もしも、神経を逆撫でる態度ばかり取る、金髪の国王とやらの云うことが事実なら。
ダリルの艇だったファルコンは、己の不手際で傷付いている筈だから、と。
エドガーを追いやって暫し後、セッツァーは、少しばかりの躊躇い、が、どうして俺がここで躊躇う必要があるんだと、自らの腑甲斐無さに更なる苛立ちを募らせながら、キャビンの扉を開け放った。
大股で、廊下を進み、階段を昇り、ロビーを覗く。
すればそこは、予想に反して、無人だった。
「……あいつの話に出て来た連中は、何処行きやがったんだ……」
シン……と静まり返っていたそこに、肩透かしを喰らった気分になって、苛々と銀の前髪を掻き上げ、彼は、ファルコンの外へ出た。
艇を形作るオーク材に手で触れながら、辺りを一周すれば、確かに、そこかしこより、エドガーが語った通り、不時着の痕跡は伺え。
「冗談きついぜ……」
独り言を吐いて後、機関室へと彼は向かった。
──兎に角。
どうするにせよ、何が真実にせよ、ファルコンは直してやらなければならない。
サーベル山脈の中腹と云う、死と隣り合わせの場所で、何時までもグズグズしているのだけは御免だ、と。
キャビンを出る時、適当に引っ掛けた上着を床の上に放り投げ、服の袖を捲り上げ、長い髪を一つに纏め。
セッツァーは、機関と向き合った。
…………髪を纏め上げた時。
自身の髪の長さが、己の中にある記憶とは違う長さであったことにも、苛立ちを募らせながら。
盛大な舌打ちと、盛大な溜息を、空間に木霊させつつ、彼は、作業を始めた。
その時、彼は、時計を持ち合わせていなかったから。
窓のないその部屋では、一体どれ程の時が過ぎたのか、計りようもなかったが。
長らく続けていた作業に、ふっと、疲れを覚え、下向いていた面を、セッツァーが上げた時。
コン………と、機関室の扉を、控え目に叩くノックの音がした。
「………………」
直感で、扉の向こう側にいるのは『あの男』だ、と、彼は気付いたが。
どうぞ、なんて云ってやる気にはなれなくて、かと云って、めげもせず、コンタクトを取ろうとしてくる相手に、うるさい、と云った処で無駄なのだろうから。
何と返答してやるべきか、何をどう云ったら諦めるのか、考えあぐねている間に、そっと扉は開けられてしまったから。
「………何だ」
純真な子供だったら、間髪入れずに泣き出しそうな程、ドスの効いた声音を、セッツァーは絞り出したのだけれど。
「あの……。すまない、作業の邪魔、して。……もう…真夜中、近く、なんだってこと、気付いてるかい…? その……夕飯も食べずに根を詰めるのは良くないんじないかって思って……」
セッツァーの想像を裏切らず、姿見せた人物──エドガーは、本当に、めげる、と云うことを知らぬのか、少しばかり躊躇いの混ざる喋り口に、綺麗な微笑みを添えて、セッツァーへと声を掛けた。
「…てめえ、な。俺の前に顔を見せるなと、そう云わなかったか?」
手を休め、ちらり、見遣って。
げんなりと、セッツァーは云う。
「それは、悪いと思ってる。だが……。──ああ。もし、良ければ……何か、手伝おうか?」
鋭い視線を向けられて、エドガーは浮かべていた笑みを、困ったようなそれへとうつろわせたが、それでも、やはり、引かなかった。
それ故、か。
周囲の誰も彼も、何も彼も、拒絶していたいセッツァーと。
22才と云う、『思い出』の刻に立ち返ってしまった恋人を振り返らせようとしているエドガーのやり取りは。
「手伝う? お前が? ……ああ、フィガロは確か、工業国家だったな。国王陛下も、機会いじりは得意なのか? ……だが、だとしても、断わる」
「………miss.ダリルの艇だから?」
「…だったらどうなんだ。どうだってんだ。ほんっとうに、うるせえ奴だな。一々、ダリルの名前を出すんじゃねえよ」
「…………彼女の話、は……以前、君の口から聞いた。大切な朋だった、ってことも。……それを語ってくれた時の君は、きちんと、彼女のことを、ある程度、は……思い出に出来ていた風だったのに。22の君は、違うんだな……って。そう思って、ね……」
──彼等のやり取り、は。
何時しか、ダリルを軸として廻り始め。
「御大層な口を利くなあ、王様? てめえがどれだけ偉いのか、そんなことは俺の知ったこっちゃねえが。……ダリルを……今は、俺から見えない所にいるダリルを、俺がどう扱おうが、お前には関係ねえだろう? 思い出にしようが、捨て去れずにしがみ付こうが、俺の自由だろう。墓まで拵えられた、もういない存在に、何時までも後ろ髪引かれてるなってか? そんな心配するのも、俺の『親友』とやらだから、と云いたいか?」
「…セッツァー。私の云いたいことは、そう…じゃなくて………」
ダリル、その『単語』が、今は22であるセッツァーの琴線を、激しく揺さぶるのだろう。
苛立ちを示し、徐々に声のトーンを上げて行くセッツァーの言葉に、エドガーは己の襟元を掴んで俯いた。
「床なんざ眺めて、誤魔化してんじゃねえよ」
苦しげな表情を浮かべたエドガーの、その態度も気に入らなかったのか。
セッツァーはエドガーへと足早に近付き、衣装をきつく握った腕を、乱暴に掴んだ。
……と。
セッツァーに掴まれた手首を引かれた拍子に、衣装を掴んでいたエドガーの指は、胸元の留め金を引いてしまって、その下に隠されていた、白い肌を晒してしまった。
「……あ…」
ぱらりと。
襟元が寛いでしまった瞬間、鎖骨の辺りが露になってしまったのに気付いて、慌ててエドガーは垂れた布へ指を伸ばした。
「……ほう………」
が、セッツァーは、持ち上げられたエドガーの指先を、パン、と払い。
「随分と、面白い『モノ』、つけてるな、お前」
自らの手を、眼前の人の襟元へと伸ばして、引き裂かんばかりに、そこを広げた。
幾つか……薄紅色の、彩りが散らされていた、エドガーの肌が、覗けるそこを。
「ちょ…。止めてくれないか、セッツァーっ」
「……誰に付けられた? こんな痕。止めろっつってんのに、親友だ何だと理由こねまわして、過去がどうのこうの、御立派なことばっかり云いやがる国王陛下の癖して。……なのに、一皮剥けば、誰かに愛された痕を隠してるのか、お前は。清廉潔白そうな顔してるってのにな。…………大したもんだ」
──エドガーの、開いてしまった衣装の下に隠されていた情事の名残りを、目敏く見つけたセッツァーは。
相手の紺碧の瞳を真正面から捕え。
「これ、は……その……」
「その? 何だ?」
何をどう言い訳しようとも、無駄だ……と云わんばかりに、ニタリと嗤った。