─ Shrine of Rondarkia ─
その大地や、木々や、山々の頂と同じく、深く積った雪に覆われた石橋を駆け渡り、一つ目の中州を越えて再び石橋を伝ったアレン達は、湖の直中に浮かぶ二つ目の中州の奥側の隅に建つ、ロンダルキア北の祠に飛び込んだ。
硬く重たい樫の木で出来た分厚い扉を半ば蹴り開け、祠の中に傾れ込んだ三人は、只でさえ足を取られる雪道を、転ばぬように気遣いながら、しかも、アークデーモンと言う凶悪な悪魔族の追っ手から逃れつつ全速力で駆け続けた所為で、揃って肩で息をしていた。
「間に合った……」
「ええ、何とか……」
「良かったわ、追い付かれなくて……」
アレンが力尽くで開け放った扉を、バタン! と荒っぽく閉めたそこに仲良くへたり込み、彼等は、はあ……、と胸を撫で下ろす。
「それはそうと……」
「……はい。変ですね」
「どうして、こんなことになっているのかしら」
しかし、三人は直ぐさま立ち上がって、各々の得物に手を添えた。
────ロンダルキアの雪原を三日も彷徨った果てに見付け、駆け込んだその祠は、『祠跡』の筈なのに、一つも荒れておらず、甚く綺麗だった。
塵一つ無く、清廉な空気を湛えているばかりか、何処かで火が焚かれているのか、いやに暖かくもあった。
百数十年前に人の行き来の絶えた大地の片隅にある、小さな祠なのに。
……そんな祠内部の様に、一瞬、ここには誰かが住んでいるのだろうか、と疑ったが、その考えを、三人は直ちに捨てる。
だと言うなら、内部の清潔さも暖かさも納得は出来るけれども、下界から隔絶されてしまった、こんなにも標高のある不毛の大地で、百年以上も暮らし続けていられる者達がいるとは思えなかったし、何よりも、この祠からは、『生き物の気配』は感じられても、『人間の気配』は感じられなかった。
故に彼等は、何時何が起こっても得物を構えられるよう、身構えつつ奥へ進んだ。
入り口から続く石の廊下をほんの少し辿っただけで、祠の規模に相応しい小さな祭壇の間が見えて、かつては巡礼地の一つだったと言う祠に間違いはないのだろうが……、と三人は益々困惑する。
「……善くぞ来た。アレン・ロト・ローレシアよ。儂は、其方達が来るのを待っておった。────おお、神よ。伝説の勇者、ロトの子孫達に光りあれ」
それでも、そろそろとした足取りで彼等が祭壇の前へと進んだ時、背後から、中老らしき年齢の男の声がした。
「………………ここの、司祭殿だろうか?」
己達以外には、一つの影も、気配も無かった筈の祭壇の間に、突如として湧いた声と気配に、びくりと肩を跳ねさせたものの、以降は落ち着いた態度で振り返ったアレンは、そこに立っていた、声より思い浮かべた通りの年頃をした男に向かって問うた。
「……司祭と言えるか否かは兎も角。確かに儂達は、この祠の守人を務める者」
「ロンダルキアの雪原を渡り、この祠へ辿り着くのは難儀なことであったでしょう。ともあれ今は、お休み下さい」
彼の問いに曖昧な答えを返した男は、一人の尼僧を従えており、アレン達がそれ以上を問うより早く前へ進み出た尼僧は、こちらへ、と三人を促してきた。
「…………判った。では、甘えさせて貰う」
丁寧な物腰や口調ではあったが、何処か有無を言わせぬ雰囲気を持った男や尼僧に、三人は一瞬顔を見合わせたけれど、己達に仇なす者達でないのだけは確かだろうと、アレンを先頭に、尼僧の後に従った。
尼僧に案内されたのは、祠の地下だった。
地階の祭壇の間の倍以上の広さがあって、尼僧の話では、かつては祠を訪れた巡礼者達の宿泊所の役を負っていた場所とのことで、彼女の話通り、施設の整った宿屋と比較しても、何ら遜色無かった。
片隅の棚に幾種類もの食材が積まれた調理場も、暖かい湯を湛える浴場もあり、何も彼も好きに使ってくれて構わない、との尼僧の言葉に、「有り難い話ではあるが……」と、三人は再び顔を見合わせる。
