ギラと呼ばれる、下位の火系魔法。

……それが光の正体で、迫り来た、火球の形を取ったギラを地を転がりつつ避け、弾みを付けて立ち上がったアレンは、そのまま駆け、一塊になった信徒達へと突っ込んだ。

傍目には無謀な戦法に映ったろうが、一応、彼には勝算があった。

王城の教師達に詰め込まれた知識の上でしか彼は魔法を知らぬけれど、術者自らの魔力を用いて術を発動させる為には、詠唱と言う手段を経なければならぬことや、上位の術になればなる程詠唱に時間が掛かることは、一定以上の教育を受けた者には常識で。詠唱しなければ発動しない魔術は、必須のそれさえ封じてしまえば何の役にも立たぬのも、一応の常識だ。

術者の魔力、若しくは技量が高ければ、高度な上位魔法を発動させる場合であっても、簡略化された詠唱その他を用いて、本来なら有り得ぬ速度での使役が可能だが、今、対峙している者達からは、そこまでの技量や力は感じられず。

ならば、速さこそが勝利の鍵と、敢えて敵の懐に飛び込んだアレンは、踊るように身を翻しながら剣を振るった。

距離を縮めれば、相手は同士討ちを恐れるやも知れぬし、最悪は盾にも出来ると、敵に密着しつつ、腕に物言わせ、己よりも遥かに華奢な体躯をした彼等の喉笛目掛けて、彼は。

「……良、かった……。何とかなった…………」

………………彼は。

魔物達との戦いを繰り返す内、元々から良くない切れ味が更に鈍り始めてきた、斬るよりは叩き潰した方が幾らか速い銅の剣で以て、『三つ』の敵の首を掻き斬る否や、安堵の息を吐く。

戦法が上手く成ったことにも満足を覚え、笑みさえ浮かべ掛けて────けれど。

断末魔の呻きも上げず、地に伏した彼等の骸の一つが、何の弾みか、コロ……、と揺れる様を見遣った瞬間、彼は、目を瞠った。

握り続けていた銅の剣も、手から滑らせて。

「……え…………?」

────揺れた、物言わぬ塊となったそれから、『顔』が落ちていた。

真っ白で、のっぺりしていて、目鼻すら見当たらぬ『顔』は外れ、その下から、カッと瞳を見開き、苦悶に歪む本当の顔が覗いていた。

……魔物だと思っていたのに。

噂通り、邪神教団の信徒は、人でなく魔物だと信じていたのに。

目鼻も見当たらぬ顔の者など、魔物以外に有り得ようかと、疑いもしなかったのに。

『顔』は、只の仮面だった。

魔物であった筈のそれは、人間だった。

「僕は……人を殺した…………?」

それと知り、鈍い音を立てて転がった銅の剣の傍らに、彼は愕然と両膝を付く。

ムーンブルクの仇は魔物。討ち滅ぼすべき相手も魔物。教団信徒は、所詮魔物。

…………だから、戦えたのに。戦ってこられたのに。躊躇い一つ、覚えなかったのに。

信じていたのに。

己は、人を殺してしまった。敵とは言え、人であるモノを、この手で。

「う、そだ…………。嘘だ。だって、そんなこと……っ!!」

──理由はどうあれ人を手に掛けた、その事実は、現実は、刹那、強くアレンを打ちのめした。

一瞬前まで魔物のそれと信じていた、されど人のものだった血に濡れた両手で顔を覆い、小さな子供のように泣き叫びたい衝動に、彼は駆られる。

……自分が如何に世間知らずだったのかを、如何に狭い世界で生きていたのかを、如何に恵まれていたのかを、この旅で思い知った。

限界以上に努力や精進は重ねたつもりで、世の中を解ろうともしてきたつもりで、だが、それは『つもり』でしかなく、己の世界が、綺麗なものだけで作り上げられていたことも、思い知りつつある。

世界も、世の中も、何から何まで複雑で、道徳や倫理の世界の中ですら美醜はごちゃごちゃに絡み合っていて、綺麗事のみに身を浸していたら、到底、生きてはいけない。

これまでの十六年と数ヶ月、美しい世界の中だけで生き続けてこられたのは、偏に、勇者ロトの血を引く王族として生まれたからであって。

両親に、臣下達に、人々に、掌中の珠の如く、大切に大切に守られ続けてきたからであって。

恵まれていたのだと、守られていたのだと、この身に刻み、その上で、現実は汚くもあるのだと受け入れなくてはならぬと解ってはいる。

…………でも。それでも。だとしても。

人を殺したくはなかった。己の行いは、魔物退治の筈だった。

絶つ命は魔物。所詮、魔の物。

そうやって、『人間世界の当然』に従い割り切ったからこそ、良心の呵責を感じずにいられた。

……なのに。人を。己は、人を。

これが、戦場での出来事だったと言うならば、言い訳の一つも出来ようけれど。大義名分と共に、良心を宥めることも出来ようけれど。

ここまでの苦しみを、覚えずに済んだだろうけれど。

「……………………ああ。そうだ。そう言えば…………」

────知らず犯してしまった罪の大きさに恐れ慄き、泣き伏すしかない想いを抱え、けれど、挟持で以て涙は堪えたアレンは、不意に、師匠だった近衛師団長が、剣の稽古の相手もしてくれた父や母が、異口同音に語っていた言葉を思い出した。

──自らの剣で何を滅ぼそうとも、何の命を奪おうとも、それは自らの行いであり、自らの責任であり。大義の為、志の為、信念の為、己の剣を振るう限り、決して退いてはならない。

何時の日か、命を屠り続けたその罪を、自らの身で購う覚悟と共に、自ら定めた道を行くのがまことの武人。

…………そんな風に、師は、両親は、口々に言っていた。

『戦い』は醜く、『敵』を討たなければ、死ぬのは己である、とも。

……ならば。だとするならば。

己も又、己だけで、人殺しの罪を受け止めるより他ない。

否、受け止めてみせる。覚悟、その一念のみで。

これしきのことで、挫けている場合ではない。

自分は、ロトと呼ばれた勇者アレクと、ロトの再来とされた勇者アレフの血を引くロトの末裔であり、ロト三国盟主、ローレシア王国王太子だ。

ロトの血に、ローレシアの名に、泥を塗るような無様な真似だけは晒せない。

────師の、父母の教えを思い出し、今にも折れそうだった自らを支えた彼は、そう決意した。

咎人に成り果てたと言うなら、咎人のまま生きよう、とも。

「父上……。母上…………っ」

けれども、挟持や決意や覚悟で堪え続けていた涙は、とうとう溢れた。

父母の面影を思い出して、故郷の王都を思い出して、彼は泣いた。

声を上げ、嬰児のように。

この旅に出て、初めての涙だった。

彼は未だ、守られた鳥籠から出たばかりの、齢十六の少年でしかなかった。

挟持を持っても、決意を持っても、覚悟を持っても。

……辛かった。

人を殺してしまったことが。

その罪の重さが。