彼の前のコインの山は、機械的な動きで、挑戦者の前へと流れて行った。
その後、立て続けに、セッツァーと挑戦者のポーカーゲームは、三度行われた。
その、全てのゲームの最後で、彼はフォールドを選択した。
カードをディーラーに返し、ゲームから彼は降りる。
当然、賭け金は帰っては来ない。
法外なレートで行われるこのゲームの、最低ラインの金額しか、彼は賭けなかったが、それでも、懐の中から確実にコインは消えて行った。
最後で必ずゲームをフォールドするセッツァーのやり方に、野次馬達からはブーイングが上がったが。
そんな物に気押される事も無く、さらりと、セッツァーはゲームから降り続けた。
そんな、単調な三度のゲームが終わった時。
カタリと、彼は椅子から立ち上がった。
「どうした?伝説のギャンブラー。逃げるのか?」
ククククク………と、それまでの勝負の成り行きと、セッツァーの態度を、挑戦者が喉の奥で笑う。
「逃げる?誰が?…お前さんこそ、逃げるなら今の内だ」
フフン…と、立ち上がったセッツァーは、何処までも侮蔑した様な声音と笑みで以て、相手の言葉を退けた。
「じゃあ、何処へ?」
「cigartime 」
首を傾げた男に向けて、そう云うが早いかセッツァーは、懐からシガレットケースを取り出すと、大して広くもない地下室を横切り、ヤニでくすんだ隅の壁に凭れた。
銜えた煙草に、壁で擦ったブルーチップマッチで火を点ける。
瞬く間に立ち昇った紫煙が、彼の面差しを周囲から隠した。
その、紫煙の中から。
セッツァーは、カジノ中へと視線を這わせる。
客らしき女が、二人。
やはり、客らしき男が、五人。
このカジノの関係者であろう黒服の男が、三人。
そして、リベンジを仕掛けて来た男。
その一人一人に。
セッツァーは、紫煙で隠された中からゆっくりと眼差しを送った。
挑戦者とのゲームが始まってから。
ルーレットの台も、バカラの台も、何一つ、動いてはいない。
客もディーラー達も、全て、今宵の真剣勝負を、固唾を呑んで見守っているかの様だった。
一人、又一人、と。
cigartime によってゲームが中断された所為で、一時の休息を得られたと、肩で息する人々を、セッツァーは見比べて。
その視線を、例の、ディーラー役の男で止めた。
──たまたま。
本当にたまたま、この場に居合わせたから、ディーラーの役を振ったのだと、彼はそう思っていた。
300ギル負けた、最初の勝負が終わるまでは。
そして。
こそこと、ゲームの成り行きを見守っているディーラーや野次馬達の語り合いは、唯、鬱陶しいだけの、良く有る冷やかしだとも、思っていた。
だが。
その認識が彼の中で一変したのは。
そう、やはり最初の勝負に負けた時。
挑戦者の男の笑みが、確信の笑みに変わった瞬間。
「フン………」
深々と煙を吸い込んで。
セッツァーは小さく、紫煙と共に悪態を吐き出した。
自らがディーラー役を振った小太りの中年男。
ゲームの段取りが悪い、唯の素人だと思った男。
だが、良く良く見れば。
こんなゲームのディーラー役を振られて、困ったと、そんなオドオドした態度を見せている割りには、その中年男の、手元の動きは迅速だった。
ガタイの所為で鈍重そうに見えるが、中々、どうして。
──観察を、終えて。
ニタリとセッツァーは笑った。
「いいねえ。いい。こんなゲームは久し振りだ」
そんな台詞と共に浮かんだ笑みは、心底、愉快で堪らないと云った感の、壮絶とも言えるそれだった。
指先で挟んだ根元近くまで、灰となり掛けた煙草を、薄汚れた隅の壁で揉み消して。
彼は二本目に火を点ける。
その眼差しは、今度は彼の座っていた椅子の背後を陣取る、女達に向けられていた。
じっと。
揺らぐ事無く。
たった今まで、そこで行われていた『イカサマ』を見つめるかの様に。
────カジノで行われるイカサマには、幾つかの種類がある。
経営者の命令でディーラーが行うイカサマ。
プレイヤー自らが行うイカサマ。
そして、カジノそのものが行うイカサマ。
…大きく分ければ、その三種類だ。
その中でも。
セカンドディールと云うイカサマがある。
ディーラーが行う種類のイカサマで、カードゲームで用いられる物だ。
高度な技術が要求されるイカサマで、プレイヤーに配るカードの山の中から、最初の一枚目を配ると見せかけて、その下に仕込んだ任意のカードを、任意の相手に配るのだ。
……セッツァーは。
ここまでに行われた、トータルにして四度のゲームの中で。
中年男がそのイカサマを行っている事を確信した。
巧妙に己が視線の行き先を隠し。
中年男の手元を見つめ。
男の指先が、普通の人間には、見分ける事など不可能であろう速さで、仕込んだカードを取り出すのを、セッツァーは見ていた。
だが。
奇怪しいではないか?それが事実なら。
その中年男は、セッツァー自身が無作為に選んだ人物なのだ。
だから、ゲームの始まり、己が発言を遮って、コールと見なした中年男の判断を、素人故の段取りの悪さと、彼は理解したのだが。
彼の紫紺の眼差しが目撃した事実は、素人故の段取りの悪さと言う、彼自身の思考に反していた。
