何時しか、騒ぎの話を聞き付けて、空軍の官舎からも軍人達はやって来ていたから、もう、その店に、男女含め、何人の関係者がいるのか判らなくなった頃。
彼等が、その店のドアを潜って、数時間が経過していた時には。
「あーあ……」
おやおやと、若干の呆れと云うか、驚きと云うか、を滲ませつつも、楽しそうな声をエドガーに洩らさせる程、人々は出来上がっていた。
「ま、何時もこんなもんだ」
尤も、そういうセッツァーは、出来上がった者達と、そう大差ないだけ酒を嚥下しつつも、表情一つ変えず、ケロリとしていたけれども。
「……なあ、セッツァー?」
平然としていられる英雄殿は、少し、他の者達とは体の出来が違うのだろう。
彼等と同じテーブルに付いていた男達は、周囲の者達同様、普段よりも遥かに陽気になっていて。
「あの子、さあ。例の子じゃねえか?」
その体を、少しばかりテーブルに預ける感の姿勢を取りつつ、弾んだ声で、『楽しい酒のツマミ』を見つけたと、人々がさんざめく店内の、とある方角を指差した。
「………………ああ、そうかも、な」
示された方角に、ちらりと視線を走らせ、何故かセッツァーは、それを誤魔化そうとしたが。
「いや、絶対そうだって。…おー、こっち見てる、見てる。色男は辛いやねえ」
酔い始めた男達は、話題を変えようとはしなかった。
「……彼女と、彼が何か?」
確かにこっそりとこちらを見遣っている、女性軍人であるらしい人物をエドガーも又、見て。
首を傾げつつ彼は、男を促した。
すれば。
「昔の話を持ち出すな」
「……いいじゃねえか。それこそ、昔の話だ。──ほら、こいつ、一応でも、見栄えはするじゃないですか。ですんでね、結構、もてたんですよ、これでも。あの彼女、俺達の後輩なんですけど、やっぱり、こんな野郎に惚れちまった可哀想な子の一人で。俺等が士官学校を卒業する日に、こいつ、告白されて。……な?」
「忘れた、そんな話」
「──そーそー。確かー、青春ドラマか何かの台詞みたいに、『憧れてました、先輩のこと、好きなんです』って告白されたんだよなー。お前ってば結局、振っちまったけどさ」
「でもあの子、果敢だったよな。思い出に、キスして下さい、って云われたんだっけ? ……で、したんだよな? お前。……罪だよなー。どーせ振るなら、後に引きずるようなこと、しなきゃ良かったのに。きっとあの子、まーだお前のこと、思ってるぞー」
…………セッツァーの悪友である男と、近くにいた仲間達は。
在りし日の『彼女』の身振り口振りすら真似て、若かりし頃の英雄の不出来さをからかいながら、エドガーへと、『事情』を語った。
「……若かったんだねえ、君、も」
へぇ、と。
その昔語りを受け、エドガーは、『にっこり』、と微笑み、恋人を見上げた。
「……だから。昔の話だ…………」
目許だけが笑ってはいない、その『気配』を感じ。
やれやれと、セッツァーは、天井を仰ぐ。
「可哀想に。女性の中に、しこりを残してしまうなんて、ね。…今からでも遅くないから、何とかしてあげたら?」
──エドガーは。
こちらを決して見遣ろうとはせぬ恋人に向けて、冗談めかした非難を放った。
────不幸なことに。
酒により饒舌になった男達の口は、留まることを知らず。
うわー……と。
友と兄の本当の関係を知るマッシュが、上目遣いで対面の兄を覗き見つつ、嫌な汗を掻き始める中。
士官学校時代から、あの戦争が終わるまでの数年間に渡る、セッツァーの過去の女性遍歴は、暴露され続けてしまった。
「いい加減にしねえか、てめえらっ!!」
勿論、話半ばで、当事者であるセッツァーは声を荒げ、『思い出話』を打ち切ろうとしたが。
酒の所為なのか、はたまた、それで? と続きを促す国王陛下に対するサービス精神故だったのか。
きつい制止を聞き届けることなく。
セッツァーが、如何なる女性を好んで付き合い、そんな彼女達と如何なる恋愛模様を繰り広げ、そして、どうやって袖にして来たか、を。
──段々と、エドガーが湛えた綺麗な微笑みに、『壮絶さ』が増して来たことにも気付かず。
このパブで過ごした数時間の間に嗜んでいた酒とは、比べ物にならぬ程強いそれを、彼が、どれだけ嚥下してしまっているのかも量れず。
「……お前ってさあ。結構、誰が見てようとお構い無しって部分、あるよなー。奔放ってーか、情熱的ってーか、何も考えてねえってーか。──何で? もしかして、本気で女に惚れたことって無いのか? それとも、惚れた女は見せびらかしたい口か? どっちだ?」
案外、セッツァーが、数多の女性と繰り広げたキスシーンを目撃した者は多い、と、酔いの廻った男達は、そんな証言まで、してしまった。
だから、セッツァーに代わり、彼の『思い出』を一通り語った男達が、
「女ってさあ、こんな奴の何処に惚れるんかね?」
とか、
「知らねえ。……ま、いい男であることは、認めてやるよ」
とか言い合う傍らで。
「成程…………。君って物凄く、酷い男だったんだ」
もう、その手の中のそれが、何杯目になるのか誰にも判らなくなったロックグラスの中身を一息に飲み干して、ゆるり、エドガーは頬杖を付いた。
「お前……飲み過ぎてないか?」
自分にだけは悟れる『不機嫌さ』で、彼の紺碧の瞳が揺れるのを見、セッツァーが嗜めるも。