だが、戸惑いを露にした彼等を置き去りにして、尼僧は、さっさと何処かに行ってしまった。
故に仕方無し、三人は、暖炉に火が熾されていた客室に入って、部屋の片隅に荷物を下ろしてから、暖炉前の石床に敷かれていた、毛足の長い敷物の上に直接座り込み、
「贅沢や文句を言える立場ではないんですが……、物凄く不気味ですね」
「ええ。少し薄気味悪いわ。あの人達は、何者なのかしら」
火に当たって凍えた体を暖めながらも、アーサーとローザは、気持ち悪い、と小声で言い始める。
地階の祭壇の間と地下の宿泊施設を繋ぐ階段を下りようとした時、旅の扉が目に付いたので、この祠は旅の扉で以て下界と繋がっていて、故に、あの司祭風の男と尼僧は、こんな不毛な地でも生きていけているのだろう、と納得し掛けたのに、旅の扉に目を留めた彼等に気付いた尼僧が、
「それは、外の世界へ戻る旅の扉です。以前は、ここと、ロンダルキア南の祠とを繋いでおりました。ですが、百年と少し前の天変地異の所為で、おかしくなってしまっておりまして、ロンダルキア南の祠とベラヌールを繋ぐ旅の扉と『混ざって』しまっているのです。ですので、その旅の扉へ入れば、ロンダルキア南の祠へ出ることは叶いますが、この祠へ戻ることは出来ません。お気を付け下さい」
と注意を促してきたので、だと言うなら、やはり、色々諸々が納得出来ない……、と二人は頭を悩ませたけれど。
「……守人の彼も、尼僧殿も、人ではない、と言うだけのことなんだろう」
簡単な話だ、とアレンは一人肩を竦めた。
「人ではない? ……あ、まさか…………」
「その、まさか、じゃないか? ──百数十年前に人の行き来が絶えた、不毛としか言えないこんな土地で、人が暮らせる筈が無い。壊れ掛けの旅の扉でも行けるロンダルキア南の祠だって何も無い。南の祠とベラヌールを繋ぐ、ベラヌール教会側の旅の扉の間は、僕達が開くまで百年以上封印されていた。…………あの二人は人じゃない。聖なる祠や満月の塔にいた彼等と同じ、精霊なんだと思う」
「……そうですね。確かに、彼等が精霊なら、こんな土地にぽつんと建っている祠に留まっていられるのも納得です。人間が必要とする品も要りません。……でも、彼等が精霊だとすると、どうしてこの祠は、人が生活出来るようになっているんでしょう……?」
「僕達を出迎えた時に、彼が言ってたろう? 『其方達が来るのを待っておった』と。その言葉通り、彼等は、僕達を待っていたんだ。…………彼等は。僕達がこの祠を訪れると、知っていた。知っていて、支度まで整えて、待っていた。……多分、それが正解だ」
この祠の守人だと言う彼と彼女が、人でなく精霊ならば、そして、自分達の訪れを待ち構えていたならば、この祠の有様も納得出来る、とアレンは低い声で言い、アーサーとローザは、無言の内に眼差しを下へと落とした。
三人の誰も言葉にはしなかったが、何も彼も──己達が辿って来た旅路も、『この先』すら、『大いなる御手を持つ者』に『仕組まれている』ように感じられて仕方無くなったから。
「────……相手は精霊だ。竜王の曾孫みたいに、僕達が何処で何をしているのか容易く知れるのかも知れないし、単に、『ロトの末裔』に期待や信頼を寄せただけのことなのかも知れない。だから、色々を気にするのは止めて。折角だ、好きにさせて貰わないか。有り難い話なのに違いないし、魔物も寒さも雪も気にせず、ゆっくり休めるしな。湯を使わせて貰って、体を暖めて、食事にしよう」
だが、アレンは頬に笑みを刷き、ほらほら、と思い煩う風な目になったアーサーとローザを急き立てる。
「……そうね。そうしましょう。数日振りに、お湯を使えるのだし」
「はい。暖かい食事も頂ける機会ですしね」
だから、二人も少々無理矢理に笑みを浮かべて、湯浴みと食事を堪能しようと立ち上がった。