12/07/2002 彼の中での『専門家』 エドガーさんの場合
 
 セッツァーさん同様。
 判らないことは知っている者に聞くに限る、知りたいことが書いてある本を読むに限る、と云う思考を、エドガーさんも持ち合わせている。
 所詮素人が、専門家に叶う筈がない、と云うのが、エドガーさんの持論だったりする。
 なので。
 セッツァーさんと、基本的な考え方がとても良く似ていらっしゃるエドガーさんは。
 セッツァーさんが、色町の片隅にて、女衒の親分さんに教えを請うている頃。
 とっとっとっ……と、軽快に己が城内を歩いて。
 厳かーな雰囲気に包まれている、神殿を訪れた。
 蛇足ながら。
 彼が赴いた場所は、フィガロ城の中にある神殿である。当たり前のことだが。
 と云うことは、フィガロ、と云う国の国教の、そこは総本山に当たる。
 んで以て、その神殿で一等偉いのは、彼のばあやである神官長だ。
 …………上記のことを踏まえて、先に進んでみよう。
 ああ、その前に、何故、エドガーさんが己が悩みの解消の為に、そこに赴いたかと云うと。
 一一一一同性間性行動の実体は、先日侍医に尋ねたから、未だに朧げな箇所があるとは云え、一応は、判った。
 で、その行為に、女性に例えるなら、破瓜に等しい障害が付きまとうのも知った。
 更には、誠に不本意ながら、破瓜的な障害を受けるのは恐らく、恋人ではなくて自分の方だろうな、と云う未来予測も認識した。
 ならば、もしもあるのなら自分は、破瓜の夜を迎える女性が嗜んでおかなくてはならない作法を一一あくまでも、あるのなら、だが一一知っておかなくてはならない。
 何故って多分、それにとても近しいことを、自分も恋人に望まれるんだろうから。 
 ……と云う思考が、彼の脳内を巡ったからだ。
 だから彼は、己がばあやの元を訪れたのだ。
 …………何でか? どうして、その思考が、ばあやの元を訪れる、と云う行動に直結するのか?
 仕方ない、お答えしよう。
 一一ばあやは、『ばあや』、である。彼にとって。
 27と云う年齢に達している彼の、『ばあや』。
 女性の年齢に関することをあげつらうのは誠に申し訳ないが、則ち、神官長はそれだけ、齢を重ねている。
 ま、一言で云うならば、先達って奴。
 だから、今はもう、フィガロ王家にその習慣はないけれど一一エドガーさんが廃止したから一一、未だこの城に、『夜伽』の女性がいた頃のことを、彼女は良く知っている、と云うのを、エドガーさんは知っている。
 因みに何で彼が、夜伽を廃止したかと云えば、必要性がなかったからだ。女に不自由してなかったから。
 んで、彼女の立場だったら、そんな女性達に『教育』を施していたかも、と云うのも、エドガーさんは知っている。
 則ち。
 エドガーさんの中で、ばあやは。
 彼が今、最も知りたいことを知っているだろう人物リストの、トップに記載されているのだ。
 なので、彼がばあやの元を訪れたことには、何の不思議もない。
 …………あくまでも、エドガーさん的思考の上では、だが。
 一一だからして。
 エドガーさんの祖国フィガロの国教の、ここは総本山、な神殿に彼は踏み込み。
 とても真面目な顔をして、その日のお務めをこなしていたばあやを捕まえ。
 何か? と首を傾げたばあやに、それはそれはにっっっっこりと、微笑み掛けたエドガーさんは。
 破瓜の夜を迎える女性が持たなければならない心構え、と云う奴を、どストレートにばあやに尋ねた。
 …………その時。
 ばあやが物凄く嫌そうな顔をしたのは、云うまでもない。
 

