─ Samaltria〜Lorasia ─
だが。
サマルトリア王城を訪れて直ぐ、市井の者達がするような一人旅に浮かれて旅程を漠然と変えてしまったことを、アレンは後悔させられる羽目になった。
────身分を明かし、目通りを求めたアレンを直々に迎えてくれたサマルトリア国王に曰く、アーサーが出奔したのは、ムーンブルク王城陥落の報せを受けてアレンがローレシアから飛び出した、との噂を聞き付けたからで、ひらすらにアレン同様、もしかしたら何処かで彼と落ち合えるかも知れない、と考えたらしいアーサーは、ローレシアとサマルトリアを結ぶ北街道を伝って、勇者の泉を目指してみるつもりだ、と妹姫に言い残したのだそうだ。
危機待ち受ける旅に出る際は、ローレシア大陸北端にある勇者の泉にて禊を受けるのが、ローレシアやサマルトリアの剣士や騎士達の慣しとされているから、アレンも、先ずはそこに向かうかも、と。
勇者の泉にて受ける禊のことはアレンも知ってはいたが、一刻も早くムーンブルクに向かうことだけを考えていた彼は、形骸化している仕来りなど思い出しもせず、もっと言えば、ローレシア王都とサマルトリア王都とを最短で繋ぐ街道は、アーサーが選んだ北街道ではなく、アレンが辿った南街道で。
暫しの休息代わりにお茶でも、と誘いを掛けてきたアーサーの妹姫が、
「火急の事態なのですから、禊なんて無視して、ムーンブルクに向かった方が良いのでしょうに。兄上は、暢気者だから…………」
と、溜息付きで洩らした呟きに思わず深く頷きつつ、彼は、これはアーサー王子との合流は諦めた方がいいかも知れない、と思い掛けていたのに、サマルトリア国王に、アーサーを連れて行ってやってくれ、息子を宜しく頼む、と頭を下げられてしまって、仕方無し。
サマルトリア王都を発ったアレンは、ローレシア領内へ戻り、勇者の泉を目指した。
が、訪れた勇者の泉では、泉の守人に、アーサー殿下はローレシアの王都へ向かわれました、と素気無く教えられ、「ローラの門も越えていないのに、ローレシア王都に戻れる訳無いだろうが、みっともない!」と目一杯焦りながらも、今度は泉より南下し王都方面へ向かい、何とかして王都に立ち寄らずにアーサーの足取りに関する手掛かりを得る術はないかと右往左往する内に、大陸を縦断し、ローレシア大陸最南端の岬に位置する『南の祠』まで足を運ばされる羽目になって、「もう、ローラの門へ行ってみるしかない……」と、疲れた体に鞭打ちながら、彼は、再び南街道を辿った。
それは、ローレシア側からローラの門を目指す旅人ならば、必ず立ち寄った方が無難なリリザの街が近付いてきた頃の、と或る夜だった。
後一晩か二晩、大分慣れてきた野宿をすればリリザの門を潜れると、焚き火の前に座り込んだアレンは、ぼんやり考えていた。
いい加減、アーサーを捜すのに疲れてしまっていて、疲労を伴い襲い来る睡魔との戦いに負けそうだったが、うつらうつらしながらも、彼は何とか起き続ける。
彼なりに考えて、街道から少しだけ外れた森中の、安全と思えた場所を確保し野営を張っているし、野宿の際には必ず、教会に属する聖職者達が精製する聖水──魔物を寄せ付けなくする、簡単な結界代わりになる聖なる水も使っているが、夜は人でなく獣や魔物達の時間で、聖水を物ともせぬ魔物も存在している為、無防備に寝込む訳にはいかず、焚き火も絶やす訳にはいかず、いっそ暖を取るのは諦めて、木の上で寝た方が未だましだろうか、とも彼は考え始めていた。
──ローレシア大陸は、北大陸、と言い換えられる。
だからと言って極寒の大地ではなく、大陸北部に位置するサマルトリア王都近郊でも雪深くはならないが、世界のほぼ中央に位置するムーンブルク大陸などと比べれば、やはり寒い。
