セッツァーの湛えた『嗤い』に。
ぞくりとする程の怖気を覚えて。
エドガーは、一歩、引こうとした。
……けれど。
「何処に行く? 構ってたいんだろう? 俺を。『現実』を受け入れろと、説得したいんじゃないのか?」
それよりも一瞬早く、セッツァーは、後ずさろうとした足を引っ掛け、バランスを奪い。
ダン! と激しい音が上がる程勢い良く、エドガーを床に押し倒した。
「……っ……──。セッツァーっ! 放してくれっ!」
オーク材の床に、背中を打ち付けられた刹那、その痛みに一瞬だけ息を詰め、直ぐに厳しい眼差しで、エドガーはセッツァーを睨んだが。
「放す? 御免だね。お前、男を知ってる躰なんだろ? だったら付き合え。お前の『説得』に耳を貸してやる代わりに、遊んでやる。二度と、俺に近付きたくなるなる程、徹底的に引き裂いてやるよ。……楽しそうだろう…?」
眼光鋭く睨まれてたセッツァーは、嗤いを深めただけだった。
「やめ……。放してくれっ……。セッツァーっ! 止めないかっ!!」
エドガーは声高に解放を促したが……彼がそれに従う筈もなく。
馬乗りになり、抗う躰を押さえ込んで、両の手首を、セッツァーは強く掴んだ。
「セッツァーっ! ……消えろと云うなら、今直ぐ、出て行くからっ! だから……っ……」
「『今』は、消えろなんて、俺は望んでねえよ」
そうしてやっても、返される抗いは消えなかったから、軽く舌打ちをしてセッツァーは、一旦、相手の手首を解放すると、絹の裂ける音を、室内に高く響かせつつ、エドガーの衣装を剥ぎ。
残骸と化したそれで、エドガーを後ろ手に縛めてしまった。
「痛っ……──」
縛られた場所が痺れそうになる程強い縛めを受け、仰向けに転がされ。
苦悶の表情をエドガーは作る。
「…さあ、これでゆっくり、楽しめるってもんだ」
だが、そんな相手の表情さえ、愉悦だ、とセッツァーは、又嗤い。
露になった白い肌を、ゆるゆると、弄び始めた。
「やめ……止めて…くれ……っ。…セッツ…ァ……」
腕を、無理矢理後ろに廻された為に、反り返り気味の躰をグッと床へと押し付けられ。
肌の上に散る薄紅色を、寸分の狂いなく、わざわざなぞってみせる彼へと向けるエドガーの言葉は、徐々に、懇願の響きを帯び出す。
「……何が気に入らないってんだ? 折角、お前のイロと、同じ風に愛撫してやろうとしてるってのに。──躰は、素直だぞ? ほら」
しかし、その懇願へまで、彼は嘲りをくれ、僅かに存在を主張し始めたエドガーの『欲』へと手を伸ばした。
「セッ……──」
「──『こんな風』になるのが、当然だとしても。ちょいと、度が過ぎるんじゃねえのか? 高貴な御方が、何処の誰に仕込まれたんだか知らねえが。……お前、いい男娼になれるぞ、多分」
「……セッツァ…………」
仕打ちと言葉に切り裂かれて。
エドガーは、見開いた瞳から、涙を溢れさせた。
「何だ? 操を立てた相手のことでも思ってんのか? ……ああ。お前が話してた連中の中に、懇ろな相手でもいるってか。…そりゃ、傑作だな。誰なんだ? お前のイロってのは」
──エドガーが、涙を零した理由、それを、そんな風に解釈して、セッツァーは、喉の奥より、愉快そうな笑いを零し……が。
「………………君、だ……と、云ったら……?」
泣き濡れた瞳で、ぽつり、呟いたエドガーの一言に、彼は、一切の蠢きを止め、声を飲み込んだ。
「…何だと?」
「……君だ…と云ったら……どうする……?」
「信じられるか、そんな話」
「………………ああ…そう…だろうね……。だから……嘘を…付いた……。一つ、だけ……。私は、君の親友じゃない……。親友なんかじゃ、ないんだ……。私は君の…恋人……だった……」
────己に、同性の『恋人』がいた。
眼前の、男が、そうだった。
押し倒し、今正に、怒りに任せて蹂躙してやろうと思っていた相手が、己が恋人、だった。
……そう、告げられ。
身動きを止めたまま、馬鹿馬鹿しいと、セッツァーは呟いたけれど。
「嘘じゃない……。この旅を始めて、君と出逢って……。私は、恋に落ちた。……君と。君は……私を愛してくれて……っ。──私の躰に残る痕は……夕べ、君が残した……。幾晩も……幾晩、も……私は、君に抱かれて……──」
後ろ手に縛められ、床に転がされたまま。
告白が嘘であるとは、今のセッツァーにも思えぬ真摯な声で。
「この旅の記憶を失った君に……本当のことなんて、言えなかった……。君の目の前に急に現れた、男の私が、恋人だ、なんて……。──でもっ……。私は、知らないっ……。私を見ない君なんて…私は知らない。miss.ダリルを亡くしたことに捕われて、もういない彼女だけを見つめて、何も彼も退ける君なんて、私は知らない……から……。だから……『現実』を、見て欲しくてっ! 私を……見て欲しくて……。なのに……君、は……」
私の知らない君は『知らない』……と。
エドガーは、泣き濡れた面を伏せた。
「…………お前、が……俺の、恋人、ね…………」
疲れたような、薄い笑いを浮かべ。
セッツァーはのろのろと腕を伸ばし、もう、そんな気さえ失せた、と、エドガーの縛めを解き。
「……信じたくないだろうけどもね……。22の、君には……」
涙声で云いながら、軋み、痛む体を自ら抱いて、何とかエドガーは半身を起こした。
「……出てけ……とっとと……」
ちらり、と。
己の手で暴いてしまったエドガーの肌を見遣り。
床に放り出しておいた上着を取り上げ投げ付け。
セッツァーはエドガーに、背を向けた。
「セッツァー……」
「……お前が知ってるのは、27だか28だかの、俺だろう……? でも俺は今…22だ。お前の知ってる俺じゃない……。俺には、お前が見えない。ダリルが消えちまって……漸くの思いでファルコンを見つけたのは、つい、この間のことなんだ……」
「でも……セッツァー、それは……」
何処までも。
全てを拒絶するように向けられた恋人の背に、エドガーはそれでも、声を掛けた。
「判ってる、云われなくたってっ! ……俺にだって…ダリルがもう、生きちゃいねぇんだろうってことくらい、判ってる……。本当は、あいつは何処にも居なくて。二度と還っては来ない。そんなこと…俺にだってちゃんと判ってる……。でもそれでも、認めたくないんだ、俺はっ。あいつが居なくなっただなんて、認めたくないし、受け入れられないっ。信じたかったんだ……嘘でいいから。あいつは何処かで未だ生きてて、唯、俺の知らない場所で、飛んでるんだって……思い込みたかった……」
掛けられた声に……セッツァーは、激しく頭を振り、エドガーへと向けた背を、微かに震わせる。
「…ああ。あいつは居ない。もう、何処にも。……あいつが無事に生きてるなら……例え、今の俺みたいに記憶を失っていたとしても。ファルコンの元に戻って来ないなんて……有り得ねえからな…………。判ってる……判ってるんだ……。だが……俺には……。──お前が知ってる六年後の俺が、どうやって、ダリルが死んだんだってことを、受け入れたのかは知らねえが……今の俺、には…………」
そして彼はその場に膝を付いて。
涙を堪えているかのように……面を、両手で被った。
「…………泣きたいなら……泣いてしまえばいいのに……」
エドガーは。
崩折れてしまった『恋人』の傍らへと寄り。
そっと、伏せられた面を伺い。
泣きそうな表情をしながらも、一筋の涙も零さぬ彼の銀髪へとそっと手を伸ばして。
ぽつり、呟いた。
「………泣けるか、こんなことで……」
「こんな、こと……?」
「……悲しいんじゃない……。辛い…んでも、ない……多分。あいつも俺も、飛空艇乗りだ。何時、空の上で死のうが、笑って逝くだけの覚悟なんざ、飛空艇を手にした時から、持ってる。たまたま、あいつが先に逝っただけ。それだけのこと、だ……。なのに俺は……自分がどうしたらいいのか判らなくって……。──だから。そんな情けない理由で、泣けるか…」
「だったら……。余計に。泣いてしまえばいいのに……」
『そんな些細な理由』では、涙も出ない、と云うセッツァーの、髪を撫でながら、エドガーは。
儚い風な、笑みを湛えた。
「……………お前……本当に、馬鹿だろう……」
「そう……かな……」
己を、母が子供にしてやる如く、その胸へと抱き込まんばかりに腕を伸ばして髪に触れる、エドガーの態度に、セッツァーは、弱々しい苦笑を作り。
「どう考えたって、馬鹿だろ……。自分が一番、良く判ってる筈だ。俺に、何をされたか。なのに………………。──だから、馬鹿だっつってんだよ…。六年後の俺がどんな男なのか、知りようもねえが……。お前に惚れたってのは、判らないでもねえかな……」
何時しか、伏せていた面を上げ。
その紫紺の瞳で彼は、エドガーを見上げた。