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						 輪島の盆に乗せられ、横たわる人の枕辺に置かれた雪兎は。 
						 暖められた部屋の所為か、朝を待たずに溶けきってしまった。 
						 丸い、黒塗りの盆の上にて、ぴちゃりと音を立てる程に溢れた水に、柊の葉と、猫擬の実と、松の葉が、ゆらゆらと漂う。 
						 けれど、雪降る庭先で、この兎が溶けきる頃には、と、そう思ったセツの願いも空しく。 
						 兎が形を失(な)くしても、朝が来て、主人が雨戸を開いた縁側より、うっすらとした光が射し込んでも、エドの眼は開かれず。 
						 ふっ……と肩を落としてセツは、エドの枕元より再び立ち上がった。 
						 刺す程に冷たい井戸水で、パンと弾くように顔を洗い、一睡もしておらぬ己を奮い立たせると、懲りる事もなく彼はもう一度、雪兎を作り始める。 
						 そうする事が、己に出来る唯一の願掛け、とでも云わんばかりに、昨夜と同じ事を成して、彼はエドの元へと帰った。 
						 眠り続けるエドに、何がしてやれる訳でもないと、セツには判っている。 
						 その目覚めを願うのと、胡子を薮医者と罵りたくなる衝動を抑えるのが、彼に出来る精々だ。 
						 唯、信じて、信じて、彼の戻りを待つ他に。 
						 出来る事など、何もない、から。 
						  
						  
						 一一そうして。 
						 漸く雪が止んだその日は、何も移ろう事なく終わり。 
						 エドが伏してから、三日が過ぎた日も、光景は凍り付いたまま、止まり。 
						 その年の、師走の始め。 
						 月の名前が変わってしまったから、小春日、と云うには相応しくないのかも知れないが、空を見上げてしみじみと、小春日和だ、と云いたくなる天の気配が、あの、雪が降りしきった翌日より続いていたから、猫の額よりは広い道場の庭に積もった白も、呆気無く姿を消し。 
						 彼の、唯一の願掛けだった雪兎も、溶けて流れて消えたまま、蘇る事はなくなった。 
						 なのに、セツの惚れた男は未だに、目覚める気配も見せず。 
						 碌に寝てもいないと云うに、エドの床に付き添って離れようとしない彼を、そこから引き離す事に胡子や主人は骨を折った。 
						 己の負った傷も、決して浅くはなかったから、眠りを得ないセツの顔色は、エド程ではないにせよ、良いとは言えない。 
						 故に主人達は、少しでもセツを休ませようと苦心をしたのだが、その苦心は、報われる事なく終わり。 
						 あの雪の日より、四日目。 
						 
						  
						  
						
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