────その後。
アレンは、一旦ベラヌールまで引こうと主張した。
本当に、もう大丈夫だから、とローザがマントを返してきた際、触れた彼女の手は革手袋越しにも温度を失っているのが判ったし、アーサーも、ザオリクを唱えたが為に魔力を消耗してしまっているのが察せられたから。
こんな状態で、この上、無理に進む必要など無い、もう一度出直せばいいだけの話だと、彼は二人を説いた。
だが、ローザは、アレンの目の前で自分で自分にベホマを掛けてみせてから、あくまで問題無いと言い張り、アーサーも、調整しつつ進めば平気だからと言って聞かなかった。
未だ、目指す祠は影も形も見えず、在るかどうかも判らず、故に、この雪原に留まるならば、今夜も石洞のような場所を探して、寒さを堪えながら夜をやり過ごすしかないのに、そうアレンが訴えても、二人は声を揃えて、せめてもう一日だけ、と訴え返してきて。
結局、アレンが折れた。
二人纏めて叱り飛ばし、首根っこを引っ掴んで引き摺ってでも一時退却するのが正しい判断の筈、と言うのが彼の本音だったが、彼等の頑な態度から、もしかしたら、アーサーにしてもローザにしても、最早、もうそろそろ二年に亘ろうとしているこの旅を、一刻も早く終わらせたい、としか考えられなくなっているのではないだろうか、と思えてきてしまって。
『終点』が見えてきた、が、未だ未だ『終わり』は見えないこの旅が、二人にとっては、嫌気の差す、苦痛なだけの旅と化してしまったのかも、との思いも脳裏を過って。
鈍い説得しか出来なくなってしまった彼には、アーサーもローザも説き伏せられなかった。
────だから、仕方無く、それまで以上に何時姿見せるか判らぬ魔物達の気配に神経を尖らせつつ、二人を気遣いながら、アレンは再び、雪原を往き出す。
彼の予想通り、湖の畔に着いても祠は発見出来ず、日も暮れてしまって、夕べと同じく、三人は、岩山の窪みに薄い毛布で包んだ身を押し込めて、夜と、極寒の大地の寒さに耐えるしかなかった。
…………そして、翌日。
彼等が、ロンダルキアの雪原を進み始めて三日目。
「日没までに祠が見付からなかったら、今度こそベラヌールに戻ろう。今日は、『嫌だ』は聞かないからな」
朝、三人で引っ付き合って一晩を過ごしても、すっかり凍えてしまった体を動かし何とか強張りを解しつつ、アレンは、今度は絶対に折れない、の決意で、アーサーとローザ相手にきっぱりと言い切った。
「んー……。でもですね、アレン」
「でも、も聞かない」
「けれど、未だ三日目よ?」
「けれど、も無し。絶対に駄目」
宣言を受けて、案の定、アーサーもローザも渋ったけれど、アレンは、駄目なものは駄目! と少々目を吊り上げながら、再びきっぱり言い切って、
「……そうですね……。じゃあ、今日も祠を見付けられなかったら、戻りましょうか」
「はーい……。……仕方無いものね……」
やっと、アーサーとローザは、渋々頷く。
「…………もう少し、頑張れる気がするのだけれど……」
「でも、アレンの判断の方が、正しいことは正しいですからねえ……」
それでも。昇って間もない朝日を浴びつつ雪原を往き始めても、二人は小声でボソボソと、水の都へ戻るのを渋り続け。
「くどいようだけれど、駄目なものは駄目だ。もう後戻りしたくない気持ちは解るけれど、無理して急いてみたって、いいことなんか一つも無いだろう?」
未だ言うか? と流石に若干カチンと来たアレンは、朝の時よりも尚目を吊り上げて、己の半歩後ろを辿るアーサーとローザを振り返った。
「それとも、無理をしてでも急がなくちゃならない理由が、二人にはあるのか? 何をそんなに焦ってるんだ?」
「……すみません。急ごうと思っている訳じゃないんですが……」
「御免なさい。そういう訳ではなくて……」
「…………僕も御免。少し、きつく言ってしまった」
そのまま彼は、苛立った調子の声を彼等へと放ってしまい、アーサーとローザは、シュン……と肩を落としてしょぼくれ、二人の様に、昨日抱えてしまった疑いを心の何処かで引き摺っているが故の八つ当たりをしてしまったかも……、とアレンも詫びる。
