final fantasy VI 『私の子供』
飛空艇の底部を、岩肌に擦り付ける、嫌な音が辺りに木霊する中。
サーベル山脈に、数多とある谷間の一つに、飛空艇は不時着した。
穏やかな天候を裏切り、突然、谷を駆け抜けた強い強い、荒れ狂った突風に煽られた艇が、傾いだ姿勢を正す暇さえ与えられず、山肌に叩き付けられた結果だった。
飛空艇が受けた衝撃を、和らげるものなど一切ないまま受け取り。
艇が煽られた時、ふわりと浮き上がった次の刹那、オーク材の床へと落とされ、滑り。
ガリガリと、唯でさえ傷付いた底部が、大地を滑って更に削られる振動にも揺さぶられ、人々は、意識を手放した。
だが、失(なく)した意識は直ぐに、彼等自身の手の内に戻り。
「……何やってんだよ、セッツァーの奴ぅぅっ!」
乗り合わせた者達の、誰のものとも判らぬ、操縦者へと向けた罵りの声が湧いたが。
「…………エドガー……? エドガー? ……ねえ、一寸、エドガーってばっっ!」
他の者達は全て、簡単に意識を取り戻すこと叶ったと云うに、一人、床に伏せたまま、頭部から微かに血を流している友を見つけた、女達の悲鳴が上がった。
──不時着の刹那、操舵を握り締めたまま、暫し気を失い。
仲間達に揺すり起こされ、意識を取り戻した飛空艇乗り──セッツァーは。
酷く頭部を打ったのか、微かに血を流して倒れてより、目覚めようとしない人を横たえたキャビンの前に立ち尽くしていたが。
「……エドガーは?」
やがて、そのキャビンより、仲間の女性達が出て来るや否や、少しばかり切羽詰まった様子で、彼の人の容態を尋ねた。
「それ、が………。その……──」
目覚めたとか、未だだとか。良さそうだとか、悪そうだとか。
『それ』を例える言葉は五万とあるだろうに。
問われた女達、ティナとセリスは、顔を見合わせ口籠った。
「…良くないのか?」
彼が怪我をしたのは、己が艇を操り切れなかった所為だと、責任を感じているのか。
口籠る女達に、セッツァーが語気を荒げるも。
「……一応、ね。目覚めたことは、目覚めた、んだけど………」
「会った方が早いわ、きっと」
女達の態度が改まることはなく、彼は、直接の目通りを促された。
「何だってんだ、一体……」
だから、正直な処、怪我を負わせてしまった人……エドガーが臥す姿を見るのが少しばかり怖くて、そのキャビンに立ち入れなかったセッツァーは、カツカツとオーク材の廊下に甲高い靴音を響かせる足取りで、キャビンの扉を開けた。
「エドガー? 具合は……──」
勢いよく開け放った扉を潜り、入室を果すと、彼が寝ているだろう寝台へと体ごと向き直り……が、そのままセッツァーは絶句する。
それまで、横たわっていたのだろう寝台の上に、エドガーの姿はなく。
唯、引きずられた掛け布の一部だけが乗っていて。
引きずられたらしい布の行き先を視線で辿れば、それにくるまって、寝台の影に隠れるようにうずくまる、彼の姿があったから。
「……どう…したよ、エドガー…」
──そんな彼の姿を見つけ。
セッツァーは躊躇いがちに言葉を発し……一歩、近寄った。
「………………っ…」
すれば、びくりと相手は打ち震え、うずくまったまま、後ずさった。
「エドガー?」
──又一歩近付いて、大きく名を呼べば。
「…………し『あ』……ないっ……」
もう、逃げられぬ壁の隅まで、エドガーは後ずさり。
絶叫に近い声で、そう云った。
「……しあない? ああ、知らない、か? 何がだ?」
…………だから、一体、何を知らないのだと、セッツァーが問えば。
「…みんな………だぁれ……? ぼく…まえにいるの、だれ……? しあない……。だれもっ。……だれっ? ぼく…わからない……。ぼく、だれ……っ? どして、ぼくのこと、エドガーっていうの……?」
掛け布の中から、恐る恐る覗かせた顔を、涙で濡らして、エドガーは。
誰も、知らない、判らない。
自分、すら……と。
そう云った。
──己の名すら判らない、エドガーのその姿は。
記憶喪失、と云われる類いの『病』に帰因するものだった。
怯え切った彼を宥め透かし、様々なことを尋ねてみれば、『一応』、会話は成り立ったから、何も彼もを忘れてしまった訳ではなさそうだが。
「セッ………セ…?」
「…セッツァー」
「…てったー?」
「…………そうじゃない。セッツァー」
「てったー」
……エドガーが、どうやら記憶喪失に陥ったのではないかと気付いて、取り敢えず、話を進める為にも、己が名を伝えようと、セッツァーが云ったら。
舌ったらずな発音が、エドガーからは返され。
頭を打った拍子に、記憶を失ったばかりか、随分幼い年齢にまで、彼の内面が戻ってしまっているらしいことを、セッツァーは知った。
故に、彼は根気よく。
「だから。そうじゃなくってだな……」
「……何、ちがうの?」
「………………全部、だ」
何度も何度も、そんなやり取りを繰り返したけれど、セッツァーが発する『セッツァー』と云う言葉と、己が発する『てったー』と云う言葉に、違いがあることさえ、エドガーには気付けない様子だった。
「…もういい。お前がそう云いたいんなら、そうしろ……」
だが、子供返りを起こしてしまっている相手を捕まえ、何時までもそんな努力を繰り返していても致し方ないからと、やがてセッツァーは諦めを覚え。
「…自分の名前は言えるか? 覚えたか?」
「……エドカー……でしょ?」
「エドカー、じゃない、エドガー」
「…エドガー」
「そうだ。……エドガー、お前、何か覚えてることはないのか? ……親のこと……とか……生まれた家のこととか…兄弟のこと、とか…」
セッツァーと呼ばれようが、テッターと呼ばれようが、もうどうでもいい、と彼は、寝台の上に並んで腰掛けさせたエドガーに、問い始めた。
「おぼえてること……って……?」
「お前の親父やお袋……あー……パパやママのこと、や。住んでた家のことや。…兎に角、何でもいい。何か、思い出せることはないのか?」
「………てったー云うこと、よくわかんない」
が、問われていることすら、エドガーには理解出来ぬようで。
「こりゃ、絶望的だな……」
セッツァーは肩を落とし、深い溜息を付く。
「…どして、そんなカオするの? ぼく、何かいけないことした……?」
──と、渋い表情になったセッツァーの横顔を伺い、エドガーが泣きそうな声を出した。
「そうじゃない。悪いことなんざ、お前は何もしてないから。……お前、ちょっとな、そこで寝てろ」
内心で、ガキの扱いは良く判らねえと思いながら、エドガーを泣かせない為に、暗く沈んでしまいそうな面に、強張った笑みを張り付け、セッツァーは立ち上がった。
「……っ。どこ行くの……?」
『見ず知らずの大人』だが、一応は自分を構ってくれそうな彼が、立ち上がったのを受けて、知らない場所に一人残されるのは嫌だと、エドガーは思ったのだろう。
不時着した時に汚れたままの、セッツァーのコートの裾を掴んで、不安げに彼は、隣の大人を見上げる。
「心配するな。直ぐに戻って来る。……そうだな。三十分もすれば、戻って来られると思うから。──判るか? 三十分」
「……うん。…わかる……」
「なら、ここで大人しくしてろ」
「ホントに? ホントにすぐ、もどってくる?」
「…ああ」
又、泣きそうになったエドガーを宥め、無理矢理、ベッドの中へと押し込み。
「じゃあ、後でな」
泣きたいのはこっちだと、胸の奥で悪態を付きながら、セッツァーはキャビンを出た。