戻った城内の廊下を行きながらチラリと柱時計に目を走らせたら、疾っくに常の朝餉の時間は過ぎていた。

だと言うのに、何故、誰も自分達を捜しに来なかったのか、との『謎』を、アレンは深く考えぬまま、昨夜に引き続き華やかな顔触れの朝餐を終えて、色々諸々、忙しなく時を過ごし──その日、午後。

思い立ったが吉日と言うし、と己を奮い立たせた彼は、女官長の手を借りつつ、王太子として文句の付けようの無い支度を整えて、父王の許を訪れた。

言わずもがな、ローザとのことを許して貰う為に。

「父上。失礼致します。……ああ、母上もいらっしゃったのですね」

午後の一時ひとときを、父王は、母妃と共に自室にて過ごしており、長椅子に並び座って仲睦まじく寛いでいた両親の前に、アレンは、緊張した面持ちで進む。

「アレン? どうした?」

「恐れながら。達てのお願いがございまして、参上致しました」

「達ての願い?」

「はい。実は、その……──

「何だ。はっきり申せ。どうせ、やーーー……っと、ローザ殿に想いを打ち明けたから、とか何とか言う話だろう」

「……え。父上……?」

「アレン。漸くなのですか? 全く、情けない……」

身を折って口上は述べたものの、何と打ち明けようかと悩んだ息子を尻目に、父王はさらっと言って、母妃も、呆れた風に溜息を吐いた。

「あ、の……。父上? 母上?」

「余り、親を見縊るな。……それとも、まさか其方、ローザ殿に懸想していることを、儂達には悟られておらぬと思っていたのか?」

「……いえ、その。父上や母上がご存知だとは、毛頭……」

故にアレンは、頭を垂れたまま、妙ちきりんな顔を拵える。

「儂達は少し、其方の育て方を間違えたか……? ……まあ、それは兎も角。で? アレン。其方はどうしたい?」

「……はい。──父上。母上。ムーンブルク王国第一王女、ローザ・ロト・ムーンブルク殿下との婚約を、お許し頂けますか」

だが、何時までも惚けていても……、と彼が意を決して告げれば。

「ふむ。……今更の問いだが、好きなのか?」

「はい」

「愛しておるのか?」

「はい」

「ローザ殿を幸せにする度胸も、覚悟もあるな?」

「言われるまでもなく。お守りします、何が遭っても」

「なら、許してやる」

幾つかの、当然と言えば当然の問いを矢継ぎ早に重ねた父王は、誠にあっさり、二人の仲を認めた。

「宜しいのですか……? 真に……?」

「ああ。真に。……アレン。其方のローザ殿への想いなど、儂にも王妃にも疾うに知れていた。儂達だけではない。城内の殆どが、そうと気付いておる。暢気に構えておったのは其方だけで、今朝、中庭で、其方がローザ殿と何やらしていたのも知れている。こっそり、其方達を見守っていた者も多かったようだし? ……大体な、朝餐の刻限になっても、誰も何も告げに来なかったのを、不思議には思わなかったのか?」

次いで、父王より、「儂の息子はどうしてこんなにも色恋に疎いか」と、溜息付き付きのお言葉を頂いた彼は、今朝のことを思い出して、ダラダラと冷や汗を掻き始めた。

……そう言われてみれば、温室で行き会った園丁も、少し態度が変だった気がするし。

あんな所に用など無い筈の馬丁達や御者達も、何故か見掛けたし。

あの後、あの頃合いは調理場に詰めている筈の小間使い達や、立ち働いている風でも無かった女官や侍従達や、何処となくギクシャクしている近衛兵達とも行き会ったし。

爺やとも、婆やとも、不自然な所で鉢合わせた気がしなくもない。

今の今まで、まっっっ……たく気に留めなかったけれど、もしかして……、と。

「……え。あ、その……。あれ…………? ひょっとして、晒し者だったのか……?」

「アレン。陛下の御前ですよ。茫然自失してどうしますか。あれ? とは何です、あれ? とは」

「……申し訳ありません…………」

「良いか、アレン。確かに其方は、二年も旅を続けた甲斐あって、ハーゴンも、ハーゴンが招いたと言う破壊神をも討ち取ってみせた立派な武人となったが、其方はもう少し────