「あ、でもでも。俺も見たことあるけどさ。こいつ、結構キスは上手そうだったから。それで、女は落ちるのかもなー」
「あははは。結局は、そっちなのかねー、人間ってのは」
その時沸き起こった、若干下世話な会話に、もう、酒精を取り込むのはそれくらいにしろ、と云うセッツァーの言葉は、その殆どが、掻き消されてしまって。
「ふぅ……ん。君って、キスが上手いんだ」
嗜めよりも遥かに大きかった男達の声を、しっかりと耳に収めたエドガーは、この場にいる誰よりも詳しい筈の『それ』を、恋人に答えられる訳もないのを知っていながら、やけに妖艶な風情で、尋ねた。
「…………酔ってるだろう…」
恋人の、優しい調子の『詰問』には答えず、セッツァーは、頬杖を付いた方の指に持たれた、空のロックグラスを取り上げる。
「別に?」
「素面でそういうことを、聴くのか、お前は。この場で」
「……そんなに不思議なこと? 折角、皆さんが、滅多に聞けない君の昔話をしてくれているんだ。楽しい話を掘り下げてみたって、構わないだろう?」
するとエドガーは、その場に集った者達が、酔った頭の片隅でさえ、陛下はこんなに色気のある方だったろうかと訝しむ程の艶を放って、ねえ…? とそんな周囲に同意を求め、するりと、セッツァーのグラスを奪った。
そして又、その中身を、くっと仰ぎ。
「人前でキスするのって、楽しいのかな」
『行為』に興味を示す風に、彼は小首を傾げた。
「さーあ。どうでしょうねえ……。──楽しいのか? セッツァー」
──人前で接吻(くちづけ)を交わすと云う行為が、楽しいか否か。
国王の呟きを受けて、そのテーブルを取り囲んだ者達の視線が、この場では、唯一それを知っているだろう人物の元へと集まる。
「…………聴くな」
酔っ払い共の、下世話な興味に満たされた視線を浴びて、頭痛がする、とセッツァーは、額を押さえた。
「……あ、そっか。人前でキスするのって、燃えんのかね」
「えー、でもそれってさあ、一歩間違ったら危ない性癖って云わねえか?」
「でもよ、有りがちな話っちゃ、有りがちな話じゃん。特に、こいつみたいなタラシの男にゃ」
「どんなモンなのか、今度、間近でじっくりと、してみせて貰いたいよなーっ」
すれば、げんなりとしてみせた彼へ、場の雰囲気を更に煽るように、パイロット仲間のヤジが飛び。
「私は、見せて貰うよりも、自身で経験してみたい、かな……。人前で、そういうことをするのが、どんな気分……なのか。…………実験台になってくれるかい? 経験豊富な、色男さん?」
飛び交うヤジを楽しむ風に、瞳を細めてクスクスと、エドガーは、恋人に向け、云った。
「兄貴っっ」
「……陛下、随分と、大胆なこと仰いますね」
王の発言を受け、マッシュや周囲の者達は、慌ててみせたが。
「……私みたいな立場で生きていると、普通の恋愛すら、少々窮屈なものだから。そういう、奔放なことって、楽しいのかな、と思っただけなんだけどね。私が女性に触れるのは、例えそれが洒落でも大問題だけれど。男の親友相手なら、悪戯の域で済むしねえ」
そんなこと、嘘に決まってるだろう? ……と、彼は唯々、笑った。
…………尤も。
その言葉は、セッツァーの耳にだけは、冗談とは聞こえなかったけれども。
男達にとって、エドガーの言葉は、何処までも、冗談でしか有り得なく。
「ああ、そりゃそうですよね。こいつとなら、本当に実験で済みますもんね」
「……俺、セッツァーと陛下だったら、男同士でも、ビジュアル的に耐えられる気がする……」
「あー…………同感」
又、無責任な言葉が、四方を飛び交ったから。
「お前等ーーーっ。頼むから、これ以上、兄貴煽るようなこと云わないでくれよっ。結構、酔っちゃってるんだからっっ」
少々不穏な空気が、兄の周囲を取り巻き始めたことに、漸(ようよ)う気付いたマッシュが、慌ててフォローに走ったが……遅く。
セッツァーを見遣る為に付いていた、頬杖を崩して、椅子の上にてゆっくりと体をずらし、エドガーは、するりと伸ばした両腕を、恋人の首に絡げ。
「いい加減にし……────」
そろそろ、本気で叱り飛ばした方が良さそうだと、セッツァーの、低い声音を遮り。
突き放す為の手が、届くよりも先に。
人々が、片方の瞳でマッシュを、片方の瞳で自分と恋人を見詰めているのを知りつつ、エドガーは。
セッツァーに、掠めるようなキスを…………してしまった。
「……………えっと……」
──刹那、何が起こったのか、咄嗟の理解が出来ず。
男達が唖然とする情景の中で。
「案外、つまらないものだねえ。やっぱり、女性相手でないと、本当の所は判らないのかな」
ゆるゆると彼は、恋人から体を離した。
「やっぱり一寸、飲み過ぎたみたいだ。失礼するよ」
場を取り繕う言葉一つ、生み出せぬ一同へと、微笑みを振りまき。
立ち上がった彼は、レストルームの方角へと消える。
──セッツァーは。
防ぐことの出来なかったエドガーのキスを受け。
緩慢に、両の瞼を閉じて、銀の前髪を掻き上げ。
ふっ……と、深くて長い溜息を吐くと。
「……マッシュ、後、頼むわ」
恋人の後を追うべく立ち上がり。
「セッツァー?」
「泥酔した馬鹿の面倒見て来る。……今頃、吐いてるだろうから」
どうしたんだと見上げた仲間達に言い残すと、強引に、人波を縫った。