「……う………」
平然とした顔で席は立ったものの、誰もいないレストルームに入るや否や、エドガーは、洗面台の上に身を屈めて、口許を押さえた。
唯。
今、彼が堪える嘔吐感は、酒に負けたが故に、もたらされたものではなく。
散々聞かされてしまったセッツァーの過去に嫉妬して、冗談めかして、とは云え、公衆の面前で恋人にキスをしてしまう『暴挙』を犯した自身の腑甲斐無さがもたらすものだった。
彼の過去に関わった、己とは比べるべくもない女性に、醜い嫉妬を覚えてみても、どうしようもなく、どうなる訳でもなく。
でも、それでも。
例え、声高に告げることが叶わなくとも。
今、彼の愛を受けているのは己で、彼の接吻を知るのは己で。
そんな話を聞かせないでくれと、云ってしまいたかったのに。
自分達の関係を、親友なのだと偽らなけれぱならない為に、『恋人』であるならば、聴かずとも良かった昔語りを、留めることは叶わず。
唯々…………親しい友人の『意外な一面』に、感じ入る振りをし続けねばならなかったから…………。
「馬鹿みたいだな…………」
あの場で、己がどれだけ恥を晒したのか、充分に理解している独り言を、エドガーはぽつり洩らした。
自分で自分を批評する、冷静な言葉を吐いてみれば、又、嘔吐感が込み上げて、彼は更に深く、身を屈める。
眼前にまで近付いた、洗面台の白い陶器が、滲んだ。
喉から込み上げるものが苦しいから、瞳に涙が浮かぶのか。
嫉妬心がもたらす悔し涙なのか。
自身の愚かさに対する虚しさ故のそれなのか。
その涙の理由が、もう、エドガーには判らなかった。
「……大丈夫か? 酔っ払い」
──込み上げる一方で、決して楽にはならないむかつきと戦う為に、そうしていたら。
静かにレストルームのドアが開いて、少しばかり苛立ったトーンの問い掛けが、届いて。
「平気……。本当に、酔った訳じゃないから…………」
その正体が恋人と知るや、エドガーは、体裁を取り繕うともせず、答えた。
「真っ青な顔しやがって……。酔ったんじゃねえってなら、自分に呆れてんのか? ──連中の前で、あんなことしでかしてくれるたぁ……お前もやってくれる……」
むかつきを押さえているだけで、本当に吐いている訳じゃないと、恋人の様子から察し。
洗面台に縋り付いたまま、崩れそうな躰を、セッツァーは支えてやる。
「……云わないでくれないか……。云われるまでもなく……後悔、してる…………」
目の前の鏡を見遣るまでもなく、酷い色と表情だろうと判る己が面を、どうしても見られたくなくて、支えられた腕に縋り、エドガーは、恋人の胸に顔を埋めた。
「あのな、エドガー。俺はこれでも、怒ってるんだぞ。見境なく、あんなことしやがって……。あいつらが何か勘繰ったら、立場が悪くなるのはお前だろう……」
凭れて来た躰を、支えるでなく抱き止め、背を摩ってやりながら、セッツァーは溜息を零しつつ、一応の小言は告げ。
ちらりと、一度だけ、背後にあるレストルームのドア辺りの気配を気にしながら。
深い深い接吻(くちづけ)を、彼はエドガーに与えた。
「…セッツァー……?」
確か、彼は怒っていると云った筈なのに、何故、接吻などするのだろうと、唇が離れて行った後、戸惑った顔でエドガーは、恋人を見上げた。
「…………下らないjealousyなんざ、覚えるな、馬鹿……」
不安そうに揺れた瞳に、セッツァーはそんな言葉を投げ。
白いタイルで覆われた、レストルームの冷たい壁に、腕の中の彼を押し付け。
金髪を掻き乱し……再びの接吻をし……軽く暴いた胸元に、愛撫を落として。
「俺の過去の女達に。お前が、嫉妬を感じる必要なんて、ないんだ。比べようもない。……所詮……過去なんざ、そんな次元だ。──だが……悪かった。もう二度と、耳障りの悪い話を、お前には聞かせないようにするから。追い詰めて……すまなかったな…。連中の話、止められりゃ良かったんだが……」
優しい『詫び』を告げながら。
何者の視線があろうとも、なかろうとも。
こうする場所が、如何なる場所であろうとも。
こうしたいのは、お前だけだから、と。
セッツァーは、何度も。
髪を撫で、接吻を施し、緩慢な仕種で肌に触れ、肌を愛した。
「お前のそういう顔は、余り他人には見せたくないがな……。俺だけが知ってりゃいいし……。ま…見せびらかしたくなる時が、無い訳じゃないが」
柔らかく、優しい『それら』を受け、返す言葉も忘れたエドガーを、くすり、彼は笑う。
「じゃあ……過去の女性達とは……?」
「…一寸したスリルと……何処まで俺に『従順』なのか、計る為にそうしただけだが?」
「『従順』だと……判ったら?」
「──別れた」
「……最低だね、君って男は……」
「そういう男に、惚れたのは、何処の誰だ? ……jealousyを覚える程、に」
腕の中、されるがままでありながら。
最低、と云ってのけた恋人を、セッツァーは又、笑った。
「安心しろ……。過去も、今も、未来も。真実愛してるのはお前だけだ」
──そうして、再び。
彼は、恋人の唇を奪い。
服の中へと指先を忍ばせ……────。
「セッツァー? 兄貴、平気?」
が、その時、レストルーム脇の廊下より、マッシュや仲間達の気配が近付いて来たから。
恋人の躰をふわりと抱え上げ。
扉が開かれる寸前、最後のキスをして。
思っていたよりも、可愛らしい妬きもちを妬く質だった恋人を送り届ける為に、セッツァーは、レストルームのドアを、蹴り開けた。
彼に大人しく抱きかかえられたまま、じっとしている国王へと、心配した男達が駆け寄って来る中。
エドガーは、このまま少し眠ってしまおうと、静かに瞼を閉ざした。
End
後書きに代えて
去年の初夏。
灼きもちを灼くエドガーさん@第三部、の話で盛り上がった際、ぽろんと書いてみたお話です(ぽろん、って自分……どう云う表現……)。
乙女チックですなあ、陛下(笑)。
駄目です、人様の前で、ちゅーなんかしちゃ。
セッツァーさんみたいな人になってしまいます(素)。
どうしても、第三部のお二人、バカップルちっくになるのは何故なんでしょうね。平和なのかしら、この人達(笑)。
宜しければ皆様、御感想など、お待ちしております。
※おまけ※