「自ら鞘を捨てるとは。御主、命を捨てる覚悟か?」
 積もった雪の上に、沈めとばかりに投げられた、セツの刀の鞘を見遣って。
 例の侍が、低く云った。
「俺が死んでどうするよ。てめえを斬り捨てるまで、この刀を元には戻さない、そう云ってるんだ」
 良い覚悟だ、と言いたげな男に、セツは、向けた表情を変えなかった。
 怒りで満たされた、が、濁ってはいない彼の眼(まなこ)が、一層、細められる。
 柄を握り直し。
 チャキリと刃を鳴らして。
 彼は、高下駄を脱ぎ捨てた。
 素足のまま雪を踏み締め、片手で刀を薙げば。
 彼を取り囲もうとしていた男の一人が、物も云わず、血飛沫と共に倒れた。
 ひたひたと流れる男の血に染まった雪も踏まず、返り血も浴びず。
 セツは一歩、前に進んだ。
「イヤァァっ!」
 倒された仲間を凝視していた男の一人が、掛け声を上げて剣を翳し、彼へと迫った。
 両手で持ち直した刀を、セツは正眼の構えより降り下ろし、振り抜きざまに刃を返し、掬い上げるように、膝から崩れた男の背後に立っていた者をも斬り捨て。

 やはり、血は踏まず、被らず、唯、降り続ける細雪だけをその身に浴びて、エドを斬った男に、彼は対峙する。
 次々と、手下達が破られるのを見守っていた侍も又。
 す、と草履を脱ぎ捨て、刃に、薄く血糊の乗った刀を振った。
 一一侍は。
 斜め正眼に、その太刀を構えた。
 一方、セツは。
 八相に、太刀を構えた。
 片や、忠義の為、片や、惚れた者の為、強く睨み合ったまま。
 互い履物を脱ぎ捨てた素足で、彼等はジリリと、紅に染められていく雪の上にて、足を捌いた。
 ……この立ち合い、どちらが優位か。
 彼等には良く、判っていた。
 一一夏の終わり。
 不動尊の石段で、彼等は切っ先を交わしている。
 セツは上段より、侍は下段より。
 あの時、優位にいたのはセツだった。
 が、侍はそれでも尚、勝てぬ相手ではない、と背を見せた。
 故に、五分と五分である地の利で戦えば、如何なる結果を産むのかなどと。
 考えずとも彼等には、判っていたが。
 彼等のどちらかが、引く事など有り得ず。
 ズ……っと、地を擦る二人の足捌きの名残りが、縄目のような模様を、雪の上に描き終わった頃。
 侍も、セツも、雪を蹴った。
 振られた刀同士、鋭く打ち合い、甲高い音が、辺りの竹林に木霊し、幾度か、鍔迫り合いはなされ。
 身と身が離れた瞬間、侍は逆袈裟に、セツは横薙ぎに、それぞれ刃を翻させた。
 踏み込み、運ばれた足が、彼等の場所を入れ替えさせ。
 動きは止まった。
 鋼の擦れる音が途絶えた辺りには、その身を撓らせた竹が、積もった雪を払い落とす音が、微かに響くのみで。
 やがて。
 さくりと雪を砕く音をさせながら、セツが片膝を付いた。
 彼の着物の右胸辺りは斬られ、はらりと垂れ下がったそこは、血に塗れた彼の肌を覗かせ。
 間違っても、浅いとは言えぬその傷に、微かな呻きを彼は上げた。
 溢れ出る血を掌で押さえながら、地に突き立てた刀を頼りに、彼は立ち上がる。
 一一ゆるり、振り返れば。
 構えた刀もそのままに、こと切れ、ゆっくりと雪の中へ倒れていく侍の背中が、そこにはあった。

 

 

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