「多分…………ね」
 これより交わされる事が、身の上話ではなく、『本題』と相成って。
 チリ……と、蝋燭の芯が燃える音に耳を傾けながら、詠人が口を開いた。
「多分、父上は、恐れているんだと思う。色々な事、を……」
「公方様が、何を恐れるってんだ」
「伝え聞いた話では、もう、老い先も長くはないらしい……。将軍職を継ぐだろう、家綱殿の事も考えて……私のような無用な存在は、摘んでおくに限ると、思ったんじゃないかな」
「…………どうなんだ?」
 詠人の推測を受けて、雪が影に問うた。
 影の答えは沈黙で、それを是、と雪は受け取る。
「てめえの息子に、そんな仕打ちをするのが、今の公方様ってか……。碌なもんじゃねえな。……で? 讃岐守の方は?」
「詠人様が仰られた通り、家光公は最近、お体の方が思わしくなく。もしやの事があれば、来春にも御隠れになられるかとの『見通し』が。故に、讃岐守様は恐らく、詠人様を使って、家綱殿に揺さぶりでも掛けようとしているのか……キリシタン大名の血を引く将軍家のお種と云う、お上の泣き所を掴んでおきたいのか……」
「……あー、そうかい。俗な話だ」
「唯。一つ、厄介なのが。お二人が目黒不動尊の境内で出会った侍が、但馬守様の手駒、と云う点かと。但馬守様は、ある意味、潔い方故……。讃岐守様の謀(はかりごと)に乗ったと見せ掛けて、上様と同じく、詠人様を……と云う事も」
「成程、ね。それで? お前さんは、どう動くんだ?」
 やれやれ、あっちもこっちも、と、影へと向け、雪は呆れ果てた声を出した。
「その……。今は未だ、申せませぬが。詠人様のお命を頂くような真似は、二度と致しませぬ」
 して、お前はどう動く、と尋ねた雪より、影は眼差しを逸らした。
「誓って、嘘はないと?」
「……誓って」
 最後の最後で歯切れが悪くなった忍びに、食えねえ奴だなと、雪は口の中で呟き。
「判ったよ。事情は飲み込めた。肩が凝っちまったがな。一一詠人。すまねえが、燗、付けてくれないか。直ぐに行くから」
 わざとらしい言い訳で、彼は詠人を追い立てた。
「…………ああ」
 何故、と一瞬、詠人は、その言い訳へと向け、言葉を放ち掛けたが、思い直したのか素直に、座敷より出て行き。
「なあ、影。ざっくばらんに行こうや。固いやり取りは、具合が悪くなっていけない。……お前、何でこの二月、詠人の事を放っておいた? 何か、訳があるのか?」
 彼の気配が消えるのを待って、胡座を掻いた膝頭に頬杖を付き、随分と砕けた態度で、影の思惑を探った。
「詠人様が、本所菊川の長屋より消えた後、この小石川に隠れられたのは、直ぐに判ったが。そちらの素性が謎だったからな。随分と腕の立つ相手と、下手にやり合いたくはなかったし。詠人様を、悪いようにはしないだろうとの判断も付いたから。迂闊に動かして、他所に匿うよりも、遥かに安心出来ると踏んだんだ」
 雪が、そう云う態度を取るなら、と、影は、次の刹那には、詠人の前では絶対に見せなかった接し方で、雪をちろりと眺めた。
「……其処許。幾ら雪之丞様の仰せ付けとは云え、その物言いは無礼でござろう?」
 影の言葉、仕種に、主人がムっとしてみせるも。
「主人。いー加減、それは止めろっつってんだろうが。有馬の家なんざ、とっくの昔に、俺にとっちゃどうでも良くなってんだよ。素浪人と忍びって二人が語るのに、鯱張ってどうする」
 気にする程の事じゃない、と雪は主人をいなした。
「この道場を突き止め、正体を探るのに、一月掛かった。江戸では珍しいとは云え、日天真正自顕流の看板しか、手掛かりがなかったのでな。後の一月は、まあ、露払いと……」
「様子伺い、か。さすがに、見張られてるとは、俺も気付かなかった」
「気付かれたら、忍びではなかろうが。一一久方振りにお目に掛かった詠人様は、随分、その…………。お幸せそう、だったからな……。気後れがしたのも、確かだ」
「お幸せそう……。そうでござろうなああっ」
 その生まれ故に、波瀾の生涯を歩む詠人を偲ぶ影の言葉尻に乗って、主人がギッと、雪を睨む。
「何だよ」
「将軍家の御落胤。それだけなら兎も角、伯母上様の御子とは……。雪様っっ。御自身がしでかされた事が、どれだけの意味を持つのか、自覚するでござるっっ」
「……雪様と、詠人様の関係の事か?」
 従兄弟同士で、何たる事を、と言いたげな主人に、言葉を返したのは、雪ではなく影だった。
「気付いたのか? お前さんも」
「まあ、な。本所の飯屋で、再会した詠人様の『お姿』を見れば」
 己と詠人の繋がりを、隠す風でもない雪に、影は苦笑を洩らす。
「説教なら、御免被る」
「詠人様の事を思えば、苦情を云う気はない……と云いたい処だが。主人殿同様、賛成はしかねる」
「ああ、そうか。詠人は守ると、お前さん云ったが。俺の寝首は掻かないと、誓った訳じゃねえな。…………どいつもこいつも、野暮天揃いってか。もののふと忍びの性分が同じたぁ、恐れ入る」
 一一結局の処、影も主人と同じ穴の狢か、と。
 雪は天井を仰ぎ、詠人の待つ間へと向かうべく、二人の男を後目に腰を上げた。

 

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