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						 実際は、六助とか六郎とか、そんな名かも知れぬ、六が、盗賊である事を、セツだけでなく、飯屋のお手奈も、芸者のお芹も、存分に知っている。 
						 だから、今年二度目の雪が降ったあの日から、数日が経ったその日も。 
						 仲の良いお手奈とお芹が無駄話に花を咲かせている所に、お芹と、何時か一緒になれたら、と、盗人と芸者の、何処まで本当か判らぬ淡い恋のやり取りをしている六が首を突っ込んで、本所松坂町の飯屋は、気心知れた三人のやり取りで、随分と賑わしかった。 
						 ……と、そこを。 
						 旗本風の、が、やたらと身なりの良い、セツやエドと同じくらいの年の頃と見受けられる侍の、邪魔が入った。 
						「すまない。尋ねたい事が……」 
						 暖簾を潜るや否や、飯屋の中を、きょろっと見回して、三人を見定めると、真直ぐに侍は彼等へと近付き、ぬっと顔を突き出しながら云った。 
						「は、はい……。あの……何、を?」 
						 かなり大柄なその男に、徐に近付かれて、お手奈が、手にしていた盆を盾にするように突き出した。 
						「……その。驚かすつもりはなかったんだが……」 
						「あ…御免なさい、お侍様。一寸、びっくりしただけで……。で、何でしょう?」 
						 胸の辺りに盆を翳し、後ずさったお手奈に、侍は殊勝に頭を下げ。 
						「少し前に、ここに、あー……英とか云う名の若侍を訪ねて来た男がいると思うんだが……。知らないか?」 
						 お手奈の目を覗き込んで、云った。 
						「えっ……と……」 
						 侍の尋ね人に心当たりがない訳ではないお手奈だったが、正直に告げてよいものか迷い、彼女は、お芹や六へと、視線を彷徨わせる。 
						「尋ね人ですかい? 旦那。人をお探しでしたら、番屋に行かれた方が、手っ取り早いと思いますよ。いろんな人が来る飯屋ですからねえ、ここは。お手奈ちゃんだって、一々覚えちゃいないでしょうよ」 
						 困っている風なお手奈の様子に、お芹が助け舟を出した。 
						「いや、だが……」 
						 さらりといなしたお芹に、侍は食い下がった。 
						「旦那。そうは云っても、ここは御偉いさんだけが行き来する丸の内の中とは、訳が違うんですがねえ」 
						 芸者の言葉にも退かぬ男に、今度は六がちょっかいを出した。 
						 すれば、男は。 
						 渋い顔をしながら、何とか威厳を保った言葉で、彼等を諭そうとして。 
						「そうは云われても。俺はどうしても、その英と云う者に会いたいんだ。以前、英を訪ねてここに来た男は、俺の、手…じゃなかった、知り合いでな。隠さずとも、ここに……あーー、もうっ!」 
						 どうした事か、声を荒げ。 
						「旦那?」 
						「……悪い。こう……侍でございって態度の方が、すんなり英と云う人の事を教えて貰えるかと思って、そうてみたんだけど。……性分じゃなくってね、そう云うの。一一ああ、兎に角。知ってるなら、教えてくれないかな、英って人の事。あ、俺は決して、怪しい者じゃないから」 
						 侍流のやり方は疲れる、と彼は、どかり、椅子に座った。 
						「充分、怪しいって……」 
						 何かと、一人で騒ぎ立てる節のあるらしい侍を横目で眺め、六が正直な呟きをした。 
						「怪しくないっ」 
						「まあまあ。怪しい怪しくないは、こっちに置いといて。ええと。旦那は、英さんを訪ねて来た男の知り合いで、英さんに会いたい、と。何でです?」 
						 六の呟きを拾い、憤った侍を、お芹が宥めた。 
						「……その……一寸、事情があって。英って人が俺の探してる人なら、どうしても、謝らなきゃならない事があるから。だから、もしもその人の事を知ってるなら、教えてくれないかな? 訪ねたい」 
						 何故、英を探すのだと問われ、侍は俯き答える。 
						 その姿に、男の云う事には一遍の嘘も混じってはいないように見受けられ、お芹とお手奈は、顔を見合わせた。 
						「…………あの。英さん、なら……。この間、怖い顔したお侍さんが訪ねて来た、英さん、なら。小石川に。甲斐繪主人って方の開いてる、日天真正自顕流の道場に……」 
						 一一散々、迷いはしたが。 
						 結局、お手奈が、意を決したように、エドの住まいを男に告げた。 
						 口止めをされていた事ではあったが、彼になら、教えても構わないだろうと、そう思えたから。 
						「……すまないっ」 
						 と、男は、ぱっと顔を輝かせ。 
						「えっと……お手奈……だっけ? 恩に着る。ホントに。一一じゃあっ」 
						 お手奈の手を握り、大袈裟な礼を云うと、ばっと立ち上がって、飯屋から出て行った。 
						「…何だ、ありゃ?」 
						「随分と世話しない、名無しのゴンベエさんだねえ…」 
						 激しく暖簾を捲り上げ、消えて行った侍に、六とお芹が目を丸くした。 
						「でも、一寸優しそうな人だったな」 
						 が、お手奈は。 
						 英と所縁のある男なら、又、見(まみ)える機会があるかも知れない、と、顔を綻ばせた。 
						 
						  
						  
						
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