そうして、礼を取ったままダラッダラに冷や汗を掻き続ける息子へ、母妃も父王も、延々、説教を垂れ続けた。

説教と共に、アレンが、両親よりローザとの婚約の許しを得たその日の内に、ローザも、ローレシアに招かれていた賢者の彼にアレンへの想いを打ち明け、相談もして、一先ずは婚約の許しを得た。

息子の秘めたる想い──尤も、秘めたる、と思っていたのはアレンだけだが──に勘付いていた両親が、それとなく話を通しておいてくれたのもあり、アーサーが手を回してくれたのもありで、サマルトリア王も、内々にだけれども、ロト三国の現在の関係や立ち位置に影響は及ぼさぬと誓ってくれるなら、を条件に承諾してくれて、若い恋人同士の──しかも片方は可愛い甥の──噂を小耳挟んだデルコンダル王も、諸手を上げて祝ってやるし、協力もしてやる、と言ってくれて、同日中に、ローレシア城内では、アレンとローザの婚約は暗黙の了解にまでなった。

当事者達は、トントン拍子に話が進んでしまって怖い、と事の展開の早さに慄きこそすれ、やはり喜びは隠し切れず、無意識に幸せな雰囲気を漂わせて歩いたので、二晩目の祝宴も、三晩目の祝宴も、めでたいことが重なった、と甚く盛り上がり。

…………その、最高潮に、と言える程だった、三晩目の宴が終わった夜。

夜半過ぎ、アレンは、アーサーやローザ、それに父母達とも就寝の挨拶を交わしてより別れ、自室に戻った。

侍従や女官達も辞して行き、一人きりになった彼は、ホ……と肩の力を抜きつつ、火の熾された暖炉が暖めている筈の寝所へ入ったが。

扉を開け、一歩中へ踏み込んだ途端、早春の夜半の寒さを感じ、ふるりと身を震わせてから、この部屋に隙間風が忍び込むなど有り得ない、と身構え周囲に目を走らせた。

そうすれば、寝所とテラスを繋ぐ大きな窓が、僅かに開いているのが見て取れた。

そこより忍び込む風に、窓辺の布が揺れるのも見えた。

故に彼は、まさか、宴に乗じてローレシア城に忍び込んだ不審者か、と夜着の懐にも忍ばせている短剣に手を伸ばしながら後退ったけれども、室内に者の気配は感じられず。

ソロソロと窓辺へ向かった彼は、自身の寝台の枕辺に、酷く古びた、一冊の帳面が置かれていることに気付く。

……見覚えのある帳面だった。

そう、それは、竜王の曾孫に預けたままの、勇者ロトが自ら綴りし回顧録だった。

そこで彼は、ローレシア王城の、しかも己の自室に容易く侵入を果たし、同じく容易く逃げ去った者の正体を知り、苦笑を浮かべる。

「あいつは、存外世話焼きなのか? ……いや、それとも、これも暇潰しか」

その内に『己のみ』で貰い受けに行くつもりだった帳面を取り上げれば、ひらり……、と革の表紙に浅く挟まれていた一枚の小さな紙が床に落ちた。

「ん……?」

拾い上げたそれには何やらが綴られており、枕辺近くに置かれていた燭台に照らして読み上げた彼は。

暫しだけ考え込んでから、上着を羽織り、燭台と紙切れを片手に、寝所を忍び出て行った。

────それも又、不届きな侵入者──竜王の曾孫が、ロトの回顧録と共に置いて行ったのだろう紙切れには。

親切で寛大な竜ちゃんが、勇者アレクの回顧録を、わざわざ届けに来てやった。感謝しろ、アレンちゃん。

……それと、もう一つ。どうやら婚約が決まったらしい祝いに、特別の置き土産をくれてやる。

──ローレシア城には、勇者アレフが隠した、彼の者自身の回顧録がある。儂の爺様がアレフから直に聞いた話だ、間違いはない。隠し場所は……────

……と、綴られていた。