小石川にある、日天真正自顕流の看板を掲げた道場。
その日、その客間の一室からは、真夜中を過ぎても灯りが落ちる事はなかった。
煌々と蝋燭が灯され、暖められたその座敷に引かれた床の中には、エドの姿があり。
彼の枕辺を、三人の男が囲んでいた。
医師の胡子、主人、そして、影。
紙一重の差で助かった命を繋ぎ止めようと、死の淵を彷徨うエドの傍らに、セツの姿はなかった。
尤も、彼とて、品川宿へと続くあの裏道より小石川へと取って返し、胸から溢れる血を見咎め、手当てを、と云った主人を押し退け、丁度、胡子の処置が終わったエドの傍らに、ずっと寄り添っていたのだが。
額より吹き出る汗は、幾度拭ってやっても消えず、微かに洩れる呻きは痛々しく、握り続ける指先は、どんどん、熱を失う一方で。
とうとう、いたたまれなくなり、真夜中が直ぐそこに迫り来た頃、セツは座敷より立った。
男達が止めるのも聞かず、客間を後にし、勢いが弱まって来たとは云え、未だに雪降り続ける庭先に、彼は佇んだ。
……今も、尚。
彼は、佇み続けていた。
一一夜が明けたら。
朝になったら。
彼は、目を覚ましてくれるだろうか、と。
胸の内で、強く祈りながら彼は、降りしきる雪を、一身に浴びた。
闇色の、夜の空を仰げは、白い雪が目の中に落ちて来る。
瞬きをする度に、瞳に触れて溶けた雪が、セツの頬を伝った。
溶けて溢れる雪に、雪でない物も、混ざっている気配はあったが、セツ自身は、頬を濡らす物が、雪以外であるなどと、認めようとはせず。
流れ落ちる『雪』を、瞬きで振り払って彼は、ちらりと庭の隅を見た。
彼の視界に、庭の隅にひっそりとある井戸が映った。
が、水ごりなど、己の柄ではないと、首を振って彼は、又、空を見上げる。
けれどもう彼は、その眼(まなこ)の中に、雪を迎え入れようとはせず。
上向けた掌に、落ちて来る雪を乗せて。
さらりと溶けたそれに、ふ……と軽い笑みを乗せ。
松の枝に積もった、綺麗な雪を掻き集め、そっと、固め。
千切った柊の葉を挿し、摘んだ梅擬の実を嵌め、抜いた、松の葉を添え、耳と、目と、鬚を拵え、小さな雪兎を作って。
きっと、これが溶けきるまでには、惚れた男の眼は開かれる筈だ、と。
乱れる胸に、エドを信じる想いを満たし、心落ち着かせ。
掌に、ちょい、と雪兎を乗せたまま、漸くセツは、エドのいる座敷へと戻った。
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