では、何故、彼自身が無作為に選んだ筈の人物が。
そんなイカサマをする必要があるのだろう。
何故、客に紛れているのだろう。
──男のセカンドディールを、最初に看破した時。
先ず、セッツァーはそう思った。
だが、その答えは。
やはり、冒頭のゲームで。
口許からカードを離した途端、ブラフから確信に変わった、男の笑みを見た時。
己が負けを確信した時。
あの刹那、セッツァーの中に転がり込んで来た。
考えられる事は唯一つ。
自分の後ろに立った女達が。
こちらの手札を、挑戦者のあの男に、知らせたのだ。
それ以外の可能性など、残されてはいない。
だから、セッツァーは。
その後に続いた三度のゲームを、わざと捨てた。
中年男のイカサマを観察する為に。
鬱陶しい女達と挑戦者のやりとりを観察する為に。
「おい、未だかよ」
──二本目の煙草を。
美味そうに燻らせたセッツァーに向けて、男から声が掛かった。
「煙草くらい、ゆっくり吸わせろ。未だ、夜明けにはほど遠い」
挑戦者の急かしに、冷たく答えて。
彼は三本目の煙草に火を点けた。
彼の思考は。
未だ、このカジノで行われたイカサマの事で、満たされていた。
無作為に選んだ男が、セカンドディールの使い手だった事。
たまたま居合わせた風な阿婆擦れ女達が、イカサマの一旦を担っている事。
その事実が指し示す意味。
……それは。
『招待』を受け、赴いたこのカジノに居合わせた者達全てが、挑戦者の男とグルだ、と云う事。
このカジノも、客達も、ディーラーも、全て。
今夜、常勝無敗の、伝説のギャンブラーを貶める為に仕組まれた、罠でしか無いのだと云う……そんな、事実。
「フフ…………」
その真実を噛み締めて。
セッツァーは、本当に嬉しそうに、笑った。
密やかに忍ぶ声で。
仕組まれた舞台、仕組まれたカード、仕組まれた人々、仕組まれたゲーム。
これを、この身に与えられた幸運と受け取らずして、何と受け取ろう。
歓喜の舞台と受け取らずして、どうしろと云う。
己が伝説を塗り替える為だけに、整えられたこんな舞台の幕開けは、本当に久し振りの事だ。
ゾクゾクする。
生命のやりとりをする戦場の様な緊迫感と。
己が技量のみで生き残る快感。
勝負師としての真価が問われる、強いモノだけが生き残れる舞台。
喰うか喰われるか、の。
弱肉強食の世界。
Killing game.
「待たせたな。…さあ。ショータイムを、再開しようか?」
ギャンブルの世界で生きる事を、己が宿命として授けたセッツァーは。
この最高の舞台を楽しむ為に、三本目の煙草を揉み消して。
そして、ゆるりとした足捌きで、『舞台』へと戻った。
ゲームは、再開される。
「…用事を思い出した。悪いが、これをラストゲームにさせて貰うぜ」
「……好きにしな」
絶対に勝てると踏んでいるイカサマ賭博に酔いしれているのか。
挑戦者の男は、ニタニタとした笑いを浮かべ、戻って来た彼を見つめただけで、それ以上の事は、もう何も云わなかった。
このゲームで勝負を終わりにしよう、そう云うセッツァーの言葉にも、素直に頷いて。
「おっと、待った」
ディーラーが、ゲーム再開の為に、各々二枚の手札を配ろうとした瞬間。
セッツァーはそれを押し止めた。
「何だ?」
戸惑った風なディーラーの代わりに、挑戦者が尋ねた。
「そいつを、貸しな」
云うが早いか。
彼は中年男の手の中から、カードの束を取り上げた。
取り上げたそれを、眼前の男へと、束ごとビロードの上を滑らせる。
「シャッフルしてみな」
「………シャッフル…?」
セッツァーのしようとしている事が判らず、だが、男は言われるままに、カードを切った。
ちょいちょい、と、切り終わった相手に指で合図して。
彼は再び台の上を滑ったカードを受け取り、自分でもそれを鮮やかな手付きでシャッフルして見せる。
綺麗に揃えたそれを、彼はディーラーの手の中へと、戻した。
「…何の真似だ?」
「…呪(まじな)いの、真似事さ」
訝しげに見やる男に、茶化してセッツァーが答えたのを合図に。
五度目のゲームは始まった。
ビロードの上をカードが滑り。
ブラインドベッドを促すディーラーの声が掛かる。
「200」
大船に乗ったつもりにでもなったのか。
相手はそれまでよりも、更に強気な金額を賭けて来た。
「…50」
対照的にセッツァーは。
流した三度の勝負と同様に、最低金額をベッドする。
「フ……」
鼻先で、挑戦者が笑った。
「あんたの大嫌いなモノは、『チキン』じゃなかったか?弱腰野郎」
「ああ。反吐が出る程嫌いだぜ?……臆病者は、な」
さらりと、彼は、相手の侮蔑を交わした。
ディスカードの後。
三枚のオープンカードが場に開かれ。
挑戦者が手札を見た。
又、セッツァーも。
唯、彼は。
眼前に配られたカードの端を軽く捲って確かめただけで、又、その場に手札を伏せてしまったが。
「もう、200だ」
手順通り、男のレイズの声が掛かった。
「……………2000」
セッツァーの、リレイズの声も掛かった。
「……え?」
突如として跳ね上がった賭けの金額に、ディーラーが目を見開いた。