そうして、座敷の直中で、長らく寄り添ったまま、彼等は違いの存在を、確かめ合っていた。
 明かりの落ちたその部屋の四隅は暗く、が、障子越しの雪明かりは、それぞれの面差しが読み取れる程明るかったから。
 時折だけ見つめ合いながら彼等は、朧に明るい障子を、見るともなしに見ていた。
「……そう云えば、詠人」
 と、ふと。
 何か思い出した風に、雪が詠人を呼んだ。
「何…?」
「一寸した理由で、風変わりなんだと云ってたお前の名、な。付けたのは、伯母上か?」
「ああ……。名の事? そうだと、聞いているよ。キリシタンの人々が持つ、洗礼名、とか云うのをね、もじったんだとか何とか……」
 雪が思い出したのは、何時ぞや詠人が洩らした、詠人自身の名に関する話で、己が聞いていた由来を、詠人は語る。
「何でえ、そこまで一緒かよ……」
「一緒って?」
「俺の名も、雪と書いて、せつ、と本当は読ませるんだと、親父殿が云ってたと、以前教えたろう? バテレンの経文に、セツ※14とか云うお偉いさんが登場するとかで、そこから取ったらしい」
「ふうん……」
 キリシタンの子供同士、名前の出所も似たようなものかと、軽い溜息を吐きながら、雪が己が名の由来を告げた。
「……私が伝え聞いている話では、ね。私の母上は、エゲレスとか云う国の、『えでぃす』って名の幼くして聖人になった姫君の話が好きだったらしくて。でも、『えでぃす』は娘の名だから。その『えでぃす』の父王の、『えどがー』※15だったかな、そんな名を私が産まれた時に、洗礼名にも使えるかも知れぬと、付けたんだそうだよ」
 雪の溜息に、母同士の信仰も国元も同じなのだから仕方ないのかも、と笑みながら詠人は、己の話を雪に教えた。
「えど……? 云いづれえ名だな……。一一じゃあ、詠人は、エド何とかから来てるって訳か」
「そうらしいね」
「…………なら、詠人。お前の事を、俺だけは、エドって呼んでも許してくれるか? 他人が聞いても、何の事かは判らねえだろうから」
「……いいけど……どうして?」
「伯母上が付けたお前の隠し名を、知る者はもう、いないんだろう? なら、その名でお前を呼べるのは、俺だけって事になる。お前の名すら、一人占め出来るみてぇで、気分がいいじゃねえか」
「一一なら。私も君の事を、セツって呼ぶ事にするよ。雪(ゆき)の意味が被さる、雪(せつ)、ではなくてね。…………君は、私だけの君に、なってくれるんだろう?」
「…お前以外のものになる気なんざ、更々、ねえな」
 名、一つを取っても。
 己のものだけにしたいのだと云う雪……否、セツに。
 ならば自分も、と、詠人一一セツの中ではエドと呼ばれる事になった彼は、ゆるく笑いながら云った。
 一一それぞれが抱えていた、幾つかの秘密を。
 余す事なく分け合い、寄り添ったその夜。

 

 

 

 翌朝。
 主人は、こんもりと積もった庭の雪を眺めながら縁側に腰掛け、エドに髪を結い上げて貰っている、彼から見れば、未だに若君であるセツを。
 影は、細い、藤色の組み紐を唇で銜えつつ、柘植の櫛で丁寧に、セツの髪を梳くエドを、それぞれ、伺っていた。
 昨夜、互いの止ん事無き事情が明らかになったと云うに。
 相変わらずの風情で、仲睦まじそうな彼等を、憮然と彼等は見守る。
 セツの襟足を被っていた手拭いを取り去りながら、手鏡を渡すエドも、エドを振り返るセツも、あからさまに幸せそうで。
「何処ぞの馬の骨のままの方が、未だ良かった……」
 セツ自身がそう受け止めてはくれずとも、生涯を賭して仕えると決めた若君の有り様に、主人は項垂れた。
「詠人様のお相手が、雪様でさえなければな……」
 影も又、叶う事なら斬って捨てたい、と云わんばかりに、溜息を付いた。
 一一が、落ち込む主人の傍らで。
「まあ、でも。我らが胸を煩わせるあの様も、上手くすれば限りあるものかも知れぬから」
 ぽつり、影は異な事を、小さく呟いた。
 

 

 ※14 Sethと書いて、セツ。旧約聖書に出て来る。カインとアベルの出来事の後に産まれた、アダムの息子の名前。
 ※15 St. Eadgyth(セント・エディス。若しくはセント・イーディス)。イングランドのエドガー温和王の娘(セツもエドガーも、本当に洗礼名に使うかどうかは、ちと疑問)。

 

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