──あの夜から。
 五日が、過ぎた。
 何故かその日は、異端審問官が姿見せぬ事実に焦れつつ、セッツァーは、血の乾き始めた体を捩った。
 何とか、鉄格子に凭れ掛かれば、シン……と静まり返った石の廊下の気配が伺えて。
 一層の不安に、彼は駆られる。
 誰でもいい、誰か、訪れてくれ。
 エドガーの安否を知りたい。
 ……そう願いつつ、静寂の空間に、セッツァーが耳を傾け始めて暫く。
 慌ただしい、人の足音が聞こえた。
 その音に、何かの……そう、例えるなら、彼の人の処刑や裁判の引き起こす騒ぎの始まりかと、生きた心地を奪われ、奥歯を噛み締めたが。
「セッツァーっ!」
 現れたのは、友……マッシュ、だった。
「お前……」
 こんな所にやって来て大丈夫なのかと、言外にセッツァーは告げる。
「悪い、手を打つのに、時間掛かったっ……」
 だが思い詰めた顔をしてマッシュは、忙しない手付きで牢の鍵を開け、煩わしい枷を外し、髪も、頬も、かつては夜着だったボロ布も、躰も全て、血をこびり着かせた、窶れ、痛ましい友の姿に一瞬、苦しそうな顔を拵え、抱えて来た衣装を差し出した。
「御免……。ホントに……御免……。どうしていいのか、判らなくって……」
 よろめきつつも立ち上がり、衣装を受け取り、手早くそれを纏い始めたセッツァーと、伺い続ける地下牢の階段付近を見比べて、ぽつぽつ、マッシュは言い出す。
「……何をてめえが謝る……」
 身に付けた端から、布地に擦られたが為に、うっすらと血を流す数多の傷の所為で、白かった服を紅に染めつつ、セッツァーは訝し気な顔を作った。
「判らなかったって……云ったろう……? どうしていいのか、判らなかったって……。この騒ぎが起こってからずっと、直ぐにでも、兄貴やセッツァーの事、救いたかったけど……幾ら……俺が気にしないって決めても……国教の禁忌は禁忌だって……思えて……同性……愛、の事……やっぱり、引っ掛かってて……。結局……兄貴とセッツァーの関係…俺は、本当には許せてなかったんだって……判っ…て……。でもっ…」
「でも?」
「兄貴の代わりに、俺を国王にしようとしてる連中が考えてる事、知って……。兄貴やセッツァーの本当の関係、知ってた訳じゃないのに……神官達だって本当は、自分達の云う最大の禁忌、犯しても平気な顔してる癖にって……判って……。やっぱり俺……何も見てなかったのかもって……。────だから、御免……」
「……お前が詫びる事でも、後悔する事でも、ねえだろ、別に」
 不思議そうな面差しを湛えた友の眼差しから目を背けて、もう一度、詫びの言葉を告げたマッシュに、セッツァーは肩を竦め。
「でも……」
「──云ったろうが。俺達の事に、他人が口を挟むな、ってな……。こうなったのも……何も彼も……。──いや…それより、エドガーは何処だ? 無事…なんだろう?」
 尚も、何かを云い募ろうとしたマッシュを遮った。
「……ああ。生きては、いる。罪人になった貴族の為の塔……東の塔に、幽閉されてる。今、以前から連中のやり方が納得行かなかったり、兄貴の事慕ってる衛兵達が、貴族院の息の掛かった兵士達、押さえ込んでる最中だから、今なら、何とか……」
 恋人の安否を気遣う友の言を受け、支度を終えた彼にマッシュは、現状を語る。
「判った。東の塔、だな?」
 それを聞き届け、セッツァーは、傷付いているとは思えぬ足取りで、地下牢の外へと出た。
「え、判ったって……。──セッツァー、その体で兄貴に所に行こうってのか? そんなの、無理だって!」
 叶う訳などないと、マッシュがその背を追い掛け、思い留まらせようとしたが。
「無理だろうと何だろうと、知った事か。俺達の事に口を挟むなと、何度も言わせるな。──俺は、そう云い続けて来たんだ。……そうやって、こうなる程に、あいつを愛して来たんだ。責任を取るのは、俺の仕事だ」
 肩に触れた友の手を振り払い、セッツァーは、地上へと続く、牢内の階段を上がり始める。
「セッツァーっ!」
「うるさい」
 地上階へと出、牢の入り口を守る、マッシュの指揮する衛兵達へと近付き、その内の一人の手から、バスタードソードを、もぎ取る様に借り受けて、彼は、夜の回廊を歩き出し……やがて、走り出した。
 

 

 

 辿り着いた東の塔の入り口には。
 傀儡として担ぎ上げようとしていた王子の、思わぬ抵抗を受けた、貴族側の兵士達が数人、予期せぬ事態に浮き足立ちつつ、警護を固めていた。
 少年だった頃、城を飛び出し僧侶となった道徳家の王子が、最愛の兄とは云え、国教の禁忌を犯した大罪人に救いの手を差し伸べるなどと、老人達は計算していなかったのだろう。
 否、肉親の情愛や友との絆、そう云ったものが理解出来ぬ者達に、端からそんな計算は、出来なかったのかも知れない。
 国教などにこだわろうとしない、マッシュの真実、も。
「退け。邪魔だ」
 ──剥き身の剣を携えたまま。
 セッツァーは、兵士達に近付いた。
 地下牢に繋がれている筈の、もう一人の罪人の登場を受け、慌てながらも兵士達は、彼を取り囲む。
 鞘走りの音が響く中、片手でバスタードソードを掲げて、彼は。
「こんなもん振り回してた頃も、もう遠くなったが……それでも、な…。──てめえら、欲…以外の為に、人を殺した事が……あるか?」
 夜陰にも鮮やかに、嗤(わら)った。
 ……ぞくり、と。
 怖気立つ程の表情を見せつけられて兵士達の手は、刹那、止まる。
 …ゆるり、切っ先に、まるでそこにある湖面の水を掬い上げるかの動きを与えてセッツァーは、頬に、口許に湛えた嗤いを崩す事なく、最も手近に立った兵士の前を駆け抜けざま、両足の付け根から喉元に掛けてを、綺麗に、返り血すら浴びる事なく、『斬り開いて』みせた。
 塔の入り口を、迸った血に染めた男の立てる、崩折れる音を『心地好く』聴きながら。
「……死にたいのは、どいつだ……? 俺の邪魔をするのは……?」
 彼は、『嗤い』を、深めた。
 ──男達は、引いた。
 後ろへと。
 塔の外壁に背を預け、幾許でもいい、『安堵』を覚えようと。
 セッツァーは進んだ。
 前へと。
 邪魔者でしかない男達から、『安堵』を奪う……いや……それ以上の『安堵』を、与えてやる為に。
「……く……来るなっ!」
 両手でエンハンスソードの柄を握り、兵士の一人が、剣を振り翳した。
 地を刺す様なそれをセッツァーは避け。
 トン……と静かに、バスタードソードは、相手の喉を貫く。
 怒号と、悲鳴が、入り交じり。
 時が満ちたのか、天の軌道に姿を見せ始めた月の光を、翻る、数筋の切っ先が弾いて。
「フン…………」
 ……と。
 セッツァーを鼻で笑わせる程度に男達は、砂漠の大地に、人の重みが沈み行く響きを立てた。

 

 

 

 

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