『郵便配達人』となって、ドマとサマサを往復してより、数日後の正午過ぎ。
セッツァーは、約束も取り付けぬまま、恋人の国、フィガロを訪れた。
邂逅する相手の都合も何も考えぬ、一方的な訪れだったけれど。
エドガーは、嫌な顔一つせず、恋人を出迎え。
運良く、その日は余り多くなかった執務をそこで切り上げ、自室にて、幽霊よりも唐突に姿見せた恋人の、相手をし始めた。
「連絡も無しに、急に来るなんて。何か遭った?」
何時も通り、友人を部屋へ通す振りを貫いて、女官が客人をもてなす為の支度を一式運び込み終えるのを待ち、落ち着きを得てより。
王の自室の中央辺りにある長椅子に、深く腰掛けエドガーは、対面に陣取ったセッツァーの顔色を窺う。
「いや、別に」
「別に……って。それにしては、いきなりじゃないか?」
「…………そうだな。確かに、いきなりと言えばいきなりか。……理由が要るか? そうだってんなら、『理由』は、お前に逢いたくなったから、だ」
「……もしかして、ふざけてる?」
「いいや。至極真面目だ」
「…………ふうん……」
心持ち、前のめりの姿勢を取り。
下から覗き込むように、セッツァーの顔色をエドガーは確かめたけれど。
恋人は常のように、薄い笑みを浮かべているような、けれど無表情でもあるような、そんな色を湛えたまま。
けれど、『嘘臭い』科白を吐いたから。
彼は何か、企んでいるのかも知れないと、エドガーは少しばかり、身構えた。
「……不服か?」
「そうじゃないけど」
「じゃあ、何だ? その、物問いた気な顔は」
「んーーー……。理由が要るなら、言うよ。君の科白が、とても嘘臭いから。欠片も、本心からのそれとは聞こえない」
「別に、嘘を言った覚えはねえぞ。本当に、お前に逢いたくなったから、来た。それだけだ」
セッツァーから遠退こうとしているかのように、僅か、腰掛けた長椅子の上で身を引いて、真意を探るようにエドガーが言っても。
彼の恋人は何処までも、それが理由だ、と引かなかった。
故にそれより暫くの間、空恍けているような態度のセッツァーと、彼への疑いを晴らさぬような態度のエドガーの間には、沈黙が降ったが。
「処で、エドガー」
手持ち無沙汰そうに、エドガーが、冷め掛けた紅茶のカップを持ち上げた丁度その時、セッツァーが沈黙を破った。
「何?」
「お前は、エドガー・フィガロ、って名前じゃ、ねえんだってな」
白い指先に、カップの把手が摘まれて、中身である、温くなった紅茶が、やはり白い、恋人の喉元を嚥下して行く瞬間を狙って、徐に、セッツァーがそんなことを言い出せば。
「……はあ?」
飲み下し掛けていたそれで喉を詰まらせ、盛大に咽せてから、エドガーは声を裏返らせた。
「セッツァー。君、何処かに頭でもぶつけた?」
「いいや? 正気だぞ?」
「じゃあ何で、私が私ではない、みたいなことを、言い出すんだい、君は」
「……ああ、そういう意味で言ったんじゃない。──この間な、リルムの奴に聞いたんだ。お前は、『エドガー・フィガロ』じゃない、別の名前がある、と。……どういう意味だ?」
ひっくり返らせた声で、恋人のくせに、自分の存在を疑うのかと。
セッツァーの問いよりエドガーが、セッツァーの思惑とは路線のずれた発想をし始めたので、擡げた右手をひらひらと振って、セッツァーは、言葉を重ねた。
「………………リルム……」
すれば、金髪の国王陛下は、ちらりと、窓の向こうの空──恐らくは、サマサの村の方角──を見遣りつつ、恨みがましく、少女の名を呟き。
「私の名前は、君も知っている通り、『エドガー・フィガロ』だ。私の両親が、私の為に授けてくれた名は、それだよ」
余計なことを……、とでも言いたげになった表情を、直ぐさま微笑みへと塗り替え、にっこりと、セッツァーを見つめた。
「……ほう」
「…………ほう、と言われても困る。何と言われても、どう疑われても、私の名前はエドガー。それに相違はないよ」
「成程」
だが、にっこりと、極上の笑みを湛えられても。
そんなエドガーの笑みは、誤摩化し以外の何ものにも、セッツァーの瞳には映らず。
「…………まあ、いいか。馬鹿げた問答なんざしてても、所詮時間の無駄だ。俺はお前に逢いたくて、こうしてここまで来た訳だし。幸い、お前も時間を作れた訳だし」
ふんわり、男のくせに、華のように笑んでみせたエドガーとは対称的なまでの不機嫌さを醸し出しつつセッツァーは、急に、掛けていた椅子より立ち上がって、つかつか、恋人の傍らへと向かい。
紅茶のカップを置いたばかりのエドガーの手首を、強引に掴むと。
「セッツァー?」
「折角、恋人同士、こうしてるんだ。……付き合え」
恋人を無理矢理に立たせ、無理矢理に引きずり、最後には抱きかかえ。
王の自室の奥の、天蓋付きの寝台の上に、ぽいっと放り投げた。
「………………付き合え、って。……『アレ』に?」
「アレ以外にあんのか? 俺には、お前と手だけ繋いで昼寝をするような趣味はねえぞ」
「……こんな、真っ昼間から?」
「暗くなきゃ出来ない道理はねえだろ」
「……………………参考までに訊くけど。嫌だ、って言ったら?」
「……却下」
枕か何かのように、毛布の上に放り投げられ、べしょり、転がりながらも。
拒否権を発動したそうな色を、エドガーは見せたが。
セッツァーは一言で、それを突っ撥ね。
「……断る」
「却下、っつったろーが」
「嫌なものは、い・や・だ。……君、ぜーーーーったい、何か企んでるだろう? だから、嫌だ」
「だから。聞く耳は持たない。──お前の想像通り、企んでるからな、俺は。絶対、その口、割らせてやる」
ずるずると、毛布の上を逃げて行くエドガーを素早く捕まえ、彼は。
盛大に意地の悪い笑みを浮かべて、恋人の上に覆い被さった。