ローレシア王都辺りは、冬よりも夏の方が長い過ごし易い地方だが、リリザ近郊は四季が明確で、秋が深まるこの時期から数ヶ月後の春に掛けては、獣を追い払う用途以上に、暖として、野宿での焚き火は必須だった。
だが、命の保証の方が大事だと、半ば寝惚けた頭で決めた彼は、火を消すべく立ち上がろうとして、ピタリと動きを止めた。
何時の間にか、夜鳥の鳴き声も虫の声も途絶えた、シン……と静まり返る森中の直ぐそこから、本当に小さく、カサリ、と薮の揺れる音がした。
某かの気配も感じた。
…………魔物か。然もなければ飢えた獣か。
そう思い、彼は、そろそろと腕を伸ばし、今の今まで抱き抱えていた銅の剣の納まった鞘の肩紐を手繰り寄せると、音立てぬように抜き去る。
……剣を構え、息を詰め、が、身構え始めて暫しが過ぎても、何者も襲っては来なかった。
しかし、気配は未だ感じられ、根負けした彼は自ら動いた。
這う程に身を屈め、木陰から木陰へと伝い、気配に近付いたアレンが見たものは、三つ程の、人形
焚き火と言うには大き過ぎる火を囲み、何やらの儀式としか思えぬことをしている様子の、ひょろりとした貧弱な影達は、白くて、袖も裾も長い神官服を身に纏っていた。
強く爆ぜながらゆらゆらと揺れる大きな火に映し出される面は、皆、一様に真っ白で、のっぺりしていて、目鼻すら見当たらず。
彼等は、邪神教団の信徒かも知れない、とアレンは思い当たる。
…………何時の頃からか──否、能く能く考えてみれば、息を潜めて大人しく暮らしていた筈の魔物達が暴れ始めた頃から、少しずつ、邪神教団の噂は、人々の口に上り始めていた。
詳細は判っていないが、禍々しいことだけは確からしい異形を神と崇め、魔の物は人よりも遥かに上位の存在なのだとの教えを説き、死や滅びこそが人の幸福に繋がる、と。
異形の神の御許にて、永遠に続く幸せなだけの日々──但し、死後の──を得る為に、自らも、他者も、果ては人の全て、教団の教え通りに死を受け入れるべきだ、と。
声高に主張し、その主張を確かな行いにしようとする、狂信者達の集団。
その存在が明らかになり始めた当時は、相手にする者など皆無に等しい、本当に小さな新興宗教だったのだが、年月と共に、邪神教団は勢力を増した。
無論、そんな宗教や神を崇め奉るのは、人でなく魔物だ、と大抵の者は思っていたし、実際、人語も操る高い知恵を持った魔物や魔族達ばかりが信徒らしいと噂は語っていたが、固く守られた王城で暮らしていたアレンの耳に噂が届くまでの成長を、教団は遂げていた。
…………そんな彼等が、この真夜中、滅多には人の踏み込まぬ森の中で儀式めいたことをしていると知り、勢いアレンは、潜んでいた物陰から僅かに身を乗り出してしまった。
──あの兵士は、ムーンブルクを強襲したのは邪神教団だと告げた。
狂信者達の頂点に君臨する大神官ハーゴンの手による魔物の軍勢に、ムーンブルク王城は陥落させられたのだと。
……彼の、命を懸けた報せを疑うつもりなど、アレンにはない。
だが、何故、教団が、ハーゴンが、ムーンブルクを襲ったのかの理由は、どれだけ頭を捻ってみても思い付けなかったので、今、目の前の彼等がしようとしていることの意味が掴めれば、ムーンブルクの悲劇の真相を知る糸口も見付かるかも知れないと、彼は、身を乗り出し目を凝らしとして、迂闊にも、落ちていた枯れ枝を踏んだ。
昼日中ならば小さ過ぎる、されど夜陰の中では響き過ぎる、パキリと枯れ枝が折れた音は、火を囲んでいた信徒達の動きを止める。
────しくじった、と悟った時には、もう遅かった。
一斉に蠢きを留め、一斉に振り返った彼等は、各々が手にしていた大きくて歪な杖を、焦りを覚えたアレン目掛けて振り翳した。
目鼻のない顔の口辺りから、ボソボソと、詠唱らしき言葉が吐き出された直後、掲げた杖の先端に嵌められた宝玉に魔術が生む光が灯され、ポ……と生まれた赤い光は、意思を持っている風に捩れながら宙を走った。