁に作り付けられた衣装掛けへと掛け。

「どうでもいいことで、時間を潰してしまうのは止めよう。──同盟軍の盟主、なんて立場にある君が、あの城を抜け出して来るのに難儀しただろうように、僕も今夜はね、グレミオの目、盗んで来るのに難儀したから。黙って家を抜け出して来たのがばれると、後が厄介だ」

部屋へと忍び入った時のまま、入り口近くに立ち竦んでいるニクスへと、いざなうように、右手を差し出した。

「うん。……ゆっくりしてる時間なんて、あんまりないし……」

伸ばされた、タナの右手の掌に、躊躇いもなくニクスは、己が右手を添え。

「…………逢いたかった。皆と一緒じゃなくって。二人っきりで。誰にも邪魔されずに。逢いたかった……」

そう言って、勢いを付け、タナに抱きついた。

「僕も。……僕もこうして、君に逢いたかった……」

背中へ廻した腕に、強い力を込めて来たニクスを抱き返して。

タナも又、ニクスの耳元に、そんな囁きをくれた。

────今宵。

この、ラダトと云う町の片隅で、逢瀬を交わしている『少年』達の片割れである、ニクスと云う彼は。

数ヶ月前より、デュナン地方と呼ばれるこの辺りより遥か北に位置するハイランド皇国と、この大地の覇権を懸けて戦っている同盟軍の、盟主、である。

年の頃は、未だ十五、六で、盟主などと云う『役割』を押し付けられるには幼過ぎるきらいがあるけれど。

様々な事情と、偶然と、必然と、が相まって、『幼過ぎる』彼は、『そんな役割』を果たしている。

一方、彼と待ち合わせていた、タナと呼ばれた『少年』は。

今を過ぎること三年前、現在の名称をトラン共和国と変えた、かつての赤月帝国にて起こった解放戦争を制した、伝説の──たった三年の年月が過ぎる間に、それでも『伝説』となってしまったあの戦いの、『伝説の英雄』、との立場を背負ってしまった人物で。

彼等は互い、人々の視線に晒され、人々の中に唯ならぬ『何か』を思い起こさせる者同士で。

そして、『少年』と云う、性別を共にする者同士で。

けれど、彼等は。

恋人同士、だった。

世間で言う処の、途ならぬ恋、と云うそれに堕ちた。

きっと、誰も認めてなぞくれないだろう恋路を共にしようと誓った、恋人、同士。