12/10/2002 専門家の御意見 セッツァーさんの場合
 
 色町の片隅にある、女衒の親分さんのお宅で。
 至極真面目な顔をして、至極真面目に思う処を語ったセッツァーに、親分がすっと差し出したものは、一枚のカードと、一つの鍵だった。
「…………何だ? こりゃ」
 己の悩みを打ち明けた結果、どうしてそんな物を手渡されるのか判らず、セッツァーは首を傾げる。
「いやなあ、相手が男だった、ってのはかなり意外だったが。お前さんにも春が来たってのは目出てぇことだと思ってな。全面的に協力してやろうかと」
 すれば、初老の親分は。
 腕組みをしたまま、豪快な笑いを放ち。
「カードの方は、そうだな、簡単に云えば、まあ、会員券みたいなもんだな。それを持ってると、俺の処で営んでる男娼館に何時でも無条件で、って代物でな」
 どちらかと云えば厳つい顔に、満面の笑みを張り付かせたまま、カードの正体を告げた。
「……おい」
 が、手渡されたカードの正体を知った途端。
 セッツァーはそれを突き返す。
「云った筈だと思ったんだがな。適当な小僧を金で買って、身を以て覚えるってのはしたくない、と。柄でもない話だとは思うが、今度ばかりは、真剣なんだ、俺は。だからこうしてわざわざ、あんたに頭下げてるんだろう?」
「判ってるって。それはさっき聞いた。だから俺も別に、家で抱えてるガキ共の相手をして何とかしろと、あんたに云うつもりねえよ」
 しかし、目許に怒りを浮かべながらカードを押し返して来たセッツァーに、女衒はにやりと笑い。
「じゃあ、何だってんだよ」
「見学して来いや」
「……は? 見学?」
「そう。『現場』を覗いて覚えて来いって云ってるんだよ」
 彼は。
 身を以て覚えるのが嫌なら、他人の閨を盗み見て来い、と言い出した。
「悪趣味な話だな、おい…………」
「そうか? 世間にゃ多いぞ、他人の濡れ場を覗くのが三度の飯よりも好き、って輩はな。一一その鍵は、そう云う下世話なお得意さんの為に拵えてやった覗き見部屋の鍵だ。そのカードとセットで使って来いや。お前さんの話を聞く限りじゃ、見て覚えるのが一番手っ取り早いと思うんだがな」
「………………本気で云ってるか? それ」
「冗談のつもりはねえな」
 己が伝授してやった『方法』に、げんなりと肩を落としたセッツァーに、女衒は笑いを引っ込めて、そう云った。
 何処までも、自分は真面目なつもりだと。
「…………考えとく……」
「情けねえなあ、希代のギャンブラーともあろう男が」
「そう云う問題じゃねえだろ……」
「ああ、なら。お前さんの惚れた相手ってのも、連れて来たらどうだ? 二人で一緒に覗いてみりゃ、自然そう云う成りゆきになってだな……一一」
「一一馬鹿も休み休み云え。俺は未だ、命が惜しい」
 それが、最善の方法だと思う、と。
 声に若干の力を込めて語る女衒を、きつくセッツァーは睨んだ。
「まあ、どうでもいいけどな。取り敢えず、それ、持って帰れ。その気になったら、何時でも顔見せな」
 惚れた相手も連れて来い、と云ってやった刹那、セッツァーの脳裏を想い人の姿が掠めたのだろうことに気付いて、喉の奥より、女衒は笑いを洩らし。
 じゃあ又な、と片手を上げて、セッツァーに退出を促した。
「……………覗いて、どうすんだよ、他人の睦事なんざ……」
 一一追い出されたセッツァーは。
 持たされた鍵とカードを、一応手の中に収めたまま、女衒の家を後にし。
 額を押え、はあ……と盛大な溜息を吐き出し。
 色町の通りのど真ん中に、暫し立ち尽くした。
 

