あの日、家綱が云っていたように、己を乗せた駕籠は、水戸街道を北へと下っているのだろうと、エドは思っていた。
 外を舞い続ける粉雪の積もった道を、さくりさくりと踏みしだく、供の者達の足跡だけを聞きながら、彼は駕籠に揺られていた。
 小石川を出てから、もう、どれだけの時が経っただろう。
 千住に着くのは、未だ先だろうか。
 半刻もすれば、千住の塚を自分は越えてしまうだろうか、と。
 そんな事を思いながら、エドはそっと、駕籠の小窓を開けた。
 障子を引き、黒い油紙を手で避け、外を盗み見れば、目の中に飛び込んで来たのはやはり、風に流れゆく雪、で。
 不意に、エドは『あの日』の朝、セツが枕元に置いてくれた雪兎を思い出した。
 柊の耳と、猫擬の目を持った、溶け掛けの兎。
 それを思い出したら、あの夜の事までもエドは思い出して、胸が苦しくなって。
 小さな障子を、閉めてしまおうと彼はしたのだが、ふっと、舞い散る雪の向こうに巡らせた視線が、行き過ぎる風景より、ここが町中でも水戸街道沿いでも千住でもない事を伝えて来たから。
 え……? と彼は、トントンと駕籠を叩き、留まれと伝えた。
 が、合図は流され、駕籠を担ぐ者達の足取りは止まらず。
 一抹の不安を覚えて、より強い合図を、エドは伝えた。
 すれば、漸く駕籠は止められ、狭い中より解放されて彼は、慌てた素振りで草履を履いて、外へと飛び出た。
 一一辺りを見回せば。
 そこは思った通り、心当たりの全くない、寂れた道の直中で。
 右手に雑木林、少しだけ土の競り上がった左手には竹林、と、このような天気の日には近在の者さえも通らぬだろう程、寂れていた。
「……ここは……? どうして、このような道を?」
 雪の中、差し掛けられる傘もないまま立ち尽くし、エドは供達を見遣る。
 問い掛けに返るは無言のみで、僅か青冷め、彼はじりっと後ずさった。
 辿った道を引き返そうと足を引いた彼の前に、すっと、供の一人が進み出た。
「何者?」
 被った笠を取り去りつつ、薄く積もった雪を払うその男に、きつい眼差しでエドは問う。
「今ここで、名乗る名など、ございませぬ」
 トン……と、手の中にあった笠を雪道へと落とし、男は云った。
「其処許…………」
 露になった男の顔に、はっとエドは息を飲む。
 後ずさり続ける彼に、近付き続ける男は。
 夏の終わり、目黒不動尊の境内で、刃を抜いてみせた侍、だった。

 

 

 道場を飛び出して、往来を見渡しても、惚れた男を乗せた駕籠の姿は、もうなかった。
 御行列には有り得ぬ程早い進みに、チッとセツは舌打ちを一つし、雪道に残る足跡を辿り、走り出す。
 家綱が云っていたように、水戸にてエドを匿うと云うなら、一行の向かう先は水戸街道、千住方面でなければならぬのに、降り続ける雪に、早くも消され始めている足跡は、東海道第一の宿、品川方面を目指している風だった。
 同じく道場を飛び出して来たらしい主人と影が、大声で何かを告げて来たようだったが、彼等の叫びを、セツは無視し。
 腰に下げた刀の鍔に手を掛けたまま、ひたすらに、エドの後を追った。
 一行の残した足跡に従い進めば、辺りの風景はどんどん、寂れたそれへと変わっていき、内心の焦りを、彼は募らせる。
 無事でいてくれるだろうか、間に合うだろうか、それだけを考え、雪の中、セツは唯々、駆けた。
 が、そんな彼の足は、品川宿へと繋がる裏道が、常より人気の少ない、雑木林と竹林に囲まれ始めた辺りで止まった。
 恋しい男を乗せて去った駕籠が、勢いを弱めつつある雪の向こうに見えた。
 その傍近くに立ち尽くす、惚れた男の姿も。
 腰の鞘に手を掛け、ジリジリ、男へと近付く、あの日の侍の影も。
 …………故に、セツは。
「詠人……。詠人っ。エドっ!」
 声高に、惚れた男の名を呼んで、傍へと駆け寄った。

 

 

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