「家綱※19……殿?」
 見せられた、葵の御家紋と、家綱、と名乗った青年の顔を見比べ。
 俄には信じられぬと、そんな顔をエドが作った。
「寝言をほざくのも、大概にしろ」
 ぱちりと懐剣を納め、セツはそれを、突き返した。
「信じては……一一」
「当たり前だろう? 次代の将軍様が、こんな処をふらついてるなんて、誰が信じる? 今公方様はお体が優れぬって噂もあるんだ、そんな時に、跡取りがほっつき歩ける訳がねえ」
「でも、信じて貰えないと……。一一あ、そうだ。俺が家綱じゃないなら、その懐剣は?」
「それ、は……一一。だが、お前さん、家綱様だって言い張る割にゃ随分と、下々の事を判ってる風じゃねえか」
「城から抜け出すのが得意なんだよ、俺はっっ」
「何処までホントなんだかな……一一」
「一一セツ。話を、聞いてみよう。危害を加える為に、乗り込んで来た訳ではないようだし」
 家綱の云う事を、頭から否定したセツと、困ったような顔になった家綱の間に、エドが割って入った。
「良かったー……」
 仲裁が入った事に、ほっと息を付き、どう見てやっても、後の公方様らしくない彼は、エドへと居住まいを正し。
「えっと……。詠人殿は、俺の、兄上様に当たるそうですね。最近……影に、仔細を聞いて知ったんです」
 家綱は、話を切り出した。
「云われた通り、父上の具合は余り良くなく。俺に将軍職を継がせる事が、最後の仕事だ、みたいに思い込んでる節もあって……。二十数年前に産まれた貴方の存在が、快く思えなくなったらしく。その…………」
「それはもう、判っている事だから。云わずともいいよ。……それで? 堅苦しいのが苦手なら、普通に話せばいいし」
「おい…。そいつの云う事を、信用するのか?」
「一寸だけ、ね」
 父の事を、云い辛そうに語る彼を、エドが促し、セツは、本物かどうかも判らないのに、とムッとした声を出したが。
「俺、その事知って。止めよう、と思って…………。だから影に、貴方達を探させた」
 肩の力を抜いた家綱の話は、続いた。
「貴方に、謝りたかったんだ。父上の事。こんな事を云うのは、その……貴方にとっては腹立たしいだけの事かも知れないけど、でも、父上の代わりにって……そう思ったから」
「……そう…」
「それともう一つ。このまま貴方が江戸にいるのは危険だろうから、ほとぼりが冷めるまで、何処かに貴方を匿わせて貰えたらって……。貴方が育ったって云う水戸か、何処か……。腹違いとは云え、俺と同い年の兄上の存在、ずっと知らずに来て。俺の独りよがりかも知れないけど、貴方には、本当に申し訳ないって思ってるのに。よりにもよって、父上の所為で兄上死なせるような真似、俺はしたくないんだよ。だから……影に命じて、貴方を見張らせてみたりしたんだ。尤も、あれが俺の処に知らせを持って来る前に、居ても立ってもいられなくなって、先走っちゃったんだけどね」
 ほう……と、己はこれでいて、少々放蕩者なのだ、と、苦笑いをしながら、影の知らせを聞く前に、江戸城を抜け出して来た事を彼は云い。
「あ。だから、俺が勝手に聞き出したんだから、あの飯屋……って云えばいいのかな、あそこのお手奈って云ったっけ、あの子の事、悪く思わないでやって欲しいんだけど」
 家綱は最後に、お手奈の為の口添えをした。
 

 

 ※19 四代将軍、徳川家綱の事。慶安4年(1651)に父親の家光が没し、将軍職を拝命した時、実際の彼は当時十歳。この話の中に出て来る彼の年齢は、真っ赤な嘘ですんで、ご了承を。

 

 

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