12/11/2002 専門家の御意見 エドガーさんの場合
 
 破瓜の夜を迎える女性が持たなければならない心構え、と云う奴を、言い淀むでもなく、飾る言葉もなく。
 直球勝負、サインはド真ん中、と云わんばかりにエドガーに尋ねられたばあやは。
 刹那拵えた、物凄く嫌そうな顔を崩しもせずに。
「参考までにお聞きしますが、陛下」
 こほん、と咳払いを一つして。
「それは、又、何処ぞの御令嬢を寝室に御招待するお約束でも交わされたが為の、興味ですか?」
 どうしてそんなことを私に聞くんです、と暗に匂わせる雰囲気を、彼女は纏ってみせた。
「……いや、そう言う訳じゃないんだけどね。何と云うか、知的好奇心?」
 何処の馬の骨とも判らない女の為に、わざわさ、そんなことを、『この』私に聞いているんですか? と凄んで来るばあやを、エドガーはその台詞で誤魔化した。
「知的好奇心……。そう来ますか……」
「ん? 何か云ったかい? ばあや」
「……いえ、何でもありません」
 至極、口にするのは憚れることを、さらっと聞いて来た癖に、今日日、子供でも使わないだろう言い訳で、その動機を誤魔化そうとした、『大切な大切なエドガー様』の態度に、ばあやはフウ……と、溜息を零す。
 一一彼女とエドガーの付き合いは、今年で二十七年に及ぶ。
 『大切なエドガー様』が、亡き御母堂のお腹の中にいる頃から、彼女は彼を、良く知っている。
 生まれた瞬間から今日まで、ずーっと傍近くに仕えて来たのだ。
 エドガーが嘘を付いていることなど、ばあやにはお見通しだった。
 それに。
 彼女は、エドガーとっては『ばあや』でも。
 この国の者達にとっては神官長であり、王宮の中のことを、一手に担っている重要な人物であり。
 酷く俗っぽく語っていいなら、城内に於ける権力と云う奴は、絶大、な人であるから。
 彼女は先日、エドガーが侍医に尋ねた、それはそれは『愚かな質問』の内容を、ちゃんと知っていた。
 まあ、態度のおかしかった侍医を見掛けて、何があったのかと、彼女が『無理矢理』吐かせたのだが。
 一一故にばあやは、何も知らずに言い訳を告げる、子供のようなエドガーに向けて、盛大な溜息を零し。
 わざわざ、『何処ぞの御令嬢の為ですか』と逃げ道を作ってあげたのに……と、内心でブツブツ文句を零しながら、すっとエドガーを見上げた。
 そうして、彼女は。
「まあ……何と申しますか。極一般的に語るなら……そうですねえ。心構え云々よりも、『従順であること』が、最も大切ではないかと、私は思いますが」
 半ば、どうなっても私は知りません、と投げやりな覚悟を決めて、エドガーにそう告げた。
「……従順、ねえ……」
 ばあやが教えてくれたことに、エドガーは顔を顰めた。
「ええ。『その方』は、何も御存じないのでしょう? でしたら、『お相手』を信頼なさって、教えて下さることに従順であるのが、一番かと。……まあ……『お相手』の『レベル』次第ですが」
「……あ、そう……」
「子供を作ることが目的ではあらせられないなら、そう云うことは、御随意に。『何を云っても無駄でしょうから』。……ああ、余り、羽目は外されませんよう。一一それから、陛下」
「…………何……」
「御自分のお体は、大切に為さって下さいませ。一一あ、そうそう。後で、一寸お渡ししたい物がありますから」
 云ってることが判らない訳ではないけれど、と。
 それはそれは渋い顔を作ったエドガーに、随所に嫌味をちりばめた『教え』と苦言を、幾つかばあやは放って。
 では、と、その場にエドガーを残し、さっさと神殿を出て行った。

 一一その夜。
「もしかして、何か、ばれてるのかな……」
 昼間のばあやの態度に、又、頭の痛む問題を抱えてしまった一一自業自得だが一一エドガーが、腕組みをして考えていた時。
 ばあやに遣いを頼まれた、と云う女官が、ばあや曰くの『お渡ししたい物』とやらを届けに来た。
 箱に入っていたそれを、さて、何だろうとエドガーが開けてみたら。
 そこには、男色に関することが綴られた、歴史書が納められていた。
 

