雪の中の立ち話、と決め込む訳にも行かず。
渋々、刀を納めた雪は、詠人と男を伴って、小石川へと戻った。
男を、道場まで連れて行くのは正直、気分の落ち着く事ではなかったが、二人の様子から、以前からの知り合いなのだろうと云うのは察せられたから、詠人の知己ならば、それも致し方ない、と、仕方なく。
雪と詠人を玄関まで迎えに出た際、見知らぬ男が付いていた事に、頂けぬと云う顔をし、席を外す気を欠片も見せなかった主人をも交え、彼等四人は、囲炉裏のある間ではなく、火鉢の置かれた座敷にて、席を持った。
…………が。
男は。
己が名を、決して明かそうとはしなかった。
眼差しに意味合いを持たせて、雪が詠人を見ても、私も彼の本当の名は知らぬ、と、詠人は首を振る。
「……お前さん、忍び、か」
「御意」
「…………伊賀の? そうだってんなら……御公儀のお抱えって事だな。公方(くぼう)の処の影、か。だったら、名前を明かしたくない道理は判るが。名無しってのも、勝手が悪いからな。影と呼ぶのも芸がねえが……いいか、影、で」
「御随意に」
名乗らないと云うならば、好きに呼ばせて貰う、と、己が頤辺りを撫でながら、雪は肩を竦めた。
「……で? 用向きは? 一一ああ、その前に。詠人の事をお前さん、良く知ってる風なのに、二月前、どうして襲った?」
「お命を頂けと命ぜられたお相手が、詠人様だと存じ上げなかったから故の事。端から、詠人様だと判っていれば、あのような御無礼は働かなかった」
男にしてみれば。
己が公儀の忍びだと明かした事が、最大の譲歩なのだろう。
なのに、胡散臭気に自分を見遣る眼差しを崩さぬ雪に、彼は鼻白みつつも、強く云った。
「ほう……。てめえが殺す相手の事も良く知らずに、仕事をするのか、最近の伊賀者は」
「……お上からの命なぞ。何処そこに住む者を全て抹殺して来い、で事足りる」
「…なら、あの男は、何だ?」
「あの男?」
「お前さんが俺達を襲った日、目黒のお不動さんで、詠人を襲った男の事だ。柳生様の処の、一門みたいだったな。怖気立ちそうな程、腕のいい奴だった。……新影流は、将軍家の御流儀だ。あれだけの使い手なら、但馬守(たじまのかみ)※8様の手駒だろうよ」
「…………ああ、あの男、か……」
詠人を襲った事は、決して本意ではなかったと告げる影に、雪は畳み掛けたが。
途端、顔色を暗くして、影は呟いた。
「あれは……お上の命で動いているのではない。恐らく、酒井様……讃岐守(さぬきのかみ)様※9のご意向だと……」
「讃岐守様の……?」
あの男が遣わされたのは。
お上の思惑故ではなく、幕臣の計らいだと聞かされ、主人が、眉を潜めた。
「誰の差し金だろうが、そんな事はどうだっていい。それよりも。お前と詠人は、どう云った繋がりなんだ? 何故、連中がこいつを狙う? 詠人、は…………一一」
が、雪は。
将軍家や大老の思惑よりも、詠人本人の事を知りたがる気配を見せ。
不安そうに瞳を揺らした彼を見て、詠人は、深く俯き。
忍びの男は、答える事を、躊躇しけれど。
「…………詠人様の父君は。三代様で……あらせられる。家光公の、御子息、だ」
詠人の顔色を伺いながらも。
影は、詠人の素性を告げた。
※8 柳生但馬守宗冬(むねふゆ)の事。判り易く云うと、柳生十兵衛の弟君。家光さんと、男色な仲だった人(笑)。美貌の剣士だったそうで。掛け算の順番は、家光さんの方が先<どうでもいい知識。
※9 酒井讃岐守忠勝。四代将軍家綱の時の、大老。実在の人物ではあるが、実際にどんな人だったかは知らない(いい加減ですまぬです)。
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