「御落胤…………ってか?」
影が告げた事を。
フッ……と、雪は、鼻で笑った。
「そんな、大層な者じゃないよ……」
今更誤魔化してみても、何にもならないのだろうなと、消え入りそうに儚く、詠人は云った。
「でも又……どうして?」
座敷に漂い始めた雰囲気を、無理矢理に無碍にし、主人の云った言葉は、もっともなものだった。
故に、影は、主人に促されるように、続きを語り始める。
「詠人様は、寛永元(1624)年、家光様が将軍職に就かれた年に、江戸城でお生まれになられました。春日局殿が大奥と云う、あの女だらけの世界を作り上げられるかどうか、と云った頃だった……とか。詠人様の御母堂は、江戸城に上がっておられた、昔、肥前島原藩を納めていた、有馬春信様の御息女※10。…………折戸雪之丞様。いえ、有馬雪之丞様。貴方様のお父上、日向延岡(ひゅうがのべおか)※11藩主、有馬直純(ひろたか)様の、姉君であらせらた御方です」
「…………伯母上、の? 詠人が、伯母上と公方様の間に出来た子だ……って云うのか?」
「はい。これだけ申せば、雪之丞様にはどう云う仔細があったか、粗方御理解頂けるかと存じますが……?」
「馬鹿なっ。そんな事は、有り得んっっ」
雪と、詠人の間に、血の繋がりがある、と云った影に。
主人が、形相を変えた。
「あの方は、公儀に疎まれていた有馬家の、言わば人質のような形で江戸城に上がられたものの、ひた隠しにされておられた御自身の信仰の事で、御手討ちになった、と……拙者は、そう聞いて……。御子などが、あらせられる筈が……いや、あらさられたとしても、生きている筈がっっ」
「ですが、事実です。島原と云う土地でお育ちになった御方様は、バテレンを信仰しておられた。父君の有馬春信様が、不手際よりお腹を召された後、江戸城に上がられても尚、それをお捨てにはならなかった」
「だから……っ!」
「一一だから。家光様は御方様を、御手討ちになさりましたが。詠人様は、水戸様が、赤子に罪はない、とお庇い下さったのだのだそうです。一一詠人様はその後、御方様のご生家の、有馬家にも、死んだものと伝えられ、水戸にてお育ちになりました。けれど……一一」
「寛永十四年の、島原の一件※12で、さすがに水戸様も、バテレンの子を匿い続けるのは難しくなった……か?」
「……御意、に」
詠人が産まれて来た時の事情、その後の成りゆきを語り続ける影の言葉の先に。
雪が、先手を打った。
「俺も会った事のない、伯母上がねえ……。子供を残していた、か……」
「一一島原にてのあの出来事は、詠人様が十三の時の事でした。水戸様は、もうこれ以上、匿ってやる事は出来ないけれど、その替わりに、と、我が父に、詠人様をお守りする事を命じ、父と詠人様は、江戸へ。ですから私も恐れながら詠人様と面識があり……ですが、庭番として、お上に仕えるようになってからは、御目通りする事も叶わず、父が死んだ頃、詠人様も、行方を隠してしまわれて…」
「……判った、判った。その辺の事情は、まあ……信じてやるよ」
それからも語られた、影の話に、雪は、おざなりな頷きを返し。
正していた姿勢を崩すと、詠人を向き直った。
「…………詠人。この話が真実だとすると。俺とお前は、従兄弟、だな」
どうしたもんか、と、そんな口調で彼は、詠人……己が従兄弟へ、話し掛ける。
己達の関係など、何も知らなかった、初雪の降った一昨日の夜、抱いてしまった彼を見遣りながら。
「そう……だね……。一一君が……伯父上の子だ、って……知っていたら…………」
「いたら? 何か、変わったってのか?」
「……判らない……。唯、ね。もっと早く、知恵を巡らせれば良かったかも、とは思うよ。深川の置き屋で、出て行く君の背にあった、五つ木瓜に唐花の家紋を見た時に、あ、とは思ったんだけども。どうして君が、有馬家の家紋を背負っているのか……私は深く、考えなかった……。……でも、君はどうして、有馬の家を……?」
一一睦み合った事を、後悔している風では、決してなかったが。
あの時、もう少し考えていれば、と、詠人は唯々、苦し気な顔をした。
「おんなじ、なんだよ。俺もな。俺の母上ってのも、お前の御母堂と同じ信仰を持ってた。やっぱり、島原の出でな。有馬の家が延岡に藩替えになった後も、バテレンの信仰を捨てようとはしない人だった。あれだけ、キリシタンの弾圧が酷くなっても。親父殿も親父殿で、切腹させられた祖父様の影響か、何も云わなかったそうだが。島原に、神の子とやらが御登場して、さすがにな、考え直したようだった。高々側室の信仰云々の事で、有馬の家を潰される訳にゃいかねえから。……だから。お前が水戸を出た、同じ十三の年、母上に連れられて、俺も延岡を出た。その後、ずっと仕えてくれて、面倒見てくれたのが、そこにいる主人、って訳さ。いいって云ったのに。江戸まで付いてきやがった」
己が身の上を語りながら。
雪は、暗い色を浮かべた詠人の面に、何とかでも笑みを浮かべさせてやろうと。
殊の外、明るい声音を出し。
「……ま、俺やお前の身の上は……まあ、どうだっていいさ。それよりも。どうして今更、お上がお前を殺したがるのか、讃岐守の手下がお前を付け回すのか、そっちの話の方が、先だ」
影へと彼は、眼差しを振った。
※10 有馬春信は、実在の人物。娘がいたかどうかは……(沈黙)。
※11 日向延岡は、現在の宮崎県(宮崎に、延岡市、と云う市が存在しているので、多分、その辺<いい加減)。1612年、岡本大八事件と云う出来事があり、キリシタン大名だった有馬春信は、この事件の際、切腹させられており、有馬春信の長男、有馬直純は島原藩から日向延岡へと藩替えを命ぜられている。
※12 寛永十四年(1634)十月二十三日に起こった、島原の乱の事。念の為、注釈。
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