12/12/2002 好奇心一大義名分と云う名の『毒』  色街編
 
 怖い物見たさ。
 一一その時の、セッツァーの感情を言い表わすならば。
 それが一番、近いかも知れない。
 そうするに、アレだ。
 某世界には存在している、遊園地、と云う娯楽施設の、心臓止まる程怖いホラーハスに、ギャーギャー喚きつつ、怖い怖いと叫びつつ、が、それでも入ってしまう、某世界の大多数の住人の心理に、その時の彼の内心は、良く似ていた。
 人様のsexシーンって奴を覗き見るってーのは、良識云々と云う以前に、人としてどうなんだ、そんな趣味はねえぞ、しかも男同士のアレだ、んなモノ見ちまって、万が一トラウマになったらどうしてくれる、と云う思いも、彼の心を掠めはしたが。
 今、彼の手の中には、うっふーん、なんて、ちょっぴりお下品な囁きを洩らしてくれそうなカードと、使ってみないー? と訴え掛けて来る小さな鍵があって。
 まあ、カードや鍵が喋る訳はないのだが、ちょーーっとカードさんの囁きに耳を貸して、ちょーーっと鍵君の訴えに頷けば、己がどうしても知りたいっ! なことを、実際に見学出来る状況が、整ってしまっていたので。
 暮れ行く、色街の大通りのド真ん中で。
 ………………どうしよう……。
 と。
 過ぎ行く人々の、奇異な視線も何のその、と云うか気付きもせずに。
 指差され、コソコソと噂されているのも知らす。
 セッツァーは、その心を千々に乱していた。
 そんな彼を。
 悩んでどうする、人でなしっ!
 ……と罵るか。
 悩んでどうする、男だろっ!
 ……と煽るか。
 それは、個人の主義と趣向によって、意見が異なるだろうから、敢えてここでは突っ込まずにおく。
 唯、どちらの御意見をお持ちの方にも、情けない……とだけは言えるだろう様を、彼は延々延々延々延々……一一以下略一一曝して。
 最終的に。
 知りたいことを知る為に!
 愛するエドガーの為に!
 手段なんか選んでられるかっ!
 …………と云う結論に辿り着き。
 女衒の親分に手渡された『秘密兵器』を手に、ようやっと、大通りを歩き出した。
 別に、悪いことをする為に、覗き見てみようって訳じゃないし。
 あくまでも、後学の為にだし。
 段取りが判ればいいんだし。
 如何なることにも興味を以て、トライしてみるのは間違いじゃないっ!
 ……なんて、己の好奇心と決断を、それはそれは御大層な大義名分で彩って。
 その日の日暮れ時。
 セッツァーは、色街の賑やかさの中に消えた。
 