「その……、本当に、急ぐ理由があるとか、焦っているとかではなくて、貴方の足を引っ張りたくなかっただけなの」
「僕もなんです。それが、焦ってると言うことだと言われてしまえばそれまでなんですけれど……、御免なさい」
すれば、ローザもアーサーも、益々、シュン……、と項垂れて、
「あのな……。何処で、何を、どう思い込んだのか知らないが、そんなことある訳無いだろう? だからもう、馬鹿なことを考えてみたり、気にしたりするのは止めてくれ。でないと、僕だって怒るぞ?」
それが、ベラヌールへ戻るのを渋った理由なのかと、呆れ返って天を仰いだアレンは、思い煩って損した、とも思いつつ、苦笑しながらポンポンと二人の頭を軽く叩く風に撫でてより、前を向いた。
何でそんな思い込みをしたのやら、と思うこと頻りだったけれど、知った今となっては、それだけのことか……、と拍子抜けした程度の話だったし、気持ちも少し軽くなったので、アレンの面には笑みが戻り、斜めになり掛けていた彼の機嫌が直ったから、思い詰め過ぎた、と落ち込んでいたアーサーとローザの調子も戻って、足取りが良くなった三人は、一寸した冗談も言い合いつつ、辿り着いた湖を渡り始めた。
──大半が凍り付いていた大きな湖は、竜王出現時に起こった地殻変動以前から存在していたらしく、古い石橋が掛かっていた。
天変地異や百数十年の年月に耐え、崩れることなく姿を保ち続けていた石橋のお陰で、危なっかしい湖面渡りに挑む必要も無くなったアレン達の足取りは、又少し軽くなる。
今の処、魔物の姿も見当たらず、百年以上も前に造られた石橋が現存しているならば、ロンダルキアの祠も残っているかも知れないし、対岸の袂近くに祠はあるかも知れない、と期待に胸膨らませながら、彼等は橋を辿った。
真っ直ぐ対岸目指して伸びているかと思いきや、橋は岸と二つある中州とを繋いでいて、進むに連れ、二つ目の中州の、樹氷と化した木立の影に、チラチラと、何かが見え隠れし始めた。
その『何か』は、当然のことながら真っ白な雪に覆われており、遠目からでは何が何やら能く判らなかったが、やがて、三人が期待した通り、かつてはルビス信者達が巡礼に訪れていた、ロンダルキア北の祠だと判った。
「本当にあった……」
「祠よね? 着いたのね!」
「良かった、未だあったんですね!」
正しくは、祠跡、と言うべきかも知れない、その殆どを雪に隠されてしまっている石造りの建物を目にし、アレンもローザもアーサーも、思わずの歓声を小さく上げる。
「行こう。上手くすれば火が焚けるかも」
「はい。暖かい物も淹れられるかも知れません」
「きっと、少しはゆっくり休めるわね」
探していた祠が目の前に、と悟った瞬間、彼等は揃ってホッと肩の力を抜き、急ぎ足にもなって、もう一踏ん張り! と留めてしまった足を動かしたが。
直後、アレンは、魔物のそれとも獣のそれとも付かない、雄叫びのような声を聞いた。
「ん……?」
次いで、重たい何かが凍った湖面を強く踏んだらしき音も聞こえ、まさか……、と彼が振り返れば、そこには、嫌な紫色の肌を持ち、真っ赤な蝙蝠の如き翼と尖った尾を生やした、大きな体躯の悪魔族がいた。
「アークデーモン!! ロンダルキアには、あんな悪魔族まで……」
「…………逃げるぞ。あいつの相手をするには、間が悪い」
「でも、逃げ切れるかしら」
「アーサー、光の剣でも呪文でもいい、兎に角、マヌーサを。ローザは、ラリホーを。何方か片方でも効いてくれれば、隙が出来る」
「判りました。──精霊よ、マヌーサ!」
「判ったわ。──ラリホー!」
近付きつつある魔物が果たして何者なのか、それを確かめている間に、魔物──アークデーモンは彼等の近くまで迫って来て、今は逃げるが勝ちだとのアレンの判断に従い、アーサーとローザは術を唱え、
「どうだ!?」
「ラリホーは駄目!」
「効きました、マヌーサ!」
「今の内だ、走れっっ」
ラリホーの術は弾き返したアークデーモンが、マヌーサの霧には惑わされた隙に、三人は、祠目指して駆け出した。