突然の戦争が始まって。
 三週間が過ぎた。
 ……誰の安否も……今だ、判らなかった。
 時折電話を掛けて来るティナの声も、リルムの声も、遠い異国の地より、ニュースを知ったロックとセリスの声も、聴く度、涙に濡れているのが判るそれで。
 友人達を慰め励ましつつも、己も又、泣き出してしまいそうになりながら、エドガーは日々を送っていた。
 ……世の中で、語られることと云えば……戦死してしまっただろう英雄と王弟の亡骸は何時になったら発見されるのだろうか、とか……彼等の葬儀を、祖国の為に戦った兵士の代表として、国葬にしたらどうか、とか……もう、彼等はとっくに、この世界から消えた存在として扱われているとしか思えぬ事柄ばかりで。
 彼等が生きていると、必ず帰って来ると信じる己から、その自信を奪わないでくれ…と、エドガーは、叫び出したくもあった。
 ──だから、その日。
 彼はじいやに少しばかり無理を云って、セントラル・パーク前のマンションの一室へと、逃げ込んでいた。
 一人静かに、誰も来ぬ場所で休みたい、と告げたら、未だ、病み上がって間も無いこともあって、体を心配したのか、弟が戦場から戻らないと云う現実に直面している、兄としての王の心中を汲んだのか、じいやは、黙ってその我が儘を聞き届け、ゆっくりと休日をお過ごし下さい、と、送り出してくれたから。
 ペントハウスの扉を潜るなり、真っ先にリビングへと赴いて、TVのコンセントを引き抜き、部屋中のカーテンを閉めて、引きずり出した薄い毛布をおざなりに被ってエドガーは、リビングのソファに寝転がった。
 例え数時間の間だけでもいいから、何も彼も忘れて、ドロのように眠りたかったが、それも又、乱れる心には、簡単に叶えられるものでもなく。
 こんな場所で、適当にうたた寝するのが、この数日間の、彼の睡眠の取り方だった。
 冷たい革の上で丸まって、じっとしていれば、遠くより、少しばかりの喧騒が伝わって来て、世界はそれでも動いているのだと、そんなことぼんやり考えつつ、彼は、瞼を閉じた。
 薄明るい部屋の、何とも言えぬ半端な眩しさを、閉じた薄い瞼の向こうに感じながら、浅い呼吸を繰り返すこと、暫し。
 漸く眠りは訪れて、感じていた半端な眩しさが、ふっとフェイドアウトし始める。
 ああ、これで、後は恋人の夢さえ見なければ、少しだけでも『楽』になる、と。
 彼は意識を、闇の中に放り出そうとした。
 …………が。
 消え入る寸前の意識が、遠かった筈の喧騒を近くに引き寄せ。
 急激な覚醒を、彼は強いられる。
 むっとしながら姿勢は変えず、唯、耳だけを澄ませば、大きくなった喧騒は、玄関の施錠を解こうとしている音だと判った。
 だから彼は。
 …ああ、じいやが来たんだな、きっと、心配にでもなって様子を見に来たか、急用が出来たかで、後を追い掛けて来たのだろう、そう思った。
 寝た振りをしていよう、とも決めた。
 そうしていれば、じいやはきっと、そっとしておいてくれる、と。
 ──案の定。
 合鍵を使って部屋に入って来た者は、主が寝ていると察したのだろう、足音を忍ばせ、カーテンの引かれたリビングへとやって来て……だが。
 そうっと薄い毛布を剥いで、すっ……と腕を伸ばし。
 熱を計るかのような仕種で、エドガーの額に、掌を乗せた。
「…エドガー。……エドガー?」
 …………そうして、その者、は。
 眠った振りをしている彼の耳元で、静かに、囁いた。
 ────だから。
 …ああ、夢だ……と。
 エドガーは思った。
 夢を見ているのだと。
 耳元での囁きは、最愛の人の声で、額に添えられた掌の温もりも、その形も、記憶に深く刻まれたそれに等しく、頬に掛かる髪は長く、艶が感じられ、薄目を開けてみれば、銀色が揺れたから。
 …夢、なのだと。
 これは、恋人を求めて止まない己が想いが見せる、喜ばしい、が、泡沫でしかない夢なのだ、と。
 エドガーは思い込もうとした。
 ……けれど。
「エドガー。起きてるんだろう? 目を開けろ。判ってるんだろう? 俺だって」
 『夢』は、そう云って、彼を揺り起こして。
「ただいま……」
 恐る恐る、瞼を開いた彼を、渾身の力で抱き締めた。

  

 

 

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