12/14/2002 好奇心一大義名分と云う名の『毒』  王宮編
 
 持て余す物。
 一一今、エドガーの眼前にある物は。
 一言で云うならば、そう云った類いの代物だった。
 どう処理したらいいのか判らない。
 捨ててしまう訳にもいかない。
 かと云って、手に取る訳にもいかない。
 いや、本音をぶっちゃけてしまえば、そろりと手に取って、そろりと覗いてはみたいのだけれども。
 でもでもでも一一。
 …………そんな、代物。
 一一エドガーの眼前……正確に云うならば、膝の上、にあるその代物は、語るまでもないだろうが、先程どストレートな『質問』をぶつけられたばあやが、夜になって送り届けてくれた、同性愛に関する記事の踊る、『歴史書』だ。
 だからエドガーは、膝に抱えたその本の、固い表紙を眺めて、深い深い溜息を付く。
 一一一一出来ることなら、読みたい。
 ものすごーーーーーーーーー……く、読みたい。
 ページを繰ってみたい。
 ……がっ。
 読み始めてしまったら恐らく、例えそこに、どんなに怖気立つ記事が記載されていようとも、最後まで読んでしまうだろう。
 最後の一ページまで読んでしまったら、多分、朝になってしまうだろう。
 ………でも。
 本を読み耽って、朝になってしまったら。
 自分が、同性愛に関することに、『興味』を示している、と、認めたことになってしまう。
 だから、立場やその他、諸々のことを考えたら。
 私が興味あるのは、破瓜の夜を迎える女性が持たなければならない心構え、要するに、あくまでも『女性』に関することであって、同性愛のことではない、と告げ、この本をばあやに突っ返さなければならないのだけれども。
 でも……読みたい。知りたい。
 だって、恋人との関係が、今後どうやって転んで行くかの、一種、指針だもの、この本は……と。
 その時エドガーが零した溜息には、そんな感じの、長い長い、意味が込められていた。
 ま、簡単に云うならば。
 要するに、凄く知りたいからこの本読みたいんだけど、セッツァーとのことが決定的な形でばれるのは嫌だから、この本、どうしたらいいのか判らない、って奴だ。
 ……そう思うなら、知識を得る方法は、別のやり方に頼ることにして、大人しく、その本は返還したら如何か、と云いたくはあるが。
 己の、どうしても知りたいことが書かれているブツが手の届く所にあれば、誘惑に駆られたり、躊躇ったりしない人間は、早々いないだろうから。
 ここでエドガーを非難するのは、差し控えておこう。
 一一まあ、兎に角。
 そう云った訳で彼は、ばあやが届けてくれた本を膝に乗せたまま、うんうんうんうん、先程から唸り続けている。
 ……どうしてもこの一言は言わせて頂きたいので、心の赴く処に従って言わせて頂くが、一国の国王が、自室の寝台に腰掛けて、同性愛に関する本を膝に乗せて、延々、うんうん唸りつつ悩んでいたら、それだけでも、面目は丸つぶれだと思う。
 ……ああ、そんなことは、どうでも良いので、こっちに置いておいて。
 そんなこんなで、エドガーは、ずーっとずーっと悩み続け。
 ……が。
 でも、ばあやがこの本を届けて来たってことは、こんなこと悩んでも今更って気もするしっ。
 セッツァーのへ愛の為だしっ。
 知りたいことは、どうしたって知りたいしっ。
 後で、ばあやに叱れても何云われても、いいや、読んじゃえっ。
 だって、知りたいんだもんっ。
 好奇心って言い訳もしたもんっ。
 国王は私っ、私が云えば、黒でも白になるっっ。
 大義名分だったら幾らでも拵えてやるっっ。
 ……と。
 とある瞬間、フンッッとエドガーは開き直って。
 漸(ようよ)う意を決し。
 そろり、さらり、ぱらり……と。
 『御本』、のページを捲った。
 

12/16/2002 現実  色街編
 
 ひとたび心が決まれば話は早い。
 足取りだって、軽くなる。
 ……と云う訳で。
 自分とエドガーの為に、手段なんて選んでられっかっ! てな結論に辿り着いたセッツァーは。
 手の中のカードと鍵を握り締め、知り合いの女衒が影の経営者である男娼館の扉を潜った。
「いらっしゃい」
 重厚な造りの扉を押し開けば、マダムらしき中年の女性に、彼は出迎えられ。
「…………あ、ああ、貴方……」
 セッツァーが何かを云う前に、クスクスクスクス彼女は笑い出し、判っているわと云わんばかりにの眼差しを送って来た。
「……おい?」
 己が顔を見遣るなり、徐に笑い出した彼女に、セッツァーは首を傾げる。
 初めて訪れた場所なのに、相手が自分のことを知っている風なのも、不思議だった。
「ここの『旦那』に話は聞いてるわ」
 すればマダムは、話は通っている、と言い出し。
「だが……。俺は、さっき、ここの話を聞いて来たばかりで。……何時、俺のことを?」
 彼女の回答に、セッツァーの傾げた首の角度は、益々深くなった。
「あら、いやだ。貴方気付いてないの? 『旦那』の家を貴方が出てから、どれだけの時間が経ってるか。そこの大通りで、『旦那』に渡された物じーーーーっと見つめて、凄く悩んでたそうじゃない? 会合に出掛けるんで家を出た『旦那』が、大笑いしながらここに立ち寄って、貴方が来るだろうから、って、話をしてったのよ。彼が脇を通ったのも気付かなかったの? 馬鹿ねぇぇぇぇ」
 一体、何時の間に、と。
 ふかーく深く首を傾げたセッツァーに、マダムはとうとう、爆笑を始める。
「…………悪かったな……」
 自分が悩んでいた隙に、段取りが整っていた理由、それだけの時間、大通りのド真ん中で自分が悩んでいた事実、それを彼女から知らされ。
 バツが悪そうに、セッツァーはマダムから視線を外した。
 情けないことこの上ないが、破顔し続ける彼女を睨み付ける根性は、今のセッツァーにはない。
「まあ、いいわ。……こっちよ。『お勉強』したいんですってねぇ、貴方。惚れた相手の為に。純情ねー、見掛けに寄らず」
 ムスくれてしまったような、年下の青年を、マダムは笑い続けた。
 そして、可愛い子供でも見るような目付きを彼女はして。
 ひょいひょい、っと手招き、歩き出す。
 少年や、中年のオヤジと云った、男ばかりが溢れている、セッツァーにしてみたら、余り良い風景とは言えない館の階段を、彼と彼女は足早に昇って、緋色の絨毯敷き詰められた、長い廊下を進み。
 奥まった一角の、小さな扉を潜って。
「ここよ」
 仄暗い室内の中央辺りで、漸くマダムは足を止め、セッツァーを振り返った。
「……………………はあ」
 仄暗い、と云っても、室内の大きさや調度すらも判らない暗さではないので、通された部屋の中を、ぐるり、セッツァーは見渡し。
 酷く複雑そうな顔をして、嫌そうに肩を落とし、やる気のなさそー……な声を、彼は出す。
 一一大して大きくもないその部屋は、扉と反対側の壁寄りに、長椅子が一つと小さなテーブルが置かれているだけの、素っ気無い部屋だった……のだが。
 それは、良いのだが。
 ……こう云った場所には、ありがちな話なんだろうが。
 大きさを絞られたランプの火が写し出す部屋の壁は、どぎついと云うか、えげつないと云うか、ドドメ色と云うか。
 そう云った印象しか覚えない、赤系に塗られていて。
 右を向いてみても、左を向いてみても。
 一体どんな変態野郎が、アノ時に使うんだろうな……と、素朴な疑問を覚えずにはいられない程奇異な道具一一簡単に云うなら、大人のオ・モ・チャ、とか、あー、SM好きな奴って本当にいるんだ、と、しみじみしてしまうようなお道具達が、ずらーりと並んでいるから。
「……恨む。絶対に、恨む……。あの野郎……。とことん恨んでやる……」
 こんな場所を紹介した女衒の親分を、とっっっっっっっっ……てもいたたまれない気分にさせられる部屋の中より、セッツァーは心底呪った。
「まあまあ。そんな、何も知らない子供みたいなこと云ってないで」
 『旦那』に向けられたらしい呪詛の一言を、しっかり耳にしたマダムが、再び爆笑する。
「ほら。そんな嫌そうな顔しないで。折角来たんでしょ? ちゃーーんとお勉強してお帰りなさいな。そこ、座って。……いい? 開けるわよ」
 今にも腹を抱えそうな程、身を捩って笑いながら、マダムはセッツァーを長椅子に座らせると、正面の壁に近付いて、すっと手を伸ばした。
 何をする気なのかと、セッツァーが瞳を凝らせば。
 マダムが手を伸ばした先には、小さな窪みのような物があって、どうやらその窪みは、扉か何かの取っ掛かりらしく。
 彼女の手の動きに合わせて、窪みも、眼前の壁の一部も、セッツァーが見守る中、横にスライドした。
「…………おい、これって……」
「平気よ。向こうからは見えない仕掛けになってるから」
 スライドした壁の向こうに現れた物は、一枚のガラス板のような仕切りで。
 その向こうには既に、オールヌード、スッポンポンな男二人がいたものだから。
 ちょっぴり涙目になりながら、セッツァーは傍らに立ったままのマダムを見上げたが。
 平気だと、さらり、マダムに云われてしまって。
 今更だとは自分でも思うけど、ここに居続けるのは拷問に等しいかも知れない、帰ろう……と、彼は身を捩った。
 ……が。
「始まるから。大人しく見てらっゃい。ボ・ウ・ヤ」
 中年の彼女に、フンっっ! と、頭を押さえられてしまい。
 俺は一体何をしているんだろう、日々の生活の中で、改めなければならないことがあるのなら、今からでも改めます、神様、と、柄にもなく、天に祈って。
 ものすごーーーく情けない気分で。
 ものすごーーーく情けない眼差しで。
 イヤっそーーーーーーーー……に。
 セッツァーは、お勉強タイムを始めた。
 


Next  Back