──飛空艇が受けた損傷は、セッツァーが思っていた程、酷いものではなかった。
 一日か、長くても二日。
 多少だけ眠るのを忘れて、エンジンを調整してやり、削れた底部を突貫で塞いでやれば、サーベル山脈の直中からは、抜け出ることが叶いそうだった。
 だから、その日の夕刻から。
 漸く、エドガーが他の者達にも慣れ始めたのを受けて、セッツァーは、一人機関室に籠った。
 食事も、その場所でいい加減に取り、騒がしかった飛空艇のロビーが、何時しか静まり返っても。
 幾つものランプを灯して、彼は、油塗れになりながら、エンジンの機嫌を、取っていた。
 天の頂上に、輝く月が辿り着いても、それは変わろうとはしなかったが……。
 彼の意識の、集中と集中の合間を縫って、キ……と、機関室の扉が開けられたから。
 漸く、動かし続けていた手を休めて、彼は振り返った。
「……エドガー。どうした?」
 こんな時間にここを訪れるのは、まさか……と、想像した通りの人物がそこには、所在なげに立っていたから、思わず彼は、眉を顰める。
「ごめん、なさい……。あの……」
 ランプの灯りに浮かび上がったセッツァーの表情を見遣って、エドガーは開口一番、御免なさいと、そう云った。
「怒ってる訳じゃねえってのに。直ぐ謝るな、お前は。……俺は、そんなに怖いか?」
 何も、そんなに機嫌を伺うことはなかろうと、セッツァーは苦笑し、工具と、厚い革手袋を床へと放り投げ、エドガーを招き寄せた。
「そう、じゃないの……んと……。んと、ね……。いっつも、おこら『い』てた……の……」
 この際、休憩でもしようと、床に座ったセッツァーの傍らに、エドガーも又、腰を降ろし。
 上目遣いで、こそこそと、云った。
「何時も? お前、何か思い出したのか?」
 ──何時も、怒られていたから。
 そんなエドガーの言葉に、セッツァーは顔色を変え、恋人の両肩を掴む。
「い、た……。いたい……」
 が、勢い余った力は、エドガーの体を畏縮させた。
「ああ、悪い……。──思い出したことが、あるのか?」
「……あの…。おと…な……の人? ……いっつも……『しちゃいけません』って、おこら『い』てたみたい、な……んと……」
 一度は、身を竦ませたものの、肩に乗ったセッツァーの手が、そのまま、抱き留める風な形を取ったから、彼は言葉を続けた。
「…あん? 大人に何時も、怒られてた覚えがあるってのか? お前が?」
「……てったー、みたいなおおきい人にも……んと…すと……すとあごす、みたいな人にも……せいす、みたいな人にも……」
「それが、思い出したこと、ねえ……」
「だからね、おとなの人には、おこらい……おこられる、から。だから……」
「──だから、『御免なさい』、か……。──そう云えばお前は、王様だったな…。今のお前の、『心の年齢』の頃から、兎や角云われて育って来たってことか……。それを、真っ先に、思い出す、とはな……」
「いけない……こと?」
「…いいや」
 ──エドガーが語ることより。
 彼が思い出せたことの正体を知って。
 セッツァーは吐き出したくなった溜息を飲み込んで、恋人を抱き寄せた腕に、少しばかりの力を込めた。
 人の名前さえ、正しく喋れない処まで、心の年齢は遡ってしまったと云うのに。
 最初から、御免なさい、その言葉だけはきちんと、彼が告げていられた理由が、そこにあると知って。
 哀しく、なった。
 『見ず知らず』の大人の顔色を覗き込み、機嫌を伺ってしまう程、叱られた記憶、制止され、制限された記憶、それが、こうなった今でも、彼の中からは、滲み出て来る。
 哀しいことの多かったろう子供時代を過ごしたのだと、察して余りある。
 今だって。
 何も彼も判らなくて、不安ばかりだろうに。
 不安よりも先に、大人に叱られることばかりに、気を遣って。
 望むことを、してはいけないのかもと思った瞬間、謝罪を口にして…………──。
「エドガー? 泣きたいか?」
 ──だから。
 余りにも、哀しくなったから。
 抱き寄せたエドガーの髪を撫でながら、セッツァーは、そう問うていた。
「だって……さっき、おとこのこは泣くなって……」
「いいから。──不安か? 寂しいか? 何か…泣きたいことがあるなら。泣いちまえ」
「でも……おこらない?」
「怒らない。──お前は少し、無条件に何かをするってことを、覚えた方がいい。お前が例え、何をしても、俺が本気で怒ったりなんぞしねえってことも」
 怖くて、恐ろしくて、泣き出してしまいたいのなら。
 今ここで、泣いても構わない、とセッツァーは告げたが。
「…………なかないもん……。もう、なきたくないもん。てったーがいるから、なかないもん……。もう、こわくない……」
 エドガーは、強い口調で云い、セッツァーの胸元へ、頬を押し付けた。
「おい。そこまでひっついたら、お前も汚れるぞ」
 そんなになるまで身を寄せたら、所々に着いた機械油で汚れてしまうから、セッツァーは慌てて、恋人の体を離そうとする。
「へいきだもん……。──てったーが、パパ、ならいいのに……」
 が、そうされてもエドガーは。
 一層、セッツァーの胸に縋って、頬をすり寄せた。
「……パパ、か……」
 貴方が父親だったなら──。
 …エドガーの、その言葉を受け、セッツァーは苦笑を浮かべた。
「………ごめんなさい……。てったーは、……ぼくのパパ、いや……?」
 だから又。
 セッツァーのその気配を察したエドガーは、御免なさい、とそう云った。
 故に、セッツァーは更に、苦笑を深め。
「…謝るな。──そうだな……。嫌…な訳じゃない。が……俺は、お前のパパになるよりも。もっと、別の存在でいたい。もっと、別の……別の愛を注いでいたい……」
「べつ……? ………???」
 云われている意味が一切理解出来なかった『幼子』は、困惑を深めた。

 

